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創作意欲ってどこから?価値とか才能とかの間で。

価値を見つけた

私はいつからか
「価値」という言葉が怖いです。

価値とか意味とか、
そんなものどうでもいい。そう思っていた学生時代なんとなく流れていた📻チャットモンチーが言っていました。 

「どうか、無意味なものにならないでね。今すぐ意味のあるものになってね」 

って。

無意味であってはいけないし、ましてや今すぐなんて。軽く殴られた気持ちでした。

創作の端を齧っていると、時折作ることと同じくらい、時にそれ以上に届けることの重要性を目の当たりにします。いくらどれだけ時間と気持ちを込めて作っても、見てくれる人がいなければ意味が無い。

本気で創作に向き合うことからも逃げ出したくなることがあるのに、その作品を届けるなんて、そしてそれを誰かに評価されるなんて。削れてはいけない身体のどこかを削られている気持ちになるみたい、そんな感覚でした。

今でも毎日200冊の新しい本がどこかで生まれているそうです。その200冊の内のどれだけがきちんと人の手のもとに届き、ページを捲られるのか、

映画を作っていても、脚本を書いていても、絵を描いていても「こんなもの誰が読んでくれるだろう」とどんなに一生懸命作ったとしても、この感情はいつも必ず私を蝕みます。

この世に私より絵が上手な人は、数えきれないくらいいて。映画なんて一生が終わるまでに見切れない数が既にこの世に存在していて。

それでも時々「作ってくれてありがとう」っていう誰かからの声や、ずっと書き続けているうちに見つけた言葉が過去の自分を救ってくれたり、

そういう価値を永遠に探し続けながら、永遠に何かを作り続けているんだろうな。

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こんな素敵な心地に浸ることもあれば、作る意味とか価値とかどうでも良くて、ただ締切から逃げたい。このエンドロールから自分の名前消していいのでもう許してください。って気持ちの日もあります。

そういうときは大体、ほぼ頭が眠ったようなボケーっとした状態のまま、『映像研には手を出すな』か『ハチミツとクローバー』をみます。

この中に出てくる人はみんな頑張ってるから。そういう人をみると、自分が情けなくてやるせなくて、しょぼしょぼになりながら、また私はパソコンに向かうしかなくなるから。

映像研は、金森さん推しです。
ハチクロははぐちゃん推しです。

キャラが好きっていうのもありますが、
この2人は創作が物語の軸となってるそれぞれの作品の中でも1番"才能"に振り回されている人のように感じました。それがすごく痛々しくて、だけど2人をみたとき言葉にするのが難しかった自分の中のグレーでドロっとした部分がキャラクターになって出てきてくれたように感じました。


金森さんは3人で映像研だけど、金森さん自身がアニメをつくることは無くて、得意のお金の計算や交渉力でその地位を確かにしていく人。

一方で、はぐちゃんはその才能で羨ましがられ、疎まれ、作品を作る以外の場所ですら才能という縛りが絡んでくるような人。

あとがき?のようなスピンオフ漫画で、はぐちゃんにぴったりと寄り添った屈強な犬が、
「才能、何それ?食べれるの?」と尋ねるシーンがありました。

ほんとに!才能って何?ってずっとずっと思ってます。努力の結果が才能なのか、努力で手に入らないものが才能なのか。無いと怒られるけど、あっても疎まれて。だったらはじめから無ければいいのに。と思うことすら許されないような。

食べられないものに、見えないものに、
そんなに価値はあるんだろうかと考えたりして。

また価値の話に
戻ってるって凹んで。イタチごっこの考えを今も持て余しています。

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