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ヒーローになりたかった少年の唄2021⑲

石のブルース

小学生の頃、化石や鉱石などの石にやたらとハマったことがある。

マンモスやティラノサウルスやトリケラトプスなど、子供の頃ワクワクしながら百科事典をめくったり、博物館に行った人も多いだろう。

ちょっとした恐竜ブームがあって、テレビ番組とかでも特集していたりして、恐竜の化石にはみんなそれなりにハマっていたのだが、僕がハマったのはもっと地味な二枚貝の化石とか、フズリナという有孔虫の化石。
あとはアンモナイトとか、トンボやら蜂、また葉っぱなどの小さな化石。

大きな恐竜の化石は博物館にでも行かなければ見れないが、こういう小さな化石というのは、ビルの壁に使われている花崗岩とか、大理石の中に含まれていることも意外に多く、僕はその頃大きなデパートの壁なんかをやたらと熱心に見つめている怪しげな少年だった。

静岡のデパートやビルの壁に貝の化石とか、有孔虫の化石を見つけては一人で悦に入っていた。

化石のことを色々調べていくと、石の種類だとか石に含まれている成分なんかにも色々詳しくなっていく。

火山の多い地帯にはこんな岩石、海が隆起した場合はこんな岩石と、石の世界はすごく複雑で、その地層の年代に応じた化石が含まれていたり、マグマで溶けたり固まったり、堆積の圧力を受けることで普通の石が鉱石化して目にも眩しい宝石になったりする。

はじめのうちは、百科事典をめくったり街のデパートなんかでやってる博覧会のようなところに行くとか、建物の壁に化石がないか見つめるくらいだったが、だんだんハマってくると、是非とも自分で化石や鉱石を探したいという気持ちが抑えられなくなった。

僕の故郷の静岡には海があり山があり、温泉の出るところも多いし、なにより海底火山の噴火によってできた山が多いので、色々な種類の地層が点在していて、化石が含まれている地層や、鉱石の出る地層があちこちにあるらしいということを本で読んで、僕のワクワクは止まらなくなった。

実家近くの安倍川という大きな川の上流には、昔金山があったらしく、晩年駿府城に居をかまえた徳川家康に献上するために、金の粉を模した「きな粉」をまぶした「安倍川もち」が生まれたという歴史もある。

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安倍川の河原になにげに落ちている石の中にも、珍しい鉱物や化石の含まれたものが結構あるらしい。

僕は石を割るための先の尖ったハンマーや、たがね、石の表面を削ってキレイにするエッチングマシーンの小さなやつなんかを手に入れて、河原や海沿いの崖に行っては色々な石を採取した。

一日中探しまわっても、ほとんど大したものは見つからずほぼ徒労に終わったが、それでも何度も何度もやってると、たまに目を見張るようなモノが出たりする。

一番感動したのは黄銅鉱といわれる鉱石を見つけた時だった。

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もちろん写真のようなすごい物ではなく、ほんの少し金ピカの結晶があるくらいのものだったが、それでも見つけた時には脳内のアドレナリンが一気に噴き出した。

その後色々な場所で琥珀の中に紛れた蜂の一種の化石だとか、サンゴの化石、フズリナ、二枚貝の化石などを自力で見つけて、気分はもう宝探し。

化石だけでなく砂岩や泥岩、玄武岩に花崗岩などと鉱物を種類別に分けて、そこにその鉱物の採掘場所などのタグまで貼って自分なりの標本まで作った。

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もちろん上の写真はちゃんとした収集家の作った標本の拾い画像で、僕の作った標本なんてのはもっとしょぼしょぼの、単なる古い木の箱に綿を敷いて石が突っ込んであるだけのものだったが、それでも幼い僕の蒐集魂はそれで充分に満足していた。


そんなある時、地元の古美術や骨董を扱う小さなお店にふらっと入ったら、そこに化石やら鉱石やらがバラ売りでカゴ入りのセールをやっていて、僕が蒐集したものより10倍くらいすごいものが1つ300円とかそんな感じで叩き売られていた。

もちろんそいつを買おうなどとは全く思わなかった。
しかし、なんというか自分が一生懸命に集めていたものの価値が、その途端にめちゃくちゃ減ってしまったかのような、すごく寂しい気分になったのを憶えている。

自分の昔出したCDとかが、ヤフオクやハードオフなんかで100円とかで出品されてたりするのを見ると、今でも同じような気分になる(笑)

モノの価値というのは、お金に置き換えてしまうと自分が思っていた価値とは全く違うものになってしまうということを幼い僕はそこで思い知った。

それが原因であれだけ熱心に集めていた石の標本もそこらにほっぽり出してしまい、そのうち石への熱も冷めてしまって、標本がどこにいったのかもわからない。
きっと邪魔くさくて家族に棄てられてしまったのかもしれない。

『プライスレス』などという言葉が出てくるずっと前の時代であり、経済主義のなんたるかを全くわからない幼い僕にとっては、自分の持つ価値を大人の世界に踏みにじられてしまったような、なんとも切ない気持ちになって、それが軽いトラウマになってしまったことは間違いないのだ。

今思えば、子供がキラキラした瞳で何かに没頭すること自体がそれこそ『プライスレス』であり、その時作った稚拙な標本は、ある意味本当の宝であった。

しかしそれ以来、僕は古切手集めや古銭集めにハマっても「これをお金に換算したらいくらなのか」ということばかりに気がいってしまい、そんなギスギスとした趣味は長続きしなかった。

あの石たちが何千年も何万年も昔から、僕にこんなことを教えるために地中深くでずっと待っていたのかと思うと、僕は今でもやるせない思いにかられるのだ。

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