1977年 ミネソタ 霧が晴れるように

プラスティックの食器のような匂いだな
77年夏、ミネアポリスの空港に降り立った高校生の私は、初めて踏みしめるアメリカの地面に興奮するとともに妙な感想をもったものだ。
当時はまだあまりなかったホームステイプログラム。 200名程度の中高生の団体でミネアポリスでの数日の合宿ののち、各自バスでミネソタ中の別々の家庭に向かう。 私の行先はミネソタ北西部。 カナダ国境まで車で3時間位、Mississippi川のHead Water(水源池)から1時間位のところ。
ミネソタは別名、”Land Of Lakes”と言われるくらい湖だらけで水の豊富なところ。農業、畜産業が盛んで緑豊かな場所。
でも、私の泊まった家の周りには何にもない。 隣の家も遠くにかすかに見える位。そこに2階建ての家(日本サイズの小ぶりな家)と庭と家庭菜園と豚2匹。
このな~んにもない田舎に、1か月の間、日本人とは合わずに生活をする、これが私のアメリカ初体験であった。
ホストの家族は、お父さん、お母さん、高校生の長男、小学生の次男、長女、2歳の三男の6人家族。お父さんは農業がてら”Land ’O Lakes’印のミルクの大型トラックの運転をしている。
そして、そんな田舎のアメリカ人家庭に飛び込んだ私。 でも、英語が全く分からない。 みんな何を言っているのか、さっぱり。
ど、どうしよう。 これから1か月間生きていけるのだろうか。 そんな不安がよぎる。 
この状況を救ってくれたのが子供たち。 子供には言葉が通じようが通じまいが関係なく、遊んでくれ、と寄ってくる。 高校生の長男は昼間畑に出て留守なので、自然と子供たちと遊ぶ毎日になった。
そんな風にして1週間位経った頃だろうか、霧が晴れるように、突然家族のみんなの言っていることがわかるようになった。これは奇跡体験のようなものだ。 気が付いたら自分も英語でしゃべったり笑ったり考えたりしていた。
自分の身体の中に英語が産まれた瞬間だった

(つづく))

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?