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双極性障害を患い思うことを自由に述べてみる①

私は2年前、双極性障害並びにその他複数の精神疾患の疑いがあると診断を受け、現在に至るまで治療を続けている。そして今後の人生も付き合っていくものだと思う。

この病気と向き合い、生と死という概念をを自分なりに定義し掘り下げてみようと思った動機として、参考にした数多のレファレンスの内、幾つかの著書や文献(医学、哲学等)を除いて、精神疾患を患う人々の心に寄り添う/響く、または腑に落ちるようなものが少なく、医学的な見解(これはこれで体系的かつ論理的に病状を理解するのに役立つのであるが)に終始するものには、正しいことではあるのだろうが、いまいち本質をついているようで疑問符が思い浮かんでしまう、詰まるところピンとこないのである。

また、本稿への皮肉を込めることになってしまうが、というのも、この手のインターネット上に存在する一方向的な情報は、こう言った病気を患う人々にとっても必ずしもプラスに働くとは限らないからだ。特に個々人が発信できるSNSというプラットフォームには、情報の質、またその内容共にポジティブ<ネガティブなものの方がどうしても多く散見される。なぜだろうか?個人的な見解としては、それは本来我々が共生する社会という枠組みの中において、人間が持つ社会性=他者と助け合い共存しようとする営みが前提にある中で、その規範から逸れた”何か”(主にはそれは他者の怒りや苦しみの転写であったりする)は確かに存在をし、またそれは表裏一体であること、それが逆に人々の心を蝕む方向へも作用してしまっているから、そして最終的に自らを自傷する行為に繋がってしまうからだと思う。自分の最大の敵は自分という幻影であり、それが人を人たらしめる”孤独”を担保しているのかもしれない、とも思う。

私自身、家族、パートナー、そして大切な友人と、多くの人に支えて貰い、なんとか今日も無事に自分の人生を全うすることが出来ている。そんな私の一体験から学んだこと、それが全ての人にとって等しく共感を得られる等と陶酔はしないが、その中でも誰かの幸福へ向かう足掛かりになれば本望である。

本稿では、主に私自身の主観を織り交ぜながら、この病気との闘病を経て到達した気づきについて述べていこうと思う。今回に関してはあまりロジックで固める様な執筆のスタイルではなく、思いを綴る様に自由に表現をしていきたい。


なぜ今を生きることに意義があるのか?

私自身、この疑問には明確な答えがみつけられていない、といえば本末転倒にも聞こえるが、多くの(全員とはいわなくても)人々に対して等しい普遍的な解が見つかる様なことがあれば、それは一つの到達点であろう。

話しが逸れ始めたので再び始めに戻る。私なりに捻り出した現時点での回答としては、それは今を生き抜くことが、自身の過去(例えそれが過ちともそうでないとも自身が認知しようとも(多くの場合、自分が考えている想像上の他者から見た自分とは実態からは大きくかけ離れ、また本人が思っている以上に大した意味を持たないのだが))を否定/肯定するもよし、また究極的な結末としての死が最終的に伴おうとも、現在という連続性の行先にある未来を築く今この瞬間を、否応無しに生きる”生”を自分という存在が自身に課しているからだ。

生きている限り、生きるのをやめるということは出来ない、とする。一時的な死というものは、少なくとも表現として、また科学的には(人工凍結等の技術革新が続いていくのであろうが、いずれにせよ生を続けることには変わりはない、生ける肉体?自我?を伴う前提、としての概念だが)仮死状態を除いてまだ発明されていない。また死を選ぶということも、その死が待ち受ける未来に向かって生きることとも捉えられる。自死を選ぶということも、自分自身が自らに課せる/られた?(所謂何かのアッパービイイングにサブスクライブをするならば)生を最後まで全うすることの一つの事象とも捉えられる。何にせよ、人は死から逃れられず、即ち生きることからも背を向けることは出来ないのだ(繰り返すが、まだその方法は発明をされていない。ヴァーチャルに行き続けるという選択肢等も現実味を帯びてきてはいるようだが?)。つまり、どの様な選択をしようと、人は残念ながら?通念として、平等に生きる権利を生まれながらに持ち得ており、かなり乱暴な推論になるが、それは生き続けることを生の大義とすることと同義である(と前向きに信じていたい、と今は思える状態にある)。

ただ、ここまで自分の考えを整理して一つ思ったことがある。それは生同様に人は死を死に続けるということはできるのだろうか?死に向かう生という事象を肯定するならば、また死の後の生が何らかの形で続くのでもあるならば、また次なる死に向かって生き、結果死に続けることが出来るのではないか?メタフォリカルな範疇に留まる/めたいが、これが所謂死後の世界というやつなのかもしれない。これは分からないので掘り下げない。

死を何度か選びかけた自分が今現時点で生きていて分かるということがあれば、せいぜいこのぐらいである。ひとまずここで筆を止める。続くかは不明。ちゃんちゃん。

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