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東京という名の地域

年間通してほとんどを三豊市で過ごす僕もごくたまに東京に行ったりするのだが、基本的に目的はあるのだがそれ以外は会う人を決めて行くたびに楽しく飲んで泥酔して東京の夜に沈められ、朝はボロボロになりながらホテルのチェックアウトをしまた三豊に帰ってくるというのがルーティンのようにお決まりだ。

そんな僕だが東京行く時はちょっと変わってるかもしれないが普通せっかく行くんだったら色んなところを視察しようと考えるのだろうが意外と僕はあまり探さない。
いやそれは探せよって思われるかもしれないが東京ほどたくさんのお店があると歩くだけで色々学びになってたりして場所を決めつけるよりふと気になったとか面白いと感じたりとか偶然の気づきみたいなことを大事にしてたりするからだ。すいません。言い訳でした。

ただ東京に行ってる間に欠かさず見て考えていることがある。
「町の作られ方」だ。
それは今の東京を見るというよりかはたまにある歴史の長そうなお店を見ては昔のその町に想いを馳せながら今のこの町をどう見てきたんだろうとかそんな事を妄想しながらずっと歩いている。
うん変なやつだ。
個人的には日本で一番成功した地域は東京だと思っている。
あれだけの才能と可能性を集まる場所は今は東京しかないんじゃないだろうか。

第二次世界大戦のあの焼け野原からスタートしたと考えた時に今の東京を作り上げた理由を僕なりの勝手な解釈で言うと、東京と言う町に地域の人たちがみんなで東京に投資をしたからだと考えている。
ここでは元々の人口とか政治とかそういうことは置いておきたい。
自分たちの地域ができない理由を並べただの言い訳にしか聞こえないからだ。

そう言えば僕が生前の祖父に何故そんなに戦後頑張れたんだ?と聞いたら
「お前らにあんな思いはさせたくなかったから」と答えた。
戦争なんか歴史の本でしか読まなかった僕にとっては想像することがおこがましいと思えるくらい経験者の言葉として今でも僕の心に染みついている。
もしかするとそんな先人たちの想いの総数が戦後復興の東京や日本を作ってきたのだろう。

結局は人でしかないという何万回も言われたであろう言葉だが本質はこれだ。
そんな数えきれない想いの総数が存在している東京の町で生まれ育った大好きな兄の一人が言った忘れられない言葉がある。
「東京はダメだとかこれからは東京じゃないとか言われたりするけど東京に生まれ育ち東京を愛している人間がいることも忘れないでほしい」と。
確かに僕らは東京という漠然としたものを知らない間に叩きがちだ。
逆に三豊はダメだとか言われたら確かに嫌な気分になるのはすぐに想像できた。
この言葉以来僕は東京がより好きになった。
当たり前だが失礼な事を言って申し訳ないという事で好きになったわけじゃない。
三豊にいる僕の仲間たちと同じような危機感をもちよりよい未来を作ろうとする人がいることに心底感動したからだ。
兄には本当に感謝しかない。

やはりこれからの僕たちの町も結局のところここで暮らす僕たちの想いや思想から始まり次の社会が作られる。
長々と書いたがホントはこういう文章は照れるので書きたくないのだがなんだ今日はお許しを。
最後に
今日もいらっしゃい!
くそったれの最高の日常よ。
いつだって僕の気持ちは布切れ1枚だ。

あとがき
これはいつも会うたびに考えさせられ刺激をくれる東京の兄といつも僕に素晴らしい問いを与えてくれる町、大好きな東京へのリスペクトを感謝にしたnoteです。


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