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やってみてわかったこと=やった者しかわからないこと

 急な思いつきとか、衝動買い、突飛な行動など「なぜ今それ⁉️」ってことありますよね😅ちなみに私はよくある。

 でもそれって必ずと言っていいほど《きっかけ》がある。ラジオから流れてきた情報が耳に入って気になる!とか、新聞で読んだ一文に気になるフレーズがあったり。

 料理番組で見たレシピを再現してみたり、旅雑誌の記事を切り抜いて保存してみたりして「いつか行ってみたい」と…。んで、いつかは💦いつか忘れ去られてしまう😅

 私は記憶力が悪いので、なんでもスグに手帳に書く派ですが、観たい映画(Amazonプライム)や読みたい本は期限がないからメモ欄に📝けど、行ってみたい場所や美術館は期限があるから(いつでも行けると思っていると会期が終わってしまう)調べたらスケジュール欄に書いてしまう👍

 今回の御岩神社参りもそう。「いつか行ってみたい=5日に行ってみたい」くらいの気持ちで実行に移す派。もちろん行ってよかったし、たくさんの気づきがあった。お友達柄「恭子ちゃんは4/4までに行ったほうが運気があがるよ」って教えてもらえたのも後押しされた一因。

 ネットで調べてチケットや荷物の準備して、電車やバスの時間に合わせて起きて出る。到着したら御朱印帳を預けて参拝(登山)開始!最初のうちは左右を見ながら点在する祠に手を合わせて神様に挨拶。しかし!ガイドブックにもあるように徐々に山道に😅

 左右の祠もなくなり本格的に登山道。木の根っこを避けながら滑らないように足場を選んで必死に登る。汗が滲み出てきて拭き拭きしながら進む。20分ほどで【かびれ神宮】に到着するが、かなり汗だくな私💦

 「なぜ?こんなに険しい山の中に?」と思ってしまうが、ここから理由が分かる。さらに山頂を目指すには20分。もちろん進むが、とにかく足元が険しいため黙々と下を向いて額の汗を拭いながら登る。さっきまでの神様に挨拶しながら!なんてモードは完全にOFF😅

 無心になって登ることだけに集中する。次の一歩はどこに着こうか、滑らないかな?掴まれる枝とかあるかな?ひたすら足場を固める・確かめることだけを考えていた。ふと、すれ違う人に挨拶されて我に帰り「さっきまで前を歩いていた人はどこだ?」とか「帰りのバスの時間に間に合うか?」などと現実に戻る。

 「あ〜ぁ!なるほど!修行だ!」
ちょっと邪念気味に足を運んでみたら、試されて諭された。往路(登り)は挨拶→復路(下り)は御礼の気持ちになっていた。ネットっなんでも調べられるようになって知った気になってしまうことも多いけど、やはり実体験だ。

 水・空気・土・木・光を肌身で感じて血肉に染み込ませる。大袈裟かもしれないけど、私はそう受け取った。御利益があればいいな😽なんて欲を背負って歩いたら返り討ちを食らった😅

 結果、息を深く吸い込むことが出来るようになった実感と、まだまだ邪念が祓い切れないまま龍の表紙の御朱印帳を抱いて帰還した私。生きることは修行でござる🙈🙊🙉また来年まいります。

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