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推し、弔う。✿第8回|実咲

「光る君へ」第9話に行成ゆきなりの登場はありませんでした。
しかし、本編は中々に衝撃的な内容で(ネタバレのため伏せますが)心が千々に乱れている視聴者の方も多いのではないのでしょうか。
皆様も一様に悲しく、切ない場面の多い放送回だったかと思われます。

今回の第9話に登場した「とり辺野べの」という地名。
古典に少しでも詳しい方はこの地名が聞こえた瞬間「察した」のではないのでしょうか。

鳥辺野というのは明確には分かりませんが、現在の京都の市中から鴨川を越え、清水寺のふもとの南西部あたりから阿弥陀ヶ峰にかけてのエリアを指します。
ここは、平安時代葬送の地でした。
貴族であればここで土葬や火葬が行われたり、庶民は遺体を運んできては鳥葬や風葬のように野ざらしにしていたりしました。
鳥辺野とはまさに、あの世に一番近い場所でした。
作中でもカラスが印象的に登場しますが、鳥辺野という地名も、うち捨てられた死体に群れていたカラスに由来するものです。

もう少し後ろの時代になりますが、平安時代の終わりごろに武士である平氏が力を持ち始めます。
この平氏の京都での本拠地というのが、鳥辺野に近いろく波羅はらというエリア。
あの世とこの世の境目のような、今でいうところの事故物件に近い場所に住んでいたことになります。

「光る君へ」より前の平安時代のはじめの頃に活躍した、百人一首歌人でもある小野おののたかむらという人物。
彼はあの世とこの世を行き来し、閻魔大王に仕えていたという伝説があります。
篁があの世に出勤する際に使っていたとされる井戸(近年発見されました)がある六道ろくどう珍皇ちんのうは、この鳥辺野の入り口に位置します。
道長の日記、『どう関白かんぱく』にもこの六道珍皇寺と思われる寺の名前が出て来ます。
紫式部は『源氏物語』で愛欲の世界を描いたことから地獄に落ち、小野篁がそれを助けたという伝説があります。
その伝説の縁から、二人の墓は現在並んで京都市中にあります。

さて、行成が頼れる身内の少ない人物であったことはこれまでも述べて来ました。
行成はこの後の人生でも悲しい肉親との別れが何度もありました。
どこか無常感を胸に秘め続けていた人生であったことは、『ごん』の記述からもうかがえます。
行成は非常に愛妻家な一面があり、妻とは大変仲が良かったようです。
ただ、この妻は出産に際して亡くなってしまいます。
行成は大変嘆き、妻を喪った悲しみの言葉と共に、結婚記念日から亡くなった今日までの思い出を『権記』に書き記しています。

そして、妻の遺骸を葬送の地である鳥辺野で火葬しています。
しかし、特筆すべき点はこの後。
行成は翌日白川で散骨をしているのです。
これは当時としてはほとんど例のない、大変珍しいことでした。
後に行成は、寺に安置していた母と祖父源保光やすみつの遺骸を改葬しますが、これも焼いて鴨川へ散骨しています。
これは行成の死生観や個人的な感情に起因している、特別なことでした。

ドラマの中でも十分に伝わって来ましたが、様々な人の悲しみが積もったこの鳥辺野の地。
藤原道長も後にこの地で火葬されています。

(つづく)

書いた人:実咲
某大学文学部史学科で日本史を専攻したアラサー社会人。
平安時代が人生最長の推しジャンル。
推しが千年前に亡くなっており誕生日も不明なため、命日を記念日とするしかないタイプのオタク。