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ヒーローになりたかった少年の唄2022⑧

寄り道と回り道

小学生の頃、自分の家から小学校まで歩いて行くルートは実はたくさんあった。

しかし、学校で通学路に指定されている道は、安全かもしれないが、僕たちからしたら遠回りだし、ちょっと歩くのが面倒くさいルートだった。

他人の家の庭先を通って、東海道新幹線の高架下の国鉄の敷地内を勝手に横切り、フェンスを無理やり乗り越えて、建物の細い隙間から神社を抜けて国道に出る。

この道が、僕の家から僕の通っていた小学校に行く最短の道なのだが、それは大人たちに言ってしまったら大目玉を喰らう違法なルートであり、その辺の地域から通う子供たちだけの秘密の道。

真面目な子たちは、その道を通ってバレたら学校で怒られるし、家でもいい子ではいられなくなるので、遠回りでもちゃんと指定された通学路を通る。

しかし、ちょっとヤンチャな子たちは「そんなの知らねーよ!」って感じでこの道を通る。


僕は完全に後者で「面倒くさい指定ルートなんて通ってられるか!」
という嫌な子供であった。

ある日、理由は忘れたが、なぜだかどうしても学校に早く到着したくなくて、朝は普通に家を出たものの、わざと遠回りしてゆっくり学校に行かねばならないということがあった。

仕方なくいつもの最短ルートから大きく離れ、全く方向違いの安倍川の河原の方に向かって歩いて行った僕は、そこで今まで見たことのなかった風景にたくさん出会うことになる。

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画像はイメージです

風にそよぐススキの群生。
ボロボロに錆びた小さな鉄の橋。
エロ本が大量に捨ててある橋桁の下。
ひっくり返って、車中に積もった土から生えた木が窓から飛び出るまで放置された自動車。
朝日を映し出した、美しすぎる安倍川の水面。

そこで、まるでトム・ソーヤになったような、大冒険の匂いを感じてしまった僕は、その後、最短のあの道はあまり通らず、なるべく今まで通ったことのないルートを探しては歩く変な子供になってしまった。

ずっと近所の子たちと一緒に通学していたのだが、その頃から冒険をするためにわざと一人で通学するようになる。

行きも帰りもだ。

そんなことに付き合ってくれる子はまずいない。

しかし、その大冒険は孤独であったが、本当に面白かった。

まだガキであるからして、世間のルールもへったくれもないルート設定を平気でするわけだ。

他人の家の庭や会社の敷地に入ることなんて、悪いとも思っていない。

ある時は、水の枯れた用水路に降りて、排水管の中を通り抜け、通っている小学校のマンホールから外に出たり、またある時は東海道新幹線の保守用の立入禁止区域に入ってしまい、警備の人に追いかけられて逃げたりと、ある意味本当の大冒険をちょこちょこやらかす、しょーもないガキになってしまった。

しかし「寄り道」「回り道」の楽しさを知ったのはこの頃だ、と今なら思う。

その後大人になって東京に出て、バイトに通勤したりする時も毎回のようにわざと違う道を通るようになる。

おかげで仕事場に何度も遅刻して怒られたり、運送会社の仕事で配達中にその癖が出て大クレームが入ったりと、問題児ならぬ問題人として仕事場では有名になってしまったりした。

しかもこの傾向は「道」だけに留まらず、何かを選ぶ時に、なるべく今まで選んだことのないものを選ぶという、強固に冒険的な性癖がついてしまった。

多分にリスクはあったが、それでもそのおかげで東京の地理には非常に詳しくなり、ものすごく激安で良い物を手に入れたり、あり得ないような出会いや、レアな経験をしたりすることが頻繁に起こるようになって、それは大人になった今でも変わらず続いているのだ。

僕はこの性癖を自ら気に入ってしまっているので、それはカッコ良く言えば『美学』みたいなものであって、これを受け入れてくれない会社や人とは絶対に付き合えないというような、特殊な状況に今でもいる。

これはきっと大人としては出来損ないであり、社会不適合な人間の特徴であるのだろうが、安全や安定を求めるあまり毎日鬱々として暮らしている若者たちなんかを見ると、一度立ち止まって寄り道や回り道をしてみたらいいのにと思うことがよくある。

特に人生の岐路に立った時、安全安定の平坦な道を選ぶのか、それとも危険の伴う冒険の道を選ぶのかというシーンで、迷わず危険だが魅力的な道を行く決心がついた人ほど結果的には豊かな人生を謳歌していることは、経験上間違いないのだ。

最近、50歳を過ぎてオートバイの免許を取得した。

モトクロスのバイクで山中を走るのが趣味になった。

まさに、この性癖にとっては願ったり叶ったり。
せっかくなら毎回違うルートを走りたい。

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今、そんな僕の夢は現実になっている。

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