8|あえて食べてみるバナナクッキー、あえて描いた魚の図
如翺から寿さんへ
◇ パイナップルケーキの名店にて
ちょっとしたご縁で、毎年初夏に、台湾での茶会イベントに参加させていただいています。日本では、まだ半袖には早いかなと思える5月の上旬、台湾の湿った熱気に夏休みを先取りしたような気分です。
茶会を終えた翌日、今年はパイナップルケーキの名店“SunyHills”さんの本店に連れて行っていただきました。パイナップル畑に囲まれたスタイリッシュな店舗の中で、私は名物のパイナップルケーキ、ではなく、バナナワッフルクッキーをいただきました。
そして飲み物はやはり台湾烏龍茶で、と言いたいところですが、すすめられるままにコーヒーを頂戴しました。
バナナワッフルクッキーは、型抜きの絵柄になっていて、私のお皿に載っていたのは、猫と蝶の図柄でした。猫も蝶も形が崩れないように指で押し出そうとしましたが、蝶が小さくて、きれいに抜くことができず、蝶に悪いことをしたなと思いながらも、本当においしく、しっとりとしたバナナの濃厚な甘さを楽しませていただきました。
「猫と蝶」の型抜き図柄。私は、流石だな、と思いました。
中国語で「猫」は、70歳を表す「耄」と同じ発音であることから、長寿を示す吉祥文様です。「蝶」も、80歳を意味する「耋」とやはり中国語では同じ発音ですので、長寿を示す縁起のいい図柄なのです。
猫が蝶を追いかけている図は、中国絵画や文様として大変よく見るモチーフの組み合わせ方で、まさしく長生きを喜ぶ意味なのです。
このような古典素材を使ってお土産物の図柄にするところに、古典文脈を引き継ぐ意図が感じられて、流石だな、と思った次第です。
◇ 絵を文字で読む
発音が同じであることを利用して、「猫」が「耄」つまり長寿を表したり、「蝶」が「耋」、これも長寿を表すといった、同発音を利用した意味の作り方を「音通」と言っています。
今年、私は台湾での茶会イベントで、「鯉」の描かれた掛け軸を使いました。
鯉はそもそも「魚」です。「魚」も音通によって、非常によく吉祥文様として描かれるモチーフです。「魚」は中国語で「余」と音通し、余りのある「ゆとり」の状態、つまり豊かさを象徴します。
さらに鯉は、伝説によって以下のような意味を背負わされたモチーフです。
『後漢書』李膺伝には、こんなお話が書かれています。
中国の黄河中流に「龍門」という場所があり、そこは大変な激流になっています。その流れの下にはたくさんの鯉が集まっていて、ほとんどは激流を登っていくことが出来ません。
しかしその激流を登っていく、ほんの一握りの鯉がいて、その鯉は「龍になる」と言われているのです。鯉が激流をさかのぼって龍となる、このエピソードは「登龍門」と言われ、「出世」を表すのはご承知の通りです。
一方、これが今回茶会で使った掛け軸です。
わりと身に肉があり、かつ引き締まった「魚」なので、いい意味での「余り」、「豊かさ」を感じることができるのではないでしょうか。
しかし、描かれているのは激流でもなければ、ましてそこを力強く登って行き、龍になるほどの勢いもない、静かに下向く鯉なのです。
さあ、このギャップをどう読んで、どう解釈して、どう意味づけていくのか、絵の上の方に書かれた漢詩を読み取って、ヒントをもらって来ましょう……、……。
と、言うように、ひたすらに、文字の発音、文字で書かれた伝説、文字で書かれた漢詩……、文字、文字、文字……と、絵を見ているのに文字を探り続けるこの感覚、まさに、フェノロサ・岡倉天心たちが最も嫌悪した絵の描かれ方であり、読み取り方だったのです。
◇ 東京美術学校派?
寿さんが述べられていた、フェノロサと岡倉天心による、南画排斥運動や「つくねいも山水」という揶揄の仕方。
中国の古典的な山水画が、たんなる「山の風景画」ではなく、「猫」や「蝶」、「鯉」の絵よりももっともっと複雑に、文字で書かれてきた歴史、文字で紡がれる詩情、文字で考え、文字で編まれてきた思想や哲学を、たまたま「山」というモチーフで紙面に書き下ろした「抽象概念」である、ということを彼らは見切っていたのだろうと考えています。
文字によって広がる言葉の世界と、線と色彩によって立ち上がる絵画の世界が、同一であってはいけない、言葉の世界とは切り離されたところに絵画の世界がある、
それこそが西欧化する近代日本の「美術」だ、
まして、「文字」と「絵」が未分離状態の混沌とした中国の山水画を、中途半端に真似ただけの、日本人による中国風の画としての「南画」など、早く辞めてしまって、
純粋な「日本」の「美術」を西洋へ向けてアピールせよ、
というのが彼らの主張であり、東京美術学校が発し続けるメッセージでした。
こういった言説は、寿さんのご指摘の通り、「東京」を中心に、中央の政策として、「演説」「新聞」などの媒体を通して、語られていったのです。
ただ、こういったことが語られるということは、そうではない現実が裏にはあるからで、依然として「文字」と「絵」が未分離で、「中国」と「日本」とが曖昧に文化的に連続している、そんな状況があったのでしょう。
寿さんとのやり取りの中でたびたび話題になる田能村直入は、京都や大阪にいて、フェノロサや岡倉天心からすると、旧態依然とした世界の中心的人物だったことでしょう。
ちなみに先ほどの「鯉図」は、東京美術学校の第2期生、「日本」の「美術」を新たに立ち上げて行くための、色濃い教育を受けた人、そしてこの絵を描いたころには、京都で煎茶趣味にハマっていた、無名の画家・杉野遷山によるものです。
この絵が「魚」、「鯉」、「登龍門」の伝説、そして書かれた漢詩、という、言葉の世界を紐解くことで一体何が見えて来るのか、それはまた、稽古場での話のようで。。。
如翺 拝
寿 様