見出し画像

医薬品開発に関わる者にとって、薬は「子ども」である

これまで薬のリスクに関する話をしてきましたが、今回はちょっと毛色の違う話をしたいと思います。医薬品開発に携わっている人たちが新薬に対してどれだけ愛情をもっているか、というお話です。

私は今製薬会社で開発部門に所属しておりますが、新薬の発売が決まるようなタイミングでは社内でお祝い会のようなイベントが催されることがあります。その場面で会社の部門長にあたる方々がこんな言葉を言っていたことがありました。

「やんちゃ娘ですが、(セールス部門の皆さんに向けて)どうぞよろしく」
「この子はなかなか難産でした」

そう、新薬が「子ども」にたとえられているのです。

医薬品に限らず、新製品の開発に関わる仕事をされている人であれば、もしかしたら共感できることかもしれませんが、自分が開発に関わった製品というのは子どものようなものなのです。

これは、私が最初に就職した会社で基礎研究に携わっていたときにも感じたことで、特にモノを生み出す化学合成研究者の方は合成した化合物たちに対して愛情を持っているように感じました。私自身は当時生物系の研究者で、合成研究部門から頂いた化合物を使って生物学的試験を行っていたのですが、化学合成研究者の方から試験用の化合物を受領するときというのは、特別なものでした。大事なお子さんを預かったような、そんな感覚です。そして、基礎研究段階で関わっていた化合物が臨床試験の相を進んでいく様子を見るのは、まるで赤ちゃんの頃から知っている子が成長し、小学校、中学校へ進学するのを遠くから見守っているような気分でした。医薬品開発に携わる人すべてがこのような感覚を持っているとは断言できないですが、自身が関わった化合物に愛着を持っている人は少なからずいらっしゃると思います。

さて、世の中の親の皆さんが自分の子どものことを完璧に知っているわけではないのと同様に、薬を生み出し世に送り出す製薬会社もその子どもたる薬のことを完璧に知っているわけではありません。医薬品の承認が得られるまでに、製薬会社は様々な検討をして情報収集するわけですが、それでも有効性や安全性、あるいはその薬そのものの製造に関して完璧に情報を集められるわけではありません。発売して、より多くの方に使用された結果、見えてくる薬の性質もあります。ですので、製薬会社は販売後も継続して情報収集を行い、何か広く周知すべきことが見つかったら、情報発信を行います。

このように、製薬会社はずっと自社の薬たちのことを見守り続けているのです。発売したら終わりではなく、むしろ始まりだと言ってもいいかもしれません。先ほど私は臨床試験を進んでいく様子が小学校、中学校へ進学するよう、と言いましたが、何なら中学校入学=発売くらいのイメージでもよいのかもしれません。

製薬会社の研究開発には、こんな愛情あふれる場面もあるということを知ってもらえたら嬉しいなと思います^^

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?