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30歳には30歳なりの葛藤があるって事を、誰か教えて欲しかった。


「あの、皆さんほんと、どうしてますか…?」


今から僕、葛藤を晒しますよー!
って顔しておいて質問から始めるスタイル。

そうです、僕はスーパーで店員さんに「〇〇ってどこにありますか?」とすかさず聞いてしまうタイプの人間です。

「え、お前自分で一回でも探してみた?」という眼差しを何回も向けられてきたある種ハードコアメンタルの持ち主でもあるかもしれない。

え、note書いてる人たちって天才ですか?


とりあえず書き始めてはみたものの、一番最初に書く事といえば葛藤だろ、とは思ったものの、10行足らずで質問の意味変わりそうなんですけど…。




こう見えて下準備はするタイプなので塩谷舞さん(https://note.com/ciotan)の有料noteとかめっちゃ読み込んでからの満を持しての執筆なんですけど、執筆とか書くの烏滸がましいんですけど、え、自分キモイんですけどの声が鳴り止まないんですけどやだ筆が止まらない。

え、筆が止まらないとかキモ…まじで無駄な時間が止まんないから誰か冷静な人、お願いです。僕の隣に真顔の人を置いて下さい。

あ、でもやっぱ大丈夫です。こう見えて、しっかりしてるんで僕。
というかこれ書いてる自分が一番真顔の人ですし。


脱線するなあ…。

でもね、noteには目次機能なるものがある事を僕は入念なリサーチで知ってるんです。
これさえ使えばもう無敵。あっちこっちに飛び散らない!
ありがとうnote!よく知ってた俺!


て事で使ってみます。
ほんと〜に便利だなあ、noteって。
(媚び売ってるように見えますか?正解。)




30歳だからこそ声を大にして言いたい10の事

30歳だからこその悩み、30歳になるまでは悩みですらなかった悩み。
こうして書き出してみると、結構ある。




①良い加減誰か君には才能があるって言ってこい


20歳そこらの頃は本気で思ってた。
「なんで世間は俺という才能に気が付かないんだろう?」って。

別に特段秀でた才能があるなんて流石に思ってもいなかったけど、それでもどこかの誰かにとってはとてつもない才能というものが、自分の中にはあるんじゃないの?って期待をしてた。


「君、良い目をしているね。」
なんて言葉をかけられる妄想なんてごまんとした。

「僕に君という才能を売るお手伝いをさせてくれないかい?」
って言われる想像だって、嫌というほど鮮明に思い描けた。


でも、30歳になった今、そんな言葉をかけられる奴らはもうとっくに発掘なんて段階を飛び越して活躍というフェーズに入ってるってわかってる。
10代、遅くても20代前半でそういう奴らはそんな経験をしてるもの。


だから自分は、
「待ち」ではなく「掴み取り」の姿勢で行くしかない
ってわかってる。


わかってるけどやっぱりまだ30歳という年齢は淡い期待を捨てきれない。
だから、たまには声を大にして言わせて欲しい。


『良い加減誰か君には才能があるって言ってこい!』



② 比較論ではなく自分軸、だけで生きていくにはまだ早い


よくある幸福論?みたいなものに「他者との比較を辞めなさい」というものがある。自分が納得出来るかどうか、それが幸せの秘訣だそうだ。

そこは僕だってもう三十路。
これを否定する気はさらさらないしイチローだってこう言っている。

第三者の評価を意識した生き方はしたくない。自分が納得した生き方をしたい。

イチローの名言・格言


かっこええ…。
ああ僕も、イチローみたいになりてえ…。

そう!これ!!
見逃した方の為にリピートしてみたい。


ああ僕も、イチローみたいになりてえ…。

そうたろー。の迷言っていうか妄言



反射とでも言えそうなスピードで出てくるこの感情を、一体どう処理すればいいのか、どこかの偉い人でいい、てかもうその辺の徳の高そうなイケおじで良いからマジ教えて欲しい。

他者比較の螺旋から降りるには自分の納得する自分でいるだけで良い。
…いや理論上はね!?って思っちゃう。



そこまで割り切れる程、納得できる自分まだ作れてないんで、
あと少なくとも10年は待って貰っても良いですか…?



③向き不向きがなまじっか少し見えるからこそやるせない


そうはいっても私だって三十路なのである。
一人称だって僕、俺、私を使い分けるほどには成長している。

18歳の頃、お母さんの前では僕、外ではカッコつけて俺、と言っていた私からすれば大いに成長したものだと感心する。


それはそうだ。

この10年、ある程度の艱難辛苦は味わってきたし、グッと堪えてやり抜くことも、納得出来なくてもそうですねって答えることも、多少なりとも出来るようになったのである。

ここから察するに30歳、人並み以上か以下かは知らぬがそれなりの人生経験を積んできたという事なのだろう。


つまりどういう事か。
多少なりとも〝適正〟というものが見えてしまうのである。


悲しいのはそれが、必ずしも自分のありたい、やりたいモノと合致しているとは限らない、という事である。

向き不向きというものは厄介なもので、そんな短期間で向き不向きなんてわかるわけがない!という一方で、割と早くその判断が下されることもある。(気がついた、長いなこのパート!!!抽象的にしてたら長え。)


要するに僕の場合、社会人になってからの周りの評価スピードと演劇をやっていた頃の周りの評価スピードが違いすぎたってこと。これは若手社員だからチヤホヤされるとかもあるとは思う一方で、会社を辞めてからも実際に付きまとっている。


会社を辞めて三年、僕はYoutuber兼俳優として活動をしているが、俳優として凄いと言われたことは皆無に等しい。その一方で、前職のような仕事をする時、とてもよく褒められる。


だからきっと、もう適性は出ているんだろうなと思っているし林修先生に言わせれば「今そっちをやらないでいつやるの?今desh」と言われるんだろうと思う。


でも、やっぱやりたいのは俳優なんです。それを向き不向きがどうのこうので諦めるには30歳、まだ早すぎやしませんか…?



安西先生、僕は、俳優がやりたいです…。

SLAM DUNK 第8巻



④焼肉、好きじゃないどころかもはや嫌いまである


脂、というものは敵である。

美味い!と思ったのも束の間、気がつくと胃がもたれサンチュ無しには食が一向に進まない。

そんな自分にとって焼き肉という食文化はどうにも解せないのである。白飯と肉だけだなんて胃を痛めつけに来てるとしか思えない。


思い返せば新入社員の頃から私は

上司「何か食いたいもんあるか?」
私 「なんか、体に良いもん食いたいっす」

24歳当時、上司との会話

と返すほどに可愛げが無かった。


その節は本当にごめんなさい。
歴代上司の皆様。きっと美味しい焼肉をリストアップして下さっていたでしょうに、若者は肉だろ!と良かれと思って聞いて下さっていただろうに…。


30歳の私めにはどうか、和定食を下さい。



⑤急に自己啓発本が現実突きつけてくるようになって普通に焦る


29歳と30歳は全然違うぞ!という人がたまにいるが、私はというと全く信じていなかった。むしろ何言ってんだこいつ、先輩マウントの取り方だせえぞ!ってなぐらいに思ってた。性格悪い。


そりゃ19歳と20歳は全然違うでしょうよ、なんたって成人だもん。酒が飲めるようになったりと制度的?にも大きく変わる。でもあんた29と30は一緒でしょうよ、と笑ってた。

でも大間違いでした、ごめんなさい…。


そう、自己啓発本である。

店頭に並ぶ自己啓発本、否が応でも目に入る自己啓発本。その見出しに書かれる数字の区切りは20と30、これは盲点でした。確かに言われてみれば20代と30代で区切るよね!わかりやすいもんね!と思うのだがその内容がなんとも切ないのである。



20代と書かれた表紙には
「今からやっておいた方が良いこと」「夢を叶える!」
「やってよかった無駄なこと」
などと未来や青春の香りが漂よう一方で、

30代向けとなるとそれが
「必ずはじめることとやめること」「逆転する人失速する人」となり、
急に現実的なのである。



ぼんやり生きていたこの一年で本屋が現実を突きつけてくるようになったこの現実を、私はまだ受け止めきれていない。



⑥周囲の結婚、もはや泰然自若すぎて菩薩ぐらいの薄目で祝ってる。


「俺らって絶対結婚出来ないよなあ〜!」
「一緒にすんなよ!」
「ガハハハハ」

なんて笑いあってた友人が一人また一人と結婚していった。


20代後半の頃は、「まあ、あいつはなんだかんだで早いとは思ってたし」だの強がって、チーム未婚で飲み明かしたりもしていたけれど、既婚者がグループの過半数を超えた辺りから僕たちは強がる事をやめたように思う。

大きな波、というものは確かに人生に存在するのだ。
それは決して逆らってはいけないし無理に乗ろうとしても上手くいかない。


だから最近は結婚報告を聞く度に目を細め、心からの「おめでとうやな〜」を伝えてる。



⑦コツコツの積み重ね、の成果が目に見え始めてやるせない


幼少期から、コツコツ努力を積み重ねる、ということの重要性を説かれて育った。それは学校教育の中でもそうであったし日本人の美徳という観点からもそうなのでは?という程に僕らの価値観に根ざしている素晴らしい人間の姿の一つである。なのに、その重要性をその力の強大さを骨身に染みて感じる、というのはここ最近ではなかろうか。


20歳の頃は、まだそれを実感出来ていなかった。

当然である。
コツコツ、というのは数年、いや十数年の時を経てはじめてその果実の結実が姿を見せるからである。

当時の10年前から続くコツコツの定番といえばスポーツだったが、でもそれで成功した人をありさんマークみたいに「コツコツやってきたからよ」とは中々思わない。あいつ当時から凄かったもんなあ、と何故か崇める方向で処理をしていたように思う。


でも、今は違う。
一緒に笑っていたあいつやそいつの学生時代の趣味や、自分これ好きでやってるんで、が結実し仕事にまでなっていたりする。


これは無視できない。
崇めるとかじゃない。


だって、趣味だったから。なんなら変わってんなーお前、ぐらいに見ていたものがなんかすっごい果実になって現れた時、人はシンプルに焦るのだ。

きっとそれはスポーツと違ってそれが「自分でも出来るようなコツコツ」に見えるからなんだと思う。まあ、絶対そんなことないけどね!やれって言われても無理だしね!と頭ではわかっていても、そんなコツコツの第一次収穫期を目の当たりにし、自分はタネすら蒔いていないことを自覚する。そしてその度、震えている自分がいる事だけは確かなのだ。


どうか神様、日々募るこの焦りという感情も、コツコツに勘定しては貰えませんか…?



⑧シンプルに、モテない。


これに関しては文句が言いたい。
男は30からって聞いてたけどなんか全然モテない。

若い子は結局同じぐらい若い子に興味があるとしか思えない。
イケおじ好きの女子からすれば30歳は物足りない。

若い部類から除外されイケおじ迄は届かない。
そんな端境期があるなんて、聞いてない!!

(あくまで個人の見解です)



⑨渋谷が怖い

怖い。
渋谷が怖い。


なんていうか、
なんでこんなにうるさい街で笑顔になれるのかがわからない。

道太い、かと思ったら狭い、気がついたらラブホ街に迷い込み、抜けたと
思ったらクラブ街。


渋谷、怖い…。



➓でも僕は自分の未来を信じたい


こうして年齢で自分を見る時、いつも思う言葉がある。

「いくら歳をくったと思っても40の自分からすればまだまだ無限の可能性」

そうたろー青年の気付きより

まあこれ、自分で学生の頃、似たようなこと脚本に書いて深いこと書くなあって思ってたやつですけども。

そうはいっても体力的な問題や周囲からの見られ方の違いはあるぞって思うぐらいには大人になった。なってしまった。睡眠時間を削って頑張る!とか朝まで酒飲むぞ!とかもう普通に次の日支障きたしすぎて辛い。無条件に協力してくれる大人は減ったし何かしらの結果を携えていないと話すら聞いて貰えない事だって、ある。


でも、それでもなんか、諦めるにはまだ早い。
割り切るにはまだ早い。


頭より心で動いていたいしそれであいつほんとバカだなあ、って言われたって構わない。凹むけど。失敗したって良いし成功なんて当分やってこなくたって良い。それでもまだまだ色んなものに抗いたいし挑みたい。そうはいっても成功するならさっさとしたい!

え?

一瞬ダサい声が漏れていたけど、そんな感じで、もう30歳とまだ30歳という狭間。まだまだやれると信じているし、えー!こんなとこまで来れるものなの?って数年後に驚きたいし。


20歳と違う所は積み重ねることの大事さを知った事。
だから僕は30歳こそ、30代こそ掴み取れると信じてる。


まだまだまだまだ、自分のこの先を信じたいのだ!





て感じで僕は今30歳。
年下からすればおじさんで、年上からすればまだまだ若造。
そんな曖昧な年齢に差し掛かり、色々なことを思うわけです。


あまりに赤裸々に書いてみたけど、これ読んでどんな気持ちになるんでしょうか…w


わかるー!ってなるのかな?
いやいやお前暗すぎない?ってなるのかな?
というか最早、読んでないかもな?

兎にも角にも30歳の僕は今こんな気持ちで感情で。別に捨てたいとかも思ってないけどこの葛藤こそが財産だ!とまでも思えない。


まあだから結局最後に言いたいことは、
改めて冒頭の質問です。


「あの、皆さんほんと、どうしてますか…?」









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