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推し、病む。✿第24回|実咲

まひろ(紫式部)が越前から帰京したころ、伊周これちかも大宰府から戻っていました。
しかし、もうすっかり中関白家なかのかんぱくけにかつての隆盛はありません。
厄介者になってしまった空気を肌で感じながら、一条天皇の心にすがるしかない定子さだこ
みかど、仕事しろよ」と完全に顔に出ている道長と、一条天皇の間で安定の板挟み進行の行成ゆきなり
ここでついに、清少納言との会話のシーンがありました!!
道長から一条天皇に、鴨川の堤防工事の許可を得るようにと厳命され、東奔西走。
清少納言に取り次ぎを頼むも、一条天皇に自分を追いかけ回すなとなじられてしまいました。

行成はこの頃、完全に労働過重です。
「光る君へ」の作中だけでも(恐らく)自宅や宮中、詮子あきこのところまで駆けずり回っています。
作中で道長が、一条天皇をいさめるために辞表を出すのですが、「蔵人頭くろうどのとう行成を通じて辞表を出します」と言っています。
道長がこの時期に辞表を出し、出家をちらつかせていたのは確かです。
そして、一条天皇がその受領を断ったりするやり取りに行成が介していたのも確かなのです。
行成とて決して暇ではないのです。
それどころかとんでもなく忙しいというのに、同じ日に二人の間を何度も行き来をしたりしています。
面倒なことはすべて行成に回って来るかのようです。

たとえば、文章生もんじょうしょう(大学寮で紀伝道を学んでいる学生)の試験結果に対する異議申し立ての意見が上がって来たり。
作中では、まひろの弟である惟規のぶのりもかつて文章生として学んでいる様子が描かれていました。
はたまた、儀式で使う品物が足りないという報告が来たので、なんとかあちこち調整をつけたり。
別の日には、相撲節会すまいのせちえ(相撲を行う宮中行事)の雑事にあたっていたところ、担当の役所の不備で準備が遅れたので担当者を呼び出して問いただしたり。
ほかにも儀式や政務をやれば何かとトラブルが発生するのですが、どうやら何かと行成の所にもちこまれがちの模様。
仕事はできる人の所に集まってしまうようです。

一応この過重労働っぷりは一条天皇の耳にも入っていたようです。
「職務に就いてからの働きは、評価すべきこと。後輩を励ますためにも、昇格させる」と長徳4年の正月にワンランク昇格、従四位上じゅしいのじょうに叙されています。(連載第18回参照)
ただし、仕事が減るわけではない。それはそう。
正月はもちろん行事でノンストップ進行、その後も加速する仕事量。
さらには、身内である父方の祖母も体調がよくないようで、見舞いに行ったりと忙しい。
このタイミングで道長も辞表をという話があったりするので、行成はそろそろキレていいはずです。
大内裏の門が放火で火災が発生したり、疫病(赤斑瘡せきはんそう)が流行ったり。
「光る君へ」でも安倍晴明が告げていたように、次から次へといろんなことが起こります。

さすがの行成も限界を超えたようで、宮中から帰宅する最中に体調不良になり、「心神不覚」になります。詳しくは分かりませんが、ところどころ意識が飛んでいたのかもしれません。
病床でも仕事を続けていた行成でしたが、蔵人頭と左中弁さちゅうべんの辞表を書くほどでした。
ある明け方などは、剛力の者が自分の内臓を引きずり出す夢を見るほど苦しんでいたようです。
病んでいたのは胃腸なのでしょうか……。
そのうちに何とか病も癒え、ほっとしていた所に来る一条天皇の使い。
「先日の辞表は却下。病が治ったなら、早く出勤してほしい」とのこと。
ぶ、ぶ、ぶ、ブラックーーーー!!!!
そうだ、労基を呼ぼう。(そんなものはこの時代にない)

まだ本調子でない中でも、行成は体を引きずるようにして仕事をするのです。
「光る君へ」でも描かれていた長雨による鴨川の決壊。(長徳4年9月1日の出来事)
その前日、陽明門ようめいもんのほとりで土砂降りでびしょ濡れになってしまったりしても、行成の仕事は終わらないのです。

行成役の渡辺大知さんの新しいインタビューを見ると、劇中写真も行成の顔が随分険しくなっています。
この行成の激務の蔵人頭生活は、まだまだ続くことになります。

書いた人:実咲
某大学文学部史学科で日本史を専攻したアラサー社会人。
平安時代が人生最長の推しジャンル。
推しが千年前に亡くなっており誕生日も不明なため、命日を記念日とするしかないタイプのオタク。