我孫子武丸「探偵映画」

8月も終了し、世間一般では上期最後の月となる9月。個人的にも部署を掛け持ちになり忙しさは倍増しそうな勢い。そんな中でも読書のペースは堅調で11冊を読むことが出来た。8月最後の読書記録は再読本。我孫子武丸さんの「探偵映画」である。

我孫子武丸さんといえば「殺戮に至る病」に代表されるように陰惨でダークな作風をまとった印象の作家。いわゆる新本格ミステリ作家の第1次世代(綾辻さんや有栖川さんなど)でデビュー作の「8の殺人」などはガチガチの新本格であった。そこから作風を広げていき、先ほどあげた「殺戮~」は代表作であり、どんでん返しもので必ず挙がってくる作品だ。また短いページでパンチの効いた作品を残している印象があり、私が昨年読んだ「弥勒の掌」などはまさに真骨頂だった気がする。そんな中にあってこの「探偵映画」はポップで明るい印象を持つ作品だと思う。人が死なないミステリーであり、万人におススメの出来る内容で、読み心地も爽やか。かと思いきやしっかりとした本格ものに仕上がっており、流石の腕前を実感させられる。

こんな話。鬼才の映画監督、大柳登志蔵。彼の新作「探偵映画」は結末が監督以外誰も知らない、という触れ込みの元、撮影が始まった。鬼才ならではの激が飛びながらも順調に撮影は進み、残すはラストの結末シーンのみ。がしかし時間になっても監督が現れない。訝しんだスタッフが自宅へ行ってみると監督が失踪したことが分かり・・・

ざっくりと冒頭部分のみの紹介となったがこんな始まり。で、物語として面白いのはここから。スタッフ含め結末が誰も分からないために撮影のしようがない。キャストにいたっては自らが目立つために犯人に名乗り出る始末。理由として出演するキャストたちは誰しも、そこまで人気のある俳優ではなく、大柳監督に認められたとなれば一気にスターになることが確約しているようなものだからだ。各々が定められた設定の中で何とか犯人になろうとする姿は滑稽でありながら何だか和やか。例えばお風呂に入っていてアリバイがあった女性がどのようにして殺人を犯すか?など笑える推理合戦が繰り広げられる。このエリアは完全に多重推理の様相を醸し出している(但しかなり緩いが・・・)終始に渡る何とも言えない緩さがこの作品の良い所だろう。さて、一体犯人はだれなのか、そして監督はどうなったのか、この2つの謎を軸にラストへ進む。

とまあ、ここまでは面白かった点。以下、気になった点を挙げる。まずは何といっても、映画の結末である。初読の際は感じなかったかもだが再読してみると、映画のラストはちょっと微妙である。まあこの当時ならば新しかったかもしれないのだが、現在はこういった趣向の映画があったりする。あまりにも持ち上げてしまったために肩透かしをくらった感じだ(ただ、前半部分の振りが非常に効いているのでその点は良し)加えて時代背景がもろに出ているとこが気になる。90年に刊行されたためか、登場人物がどうしても古臭いように感じた。まあこの点は若干しょうがないとこもあるかと。

てなとこで、読み心地はまずまず。しかし我孫子作品にあって人が全く死なず万人に勧められる作品なため、紹介したらオシャレだな、この人。と思われる作品。読書好き合コンとかで受けるかもね。


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