ただ、何者かになりたくて。その3

 何者かになりたい。いつしか、それだけが僕の生きる原動力になっていった。あるとき、本屋さんでふと、自己啓発本を手に取った。何気なく手に取ったその著者の本は、僕にぽっかり開いた穴を塞いでくれるような気がした。ちょうど高校を卒業して、家に引きこもっていたときだ。
 それからというもの、その著者の本を貪るように読み漁った。一冊読み終える度に、何者かに近づいている、そう思い込んだ。奇妙な万能感だけが僕を覆い、いつしかアザの存在が小さくなった。決してアザが消えたわけではないけど、僕の心は渇望と充実感で満たされた。自己啓発本をもっと読みたいという渇望と、読後の充実感だ。
 僕は何でもできる、未来の可能性が開かれている。そんな万能感が僕を前へと突き動かした。以前は閉ざしていた交友関係も、僕から積極的に築いていった。万能感、根拠なき自信が、確かな自信に変わっていった。何者かに近づいている、そう実感する日々だった。劣等感は消え去り、自尊心は着実に回復し、自分自身に自信がつき始めた。
 アザが在る僕を社会が許さなくとも、僕だけはアザが在る自分を許そう。アザが在るからって、決して自分を卑下する必要はないんだ。そう思い至った。僕はここに来てようやく人生のスタート地点、振り出し地点に立てたと思った。それは同時に、僕自身のアザと真摯に向き合うことを意味していた。そしてそれは社会と本気で向き合うことでもあった。その架け橋となったのは自己啓発本から知った学問、社会学だった。アザと自己啓発本と、社会学。今思えばそれらが、僕が何者なのかを知る手助けをしてくれるものだった。

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