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ヒーローになりたかった少年の唄2021㉔

Oh! 嫉妬!!〜主人公としての人生〜


「嫉妬心」というのは、人間にとってほんとうに邪魔で無駄で扱いにくく、全ての問題の根源に横たわっていて、できればスッキリなくなってほしいものだが、こいつを無くすってことは容易じゃない。

漢字に女偏が付いているからといって、女性に特有なのかというと全くそんなことはなく、イカつい男にもヤキモチ妬きはたくさんいるし、もちろん当の女性にもたくさんいる。

性別によらず、子供から老人まで全ての年齢に見られるこの現象が「好きだ」という人はまずいないだろう。

嫉妬が「成功の原動力」になるっていうことを言う人もいなくはないが、そんな動力で動くこと自体はっきりいって気持ち悪いし、そんな人の成功は、きっとまた誰かの嫉妬心を煽るだけだと僕は思う。

昔の僕は非常に嫉妬心の強い人間だった。

少年時代には金持ちの子や、モテる子、喧嘩の強い子、運動や勉強の出来る子、運のいい子など、全てに対して強い嫉妬心を抱いていて、当然そんな僕の心の内は穏やかであるはずがなく「畜生あいつばっかり」とつぶやきながら、世の中全部をナナメに見ていた。

大人になっても、彼女ができれば他の男と話をしてるだけでもうジェラシーの嵐は吹き出す。
パチンコで1万円勝ってるのに、隣の人がもっと出ていたらもう面白くなくてイライラする。
テレビに出てくる有名人なんかはみんな嫉妬の対象であって、いい曲を聴いても嫉妬するし、いい絵を見ても嫉妬する。

嫉妬というのが、くだらない意味の無いものだということは当然わかっていながら、その頃の僕は自分の嫉妬心を制御できなかった。

生活の根幹に「嫉妬」があると、全てにおいてネガティブな考えになる。

楽しいのは「嫉妬」してた相手が何か失敗をして「ザマミロ」というシーンのみであり、そんな楽しみほどネガティブな楽しみはない。

すでにそれは「楽しみ」ですらないのだ。

何がどうなろうが、ポジティブになんかなれないという時期が長い間続いた。

よく、引き寄せの法則で「幸せを引き寄せるにはポジティブ・シンキングが必要だ」というが、この状態でポジティブなことが引き寄せられるはずもなく、もしポジティブなことがなにかあっても、根深い嫉妬心を凌駕することは難しく、やはりどこかに重いネガティブを引きずることになる。

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嫉妬心から友達や彼女に心無いことを言ってしまい、後で猛省するものの、また少し経つとムクムクと嫉妬心が湧き出てきて同じことの繰り返し。

あぁ……。
なんて自分は嫉妬深い人間なんだ。
そう思いながら生きてきた。

頭で考えれば、嫉妬などというものは単なる幻想だ。

パチンコで1万円勝ってる時には隣が10万円勝っていようが5万円負けていようが、自分の勝った1万円分の喜びをただ感じればいいのに、10万円勝ってる人を見るにつけ、まるで9万円負けたような気持ちになる。

だからと言って、5万円負けてる人に優越感を感じてその差額の分だけ嬉しいというわけでもないのだ。

なにか遺伝子かどこかの深い部分にネガティブなインプラントでも埋まっていて、そいつが是が非でも僕に幸せを感じさせまいとしているような気がずっとしていた。

そんな僕にも嫉妬ばかりの人生から卒業する時がきた。

それは大借金を背負い、自己破産したり家庭がグチャグチャになったりした時だった。

「生きてるだけで丸儲け」
そういう感覚を初めて体験した。

それは嫉妬心の「克服」というよりは「あきらめ」というほうが近いような感情であり、本当にボロボロになってしまった精神の上では「嫉妬」すら機能しなくなってしまったというだけのことなのかもしれない。

面白いことに、そんな時に見上げた空は青く澄んで格別に美しかった。

きっと昨日もその前もずっと空は同じように青かったに違いないが、昨日までの僕はそれを眺める余裕さえないほど嫉妬のネガティブの中に生きていたのだ。

自分の立ち位置が地の底に落ち、嫉妬する対象があまりにも自分とかけ離れてしまったため、もはや嫉妬すら出来ない状態になって、はじめて僕は空の青さや美しさに気づいた。

一度そうなってしまえば、借金苦や家庭不和から抜け出した後も、もう嫉妬に悩まされることはほとんどなくなった。

例えば彼女が他の男と仲良くしていたら「あぁ楽しそうで良かったなぁ」と、昔では考えられないような見方をするようになった。

自分の好きな人が楽しそうにしていることは喜びであり、その相手が自分ではなくても、彼女が喜びさえすればそれはイコール自分の喜びなのだ。

それは自分が主人公になることを諦めたが故の喜びなのかもしれない。

「主人公になりたい症候群」を克服するためには、主人公になることをあきらめてしまうのが一番だった。

それができずにいた頃の僕は、主人公を目指している端役であった。

しかしそれをすっかり諦めてしまってから僕は、空の青さや美しさを知り、彼女の本当の幸せを願い、パチンコで勝った1万円を素直に喜べる自分を手に入れたのだ。

「主人公」とは誰かに認められてなるものではなく、誰かに認められたいという承認欲求から離れて、本当の現実をちゃんと生きる人なのだということが今になったらはっきりわかる。

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「嫉妬心」と「主人公としての人生」というのは相容れないものなのであった。

そう、今僕は自分の世界の主人公を、小さい世界ながらもちゃんと生きているのだ。

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