喜びのありか

どんなに悪いことが起こっても、生まれる感情の種類はそう豊富ではない。

一方、喜びはいつも新鮮だ。厚遇に慣れることはあれど、予想外の喜びはいつも私をフレッシュに震わせる。いいことと悪いことが同じ数だけ起こるならば、できるだけ生きていた方が、鮮度の高い人生を保っていられる。

喜びの光は、いつも思いもよらぬ角度から降り注ぐものなのだ。

引用はすべて、ジェーン・スー「これでもいいのだ」中央公論新書、2023年、pp.266-268

最近よく思うのは、多分これまでの人生では嫌な思いをしたことや辛かったことの方が残念ながら時間的には多い気もするのですが、正直、何にも覚えていません。正確に言えば、覚えているけどあまり思い出さない。
10年前にあれほど悩んでいたことも、その多くは忘れました。

頭に血が上る、とはよく言ったもので、「あぁぁぁぁ!!!」と思うことを言われたりされたり、期待したことが起こらなかったりぞんざいに扱われたりしたとき、それはそれは全身が支配されるくらいネガティブな感情でいっぱいになります。これは飲み込まれそうになる、恐ろしい感情でもある。
ただ、色々なやり方で頭の血を足元に戻してあげたらよい。そうすると、不思議とその黒い思いはどっかに消えてしまう。そして10年後には絶対に覚えていない。Definitely, I won't  care about it!

それとは対照的に、とても楽しかったことや嬉しかったこと、誰かと分かち合った喜びは、頭ではなく、みぞおちあたりが覚えている。
素晴らしい喜びはふとした時に蘇るし、いつも温かく私を支えてくれている気がします。

スーさんの文庫本を読んでいたら、最近思っていたこの「喜び」の記憶について書かれていて、やっぱりそうか!!!と思ったので、自分のためのメモとしてnoteに残します。
一晩で2回も投稿してしまって恥ずかしい!
でも書きたい時書ける時に書く、それがnoteと思って。noteも、多分喜びを溜めておくためにやっている。

YUKIさんの「Baby, it's you」の中に、「愛が咲くのは やわらかいみぞおちあたり」という歌詞があります。
本当にそうですよね。とっても大好きな歌です。
YUKIさんも、きっといつもフレッシュな喜びに満ちた方なんだろうな。