推しと、来たるもの。✿第46回|実咲
隆家の成長著しく、かつて花山法皇に矢を射かけたやんちゃっぷりは遠い日のことのようです。
刀伊の入寇でなんとか敵を追い返した隆家たち。
今回の「光る君へ」ではその事後処理についても描かれていました。
隆家が送った外敵襲来の第一報は、10日後の寛仁3年(1019年)4月17日に都に到着しました。
なお、様々な不測の事態を想定して、隆家は実資にも私的に同じ報せを送っています。有能すぎる……。
4月18日には恩賞を約束した命令が出されていますが、もちろんその頃にはとっくに戦闘は終結しています。
同じく18日には陣定が開かれていますが、公卿たちはなんとも煮え切らない対応。
6月29日の陣定では、恩賞を約束した命令書が出たのは戦闘が済んだ後なのだから恩賞は不要だ、という意見が公任・行成から出されます。
しかし実資は、もしも今回恩賞が出なければ、今後同じような外敵の襲来があった際に皆が死ぬ気で戦ってはくれないだろう、だから恩賞を与えるべきだ、という意見を出します。この意見に頷いたのが斉信。
のちには公任や行成も実資に賛同することになりました。
結局「本来恩賞を与えるべきではないが」という建前のもと、一応武功のあった者には官職が与えられるなどの恩賞がありました。
公任や行成の意見は、当時からしてみれば実は道理のあったことで、本来朝廷としては戦いの必要を認めた際に、追討の命令を出し、それに対して恩賞を出すというルールでした。
ルール、先例を知りそれに合わせて執行するのが貴族の倣いなので、それほど間違った思考ではないわけです。
今回のような例外を認めてしまうと、理由のない戦いが生じやすくなり、おまけに正義がなくとも勝った方が恩賞をもらう乱れた世になることを懸念しているのです。
しかし、つまるところ朝廷が認めないことには、たとえ相手に非があったとしても討伐するだけ馬鹿を見るということになります。
このあたりから、「自分で何とかしなければ」「朝廷は何もしてくれない」という武家の起こりの気配がしてくるわけです。
「光る君へ」は貴族社会の一番華やかな頃ですが、すでに終わりの足音が聞こえ始めています。
時代の移り変わりの立役者たちは、すでに作中に幾人も登場しているのです。
【推し、訪る。~駆け込み訪問~】
「光る君へ」でも物語のキーとなる場所である石山寺を訪れました。
紫式部がここで『源氏物語』の執筆をはじめたという逸話があり、人形や銅像の紫式部に会えます。
現在は「光る君へ びわ湖大津 大河ドラマ館」も開館中です。
しっかり行成役の渡辺大知さんのサインも飾ってありました!
大津市歴史博物館では「特集展示 源氏物語と大津」が開催中です。
また、紫式部の父為時が出家した三井寺(園城寺)では、三井寺所有の紫式部に関する史品が初公開。
いずれも開催期間は残りわずか!
物語もクライマックスを迎える「光る君へ」にあわせて訪れてみてはいかがでしょうか。