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特攻文学としての《ゴジラ-1.0》|第16回|井上義和・坂元希美

(構成:坂元希美)

⑯まだまだある特攻文学映画
《ターミネーター1、2》 


未来にコミットするのか、操作するのか


坂元
 今回は近未来SF作品《ターミネーター》シリーズから、映画の《ターミネーター2》です。1作目込みで考察します。

 特攻文学はサイボーグでも成立するのか、ちょっと自信がないのですけれども、「未来」「死」「父」「自発的な行動(brave)」が揃っていて、観た人にカタルシスをもたらすところから、特攻文学映画ではないかと思いまして。

井上 ずいぶん昔に観た記憶がありますが、細部はほとんど忘れてしまっていたので、今回改めて1作目と2作目を観なおしました。すると、若いときのように素直に楽しめない(笑)。まず、作品の世界観の軸となる、時間移動の設定がいろいろ気になって、なかなかドラマに没入できなかったです……1作目で「カイル、そんなことしていいのか!」とツッコんでしまって(笑)。

坂元 複雑ですもんね。有名な作品で、わりと最近まで新しいエピソードやスピンオフの映画、ドラマが作られているので、ストーリーを知っている方も多いでしょう。今回取り上げる《T1》《T2》のあらすじです。それぞれ1984年と1991年に公開されました。

 近未来、人類と機械の戦争が勃発する。泥沼化する状況で2029年、機械側は人類側リーダーのジョン・コナーを抹殺するために、ジョンが生まれる前の「1984年」に母親となるサラ・コナー(リンダ・ハミルトン)を殺そうとサイボーグT800型ターミネーター(アーノルド・シュワルツェネッガー)を送りこむ。それを察知したジョンは自分の母を守るために、部下のカイル・リース(マイケル・ビーン)を送り出した。こうして1984年のロサンゼルスを舞台に、サラとカイルはT800を相手に死闘を繰り広げ、ついにT800を倒したものの、カイルも死んでしまう。ただ、その前にサラとカイルは結ばれており――「カイル、そんなことしていいのか!」ですね(笑)――、カイルを父親として無事にジョンは誕生し、数十年後の人類勝利への希望をつなぐ。

《T2》の舞台は、ジョン(エドワード・ファーロング)が10歳になった「1994年」。機械側は子どものうちにジョンを抹殺してしまおうと、最新のT1000型ターミネーター(ロバート・パトリック)を送り込んでくる。人類側リーダーのジョンも少年の自分を守るために、旧型ターミネーターT800(10年前と同じタイプ)を派遣する。今度はサラ+ジョン+T800がT1000を相手に死闘を繰り広げて、辛くも勝利を収めることができ、未来で人類を勝利に導く可能性をつないだ――というストーリーです。

井上 2作目では物語の3年後の「1997年」に、人類対機械(スカイネット)の戦争が勃発して核兵器が使用される(これが映画の副題にもある「審判の日Judgment Day」)という設定があります。サラはそのことをカイルから聞かされて知っているため、この10年間は「息子ジョンを人類のリーダーに相応しく育てる」「審判の日を阻止する」という2つのミッションを自分に課してきた。

 まず、スカイネットを開発することになるサイバーダイン社を破壊しようと爆破未遂事件を起こし、精神疾患のある犯罪者として精神病棟に収監されますが、T800の登場で脱走し、ジョンと再会する。そこにT1000が追いかけてきて……となる。

坂元 サラは、1作目でスカイネットがT800を過去に送り込み、人類を勝利に導くジョンがいない未来を実現しようとしたように、スカイネット誕生の芽を事前に摘むことで「審判の日」を阻止して、未来を平和な世界へと変えようとします。これは、「未来を生きるための戦い」(《ゴジラ-1.0》野田健治の台詞、147頁)なのかなと。

井上 たしかにサラの行動はすべて未来のためです。しかし、この《T2》の世界観における「未来」は、《ゴジラ-1.0》における「未来」とはだいぶ異質だと思いますよ。そもそもスカイネット誕生の芽は、未来から送り込まれてきたターミネーターの部品に含まれる技術情報にあるわけなので、いったいどの時点が「因果の起点」なのかがわかりにくい。

 しかも、ことの発端は未来にあり、導くべき結末がわかっている。子孫のために未来にコミットする特攻文学の文脈には当てはまらないような感じがしますね。

坂元 時間移動が《あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。》のような、どこに辿り着くかわかっていない偶発的なタイムスリップではなく、移動先の時代をあらかじめ設定するタイムトラベルによるストーリーなので、偶然性が低く、操作しようとしていると感じられるということですね。

井上 そうです。《あの花が咲く丘で…》だけでなく、日本の創作特攻文学のタイムスリップはみな偶発的であり、サラのように未来の出来事(日本の敗戦)を変えるべく奮闘するという事例は皆無です。SF的な架空戦記はありますが、特攻文学とは別ジャンルになりますね。

坂元 2029年のジョンは、人類の未来へコミットするべくスカイネットと戦っています。1984年に無事に自分が生まれ、1994年に生き延びることができれば現在(2029年)につながるので――このややこしさがSFらしいんですけれど (笑)。しかし過去での勝敗がどうなるかはわからないので、未来はわからないということになります。

誰が命のタスキを持っている?


井上
 この物語のややこしさが、未来が過去の原因となる「ウロボロスの環」のような構造に由来することはよくわかりました(笑)。

この因果の円環から抜け出る手がかりは、命のタスキリレーにあります。

ウロボロスの輪
哲学者ヨハン・ゴットフリート・ヘルダーの墓碑にあるウロボロス

坂元 ということは、《T1》のカイルが起点になるはずですね。人類の未来がかかった危険なミッションを引き受けたわけですから。

井上 はい。カイルは、サラを守る(ことで未来のリーダーを守る)使命を帯びて派遣されてきたけれど、まさか自分がサラと結ばれて死ぬとは思っていない。サラも、謎の敵に襲われて、未来から来たという謎の男(カイル)に助けられるけれど、普通に考えたら意味不明ですよね。この時点では、2人とも自分たちの未来を知らないから、ギリギリの状況下でギリギリの判断を下しながら行動しています。

 逆に言えば、サラは、カイルと結ばれてもなお、彼が話す未来のための使命については半信半疑だったはずです。しかし、カイルが自らの命を犠牲にしてターミネーターを爆破したときに、その使命が真実のものとなった。サラは、カイルから命と引き換えのメッセージ(遺志)を受け取ったわけです。

 こうして、命のタスキのリレーは、カイルから始まる。

坂元 そういえば、《T2》の序盤では、サラが精神病棟で拘束され、それでも必死に「審判の日」やスカイネットの話をして、誇大妄想だと診断される様子が出てきます。サラがあそこまで狂気じみていたのは、カイルから命のタスキを受け取り、使命を負ってしまったからなのですね。《T1》でのカイルとよく似た行動を取り、同じような扱い(妄想の診断)を受けている。

 サラは、カイルに託されたタスキを未来につなぐために、孤軍奮闘していました。息子ジョンに戦い方や、生き延びる術などの英才教育を施したのも、サイバーダイン社を吹っ飛ばそうとしたのも、未来のため。母親という役割を犠牲にして、使命を果たそうとしていたんです。

井上 少年ジョンは里親に預けられ、母親から聞かされてきた未来の出来事は彼女の妄想である可能性を捨てきれずにいました。

 けれどもT800が目の前に現れて、自分を守るために来てくれたのだと知ったとき、母から教わった未来の話が真実味を帯びてきます。ただ、未来の人類のリーダーになる、という自分の使命については、まだピンときてない。カイルから託された命のタスキは、母親が握ったままです。

ターミネーターは父的な存在になれるのか


坂元
 《T2》は「父親不在」をどうするかという物語でもあります。少年ジョンはT800に母は自分のためにいろんな男を父親代わりにしようとしたけれど、みんな去って行ったという話をしつつ、ふざけ合ったりして楽しそうにしている。サラはそんな我が子を見て、ふとこんな考えを抱く――。

ジョンとあの機械を見ていて、すとんと腑に落ちたことがある。
ターミネーターは、決して止まることがない。
ジョンのそばを離れず、傷つけたり、怒鳴りつけたり、酔っ払って殴ったり、忙しくて一緒にいられないとか言ったりしないだろう。いつもジョンのそばにいて、彼を守るために死ねるだろう。
何年もの間、現れては消えていった父親候補たちの中で、この機械だけがジョンの父親としてふさわしい。
狂った世界では、いちばんまともな選択肢だ。

(映画の英語字幕より坂元訳)

 サラは、使命に生きる中では(逆に)T800こそがジョンの父親代わりにふさわしいと確信した…ここ、英語の台詞を確認するとすべて過去形になっています。《T1》でやがて産まれてくるジョンのために自分の経験を録音していたのと同じで、後から振り返ってのモノローグなんですよね。

 おそらく、このシーンではふわっと上記のようなことが浮かんで、平和な情景に囲まれながらそんなことを夢想して、もしかしたらそれが人類と機械が共存できる理想の一端なのかな……と思いながら眠りに落ちたけれど、やはり人類を破滅させるイメージが勝ってしまった。

井上 たしかに、T800はジョンからスラングや表情の作り方、なぜ人間は涙を流すのかなど教わりながら人間らしさを学習していき、親子のような結びつきが生まれます。でも、ジョンとT800の関係はどこまでいっても命令する側/される側の関係なのですよ(T800はジョンの言葉を命令として受け取るようプログラムされている)。そこがクリアされない以上、この作品は特攻文学にはなりきれないのではないかと感じたのです。

坂元 しかし、上記のサラが感じたT800の「父親らしさ」は、第5回で《ゴジラ-1.0》の敷島が明子の「父になる」瞬間に井上さんが感じた“子どもの未来のために死ねれば本望、というのが父親の覚悟”であり“これぞ「お父さんの理想の死に方」”に当てはまるように思うんですよ。T800自身がそうしようと思ったわけではないけれど、ミッション=使命がそうさせたというように。

井上 なるほど、T800の「自発的な行為」は人間としての意志や希望に基づくものではないけれど、AIのベースになるプログラムが人類の未来のために作られているのであれば、特攻文学的な要素になる可能性があると坂元さんは感じたわけですね。

 いや、もしかしたら、特攻文学的な「父になる」というのは、人間らしさの延長上ではなく、むしろ人類の未来のためのプログラムを起動させて「ターミネーターになる」ということなのかもしれませんね。家族としての父親らしさと、未来のために死を覚悟して「父になる」のあいだには、明らかに飛躍があるから。ただ、「ターミネーター」へとジャンプするのは、人間としての自分の意志だと思いたいですが。

《T2》の話に戻すと、T800の「父親らしさ」は、その内面ではなく(人間的な感情はないので)、もっぱらジョンとの関係性によって規定されると考えるならば、T800の命と引き換えの行動からジョンが何を受け取るのかが問題になりますね。それ次第では、特攻文学たりえるかもしれません。

 T800は「父になる」のかという問題は、また後で議論しましょう。

もし、ダイソンがちゃんと「同志」になっていたら…


坂元
 《T2》で発生する未来のための「自発的な行動」は2か所あり、ひとつはサイバーダイン社の特殊開発部部長・マイルズ・ダイソン(ジョー・モートン)が参加するところです。

 彼は、1984年のT800が残したマイクロチップなどの部品からスカイネット誕生につながる技術開発を行うことになっているため、サラはその前に殺害しようとします。しかし、銃を突きつけられても幼い息子を含めた家族3人が互いを守ろうとする姿を見て、サラはどうしても殺すことができなかった。そこに駆けつけた少年ジョンとT800で、ダイソンを説得する。T800から肘から先の骨格を見せられ、未来の戦争と3年後に迫った「審判の日」についてダイソンは納得し、部品の持ち出しと、建物ごと研究に関する資料を破壊することに同意しますが、残念ながら巻き込まれて死亡してしまいます。

井上 その前にちょっと言わせてください(笑)。ターミネーターが未来から派遣されると、いつも、大量の人間がいとも簡単に命を奪われていくのですよ。《T2》ではT1000がジョンを追跡しながら邪魔な人間たちをどんどん殺していく(殺す自覚もなしに)。人命があまりにも軽すぎるのです。

 ただ、そのなかにあって、T1000ではなくて、人間によって殺される数少ない(《T2》では唯一の?)登場人物が、技術者のダイソンなのです。

坂元 あのう、ターミネーターは人類との戦争のために開発された「殺人機械」ですから、設定上、どんどん殺していけるんですよ……。その平板な大量殺戮ぶりの恐ろしさと対照的に、人が人を殺すのは大変だと描いているのでしょうし、「大量の人間がいとも簡単に命を奪われていく」未来がやってこないように、サラたちは必死になっているわけです。

 たしかにT1000がスカイネットの生みの親になるダイソンを殺すわけがないし、逆に、T800のミッションにダイソン殺害が含まれていてもおかしくない。でも、T800は少年ジョンから「人間を殺してはならない」と命令されてしまいましたからねえ。

井上 はい。ともかく、ダイソンは未来の戦争のカギを握る、超重要人物なのですよ。でも、そのことをダイソン自身は知りませんから、問題認識のあり方において、サラとは齟齬があるのではないでしょうか。

 未来の機械側が過去にターミネーターを送り込んで人間側リーダーを誕生(成長)する前に抹消しようとしたのに対抗して、サラは、機械側のもととなるスカイネット誕生を阻止しようと考えました。その目的ためには、ダイソンを殺すよりも、彼に施設侵入の手引きをさせて研究資料そのものを爆破することを優先したのは合理的な判断といえます。

 でも、ダイソンにとってはどうでしょうか。頭のおかしな女が、いきなり自宅に乗り込んできて自分を殺そうとするのですよ。先ほど、坂元さんは、ダイソンはサラの未来話に「納得」して研究施設の爆破に「同意」したかのようにおっしゃったけれど、それ以外に選択肢がないという状況に追い込まれている。

坂元 ダイソンからしたら、狂信的なテロリストに銃を突きつけられて、死にたくなければ協力しろと脅されている状況がずっと続いている……みたいな。

井上 そして、研究施設で爆破の準備ができて脱出しようとしたとき、警察の特殊部隊が突入してくる。起爆装置を持ったまま銃弾を浴びてしまったダイソンは、力尽きて自爆し、結果として、人類の未来のために自分の命を投げ出す、というカイルと同じ最期を迎えるわけですが、T000の追撃をかわさなければならないサラとジョンには、ダイソンを顧みる余裕はありません。彼は「同志」にはなれなかった。ほんとうに気の毒で、いまでもネットでは「ダイソンさん、かわいそう」の感想があふれているほどです。

 ダイソンが、サラやジョンと「同志」になっていくプロセスをもっと丁寧に描いていたら、彼はじゅうぶん命のタスキの中継者になりえたはずです。

坂元 ダイソン、本当にかわいそうすぎますよ。井上さんがおっしゃるように、きちんと「同志」になっていたら、自爆するときに「幼い我が子が平和に暮らせる未来にしたい」と念じたかもしれません。私はずっと納得し同意したと解釈して、「ダイソン、さすがはスカイネットを開発する優秀な科学者だ。飲み込みが早い!」と感心していたんですよ(笑)。

 映画的にはこのシーンからの銃撃戦、T1000の襲来が見せ場ですけれど、私はダイソン殺害未遂の場面から、特攻文学的な展開になってきたと思います。それについては、また後で触れることにします。

T800に命令や義務を超えたbraveはあったのか


坂元
 もう1か所は、有名すぎるT800が溶鉱炉へ沈んでいくラストシーン。T800とサラは、液体金属の体を持つT1000を製鉄所の溶鉱炉に転落させて勝利します。そして、同じ溶鉱炉にサイバーダイン社から持ち出したマイクロチップと部品を投げ込んで抹消する。さらにT800は同じマイクロチップを持つ自分も破壊しなければならないとサラとジョンに告げます。

井上 T800は自殺ができない設定だから、自分がつかまった鎖を溶鉱炉に下げるボタンをサラに押させる。これを「自発的な行動」とみなせるのかは、疑問です。T800が自ら溶鉱炉に入るのは、2029年のジョン(母の教えに従ったジョン)が設定したとおりだからです。

 つまり、サラとジョンの二人がすべての進行を支配しているのです。カイルから未来の知識と人類を守る使命を受け取ったサラは、そこから演繹的に、あらゆる判断を下していく。ジョンは、母親サラを信頼して、その判断に従う。そして、T800は少年ジョンの命令に従って行動する。

 ということは、最後の最後まで、T800には、命令や義務を超越した自由意志によるbraveはないと思うのですよ。

 たしかにT800が溶鉱炉に沈んでいく場面で、ジョンは涙を流しますが、それは身体を張って自分たちを守ってくれたT800に「父親」のような感覚をもったからでしょう。大切な家族や親しい人との別れは誰にとっても悲しいですからね。

 以上をまとめると、《T2》において未来のために自分の命を投げ出したのは、ダイソンとT800ですが、どちらも「自発的な行動」——命令や義務を超えたbrave——だったかという点には疑問が残ります。そのうえで、人間であるダイソンの死はあまり顧みられず、ターミネーター(T800)の死には涙が流されたのは、共有した時間の長さと濃密さが違うから、ということになります。

「死」を目の前にして「母」となったサラ


坂元
 なるほど~。特攻文学のように思わせる感動ストーリーではあるけれど、似て非なるものではないかと。《T2》で命のタスキを握っていたのはサラで、人類の未来のため自発的かつ利他的な行動、つまりbraveを発揮していたのは彼女だけかもしれませんよね。

《T1》では、訳もわからず死闘に巻き込まれて、よくわかんないままにカイルを愛して、命のタスキを受け取って必死に生き延びたら無事に子どもを授かったという展開でした。しかし、《T2》では息子を鍛えながら、サイバーダイン社を壊滅させようと(現実には犯罪行為となる)「自発的な行動」をする。

 ただ、これはタスキに振り回されているというか、いまひとつ自分の意志が希薄な感じがしますけれども。

井上 ジョンとサラは親子らしい関係も希薄でしたね。希薄というより、10歳のジョンにはたいへん過酷な、すれ違いの関係です。

 未来の使命(映画の中の言葉でいうなら運命=Fate)にとりつかれているサラは、客観的には社会不適合者ですが、子どもにとっては、自分の母親がそうだとは思いたくないし、自分を愛してくれていると信じたい。サラも、息子ジョンを大事に思っているけれど、母親が我が子に向ける愛情よりも、未来の人類からリーダーを託された使命感のほうが、どうしても上回ってしまう。

 だから、ジョンはサラの期待を裏切りたくないけれど、「母親らしさ」を求めては、突き放されてガッカリする……客観的には、まるで不適切な養育を行う親と被虐待児童の様相を呈しています。

坂元 今で言うところの「教育虐待」みたいな感じですよね。

井上 あー、まさにそれに近いと思います。「我が子のために鬼になる」親と、「鬼ではない親を取り戻すために期待に応えようとがんばる」子。この二者関係はつらい。ただ、そこにT800が加わって三者関係になったときに、なんとも不思議な「家族らしさ」が出てくるのですよね。

教育虐待

坂元 ジョンとサラの希薄な親子関係は、ちょうど海神作戦までの敷島と明子の「なりきれていない」感じにも似ています。それがダイソン殺害未遂事件で、ガラッと変わる。それまでサラが目の前にしていた自らの「死」は、核爆発によってもたらされる運命というイメージでした。

 それが人間を殺傷しようとしたことで、現実のものとして目の前に現れた。駆けつけたジョンに
「もう少しで……もう少しで……(人を殺すところだった)」
と動揺した姿を見せてしまう。そして、ジョンを見つめて、
「ジョン、愛してる。今までもずっとそうだったの(I love you, John. I always have.)」
と言うところが「親になった」瞬間で、まさに敷島の「俺はお前のお父ちゃんだ」という宣言と同じだったのではないかなと。

 少年ジョンは、母を取り戻すというか、本当の母と出会ったのだと思います。

井上 あー、そういうことでしたか! なるほど……。サラは「未来の使命を帯びたエージェント」から、「母親としての自分」を取り戻したのですね。それは、恐怖におびえるダイソンの目線だと見落としてしまいがちな重要な変化です(笑)。

命のタスキリレーは2系統あった!


坂元
 サラは、自分がダイソンを殺そうとした瞬間に「死」を突きつけられて、ここで「未来」と「死」と「父(母)」という3要素が噛み合いました。第5回では、このとき特攻文学的なカタルシスがもたらされると考察しましたが、まだ映画の中盤なんですよね……カタルシスはお預けです。

井上 そうですね。特攻文学的なカタルシスがあるとすれば、少年ジョンに命のタスキがしっかりと託されて、(母親に従うのではなく)自分の使命に目覚めることかなと思います。サラが「母になる」のは、息子への愛情を言葉にしたときだとしても、これがジョンにどのような変化をもたらしたのかは、わかりません。それだけでは、リーダーになる自覚は生まれないと思うのですよね。

 やはり、T800が溶鉱炉に入ったとき、ジョンはT800から命のタスキを受け取ったんじゃないかと思い直しました。

 たしかにT800の自己消滅は命令(プログラム)の帰結であり、人間が発揮する自発的なbraveとは違う。でも、ジョンにとっては、あれこそがT800が「父になる」瞬間だったのではないか。いつもそばにいて自分を守ってくれる不死身の存在から、家族と別れても人類の未来のために命を投げ出す存在へ。T800のプログラムとしては、両者は連続的だとしても(そしてサラもそのことを理解している)、まだ10歳のジョンには想定外の、簡単には納得できない行為として受け止められたはずです

「だからこそ」ジョンは、自分も人類の未来のために命を使おうと魂の底から思ったのではないかと。ジョンが、その後人類側のリーダーへと成長していくのは、T800から命のタスキを受け取ったからであって、母親がしつこく教育したからでは断じてない(笑)。

坂元 T800が自らの意志でbraveを遂行したようにジョンは解釈して、「父」からのタスキを受け取った。というか、受け取ってしまったわけですね。

よくやった

井上 そう考えると、命のタスキリレーには、カイル→サラと、T800→ジョンという2系統あることになりますね。(意外にも)サラ→ジョンではなかった、というのが重要なポイントであるような気がします。坂元さんの仮説につなげると、サラが「母になる」ことで、ジョンはT800を「父にする」ことができた、となります。

 これはじつに深い……。まさかこんな展開になるとは……ちょっと驚いています。

坂元 なんというか、《T1》でカイルとサラが結ばれるときのセックスシーンや、精神病棟での虐待シーンはどうなの、いらんやろと思っていたんですけれど、「人間にしかできないこと」と「機械が(人間のために)できること」を強調したかったのかしらと思い直しました。機械との共存の可能性と同時に、殺人機械だけが人類の脅威ではない、みたいな。

 ようやく「未来」「死」「父(母)」「自発的な行動(brave)」がつながりました。溶鉱炉に沈むターミネーターが親指を立てたハンドサインで「よくやったぞ!」とジョンに伝えて、やっと壮大なカタルシスがもたらされます。ラストのモノローグで「未知の未来がやってくる」と言ったサラは、やっとタスキを手放すことができたのでしょうね。

 2系統のタスキリレー、カイル→サラは《あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。》の彰と百合のようですし、T800→ジョンは《ゴジラ-1.0》の敷島と明子、あるいは秋津と水島のようでもありますね。この2系統をつなげることになるのは、やはり「人類の未来のため」に自らの命を懸ける存在でしょうかね。

井上 2系統のつながり方にこだわりたいのですけれど、直列ではなくて、並列であることに意味があるのかもしれません。どうも、直列(カイル→サラ→ジョン)だと、命のタスキがうまくリレーされないんじゃないか……という気がするのです。

 命のタスキは、教育的な伝達(だけ)では、手渡すことができない、というか。

 もしサラ→ジョンというリレーが成り立つとしたら、サラが「母になる」こと、つまり未来の使命抜きで母親としてジョンと向き合える関係を再構築すること――カイル→サラのリレーからいったん離れる――が必要条件だと思います。

坂元 文字通り、タスキを「手渡す」ための関係性の再構築ということですね。

《T1》《T2》はタイムトラベル、人類と機械(AI)の全面戦争というSF要素がギュッと詰まった作品であると同時に、特攻文学要素を持つといってもいいでしょうか。

井上 はい。「因果の円環が気になって没入できなかった」「プログラムと命令で動く機械にbraveはない」などと口走ったことを、いまでは反省しております(笑)。

 命のタスキリレーという補助線を引くことで、因果の円環から抜け出し、特攻文学要素を浮かび上がらせ、それらの関連を分析することが可能になりました。逆に、そうした見方を重ねることによって、SF作品としての魅力も増すのではないかと思います。

坂元 それにしても、スカイネットがターミネーターを送り込んでくる2029年まで、あと5年ですよ。実際にAI技術はこのところ急速な進歩を遂げていて、特にChatGPTなどの生成AIは私たちの日常生活に浸透しつつあります。この連載を読ませたら、生成AIが特攻文学映画の大傑作を創り出すかもしれないです!


 「特攻文学になりきれていない作品」として取り上げたはずの《ターミネーター》が、意外な方向へ行ってしまいました。次回は巨大彗星が地球に衝突する《ディープ・インパクト》について。この作品は特攻文学たりえるのか…?

どうぞお楽しみに!


◎著者プロフィール

井上義和:1973年長野県松本市生まれ。帝京大学共通教育センター教授。京都大学大学院教育学研究科博士後期課程退学。京都大学助手、関西国際大学を経て、現職。専門は教育社会学、歴史社会学。

坂元希美:1972年京都府京都市生まれ。甲南大学文学部英文科卒、関西大学社会学部社会学研究科修士課程修了、京都大学大学院教育学研究科中退。作家アシスタントや業界専門誌、紙を経て、現在はフリーのライターとしてウェブメディアを中心に活動中。がんサバイバー。


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