推し、暇なし。✿第26回|実咲
「彰子の入内は11月11日だ」
道長が前回口にしていたように、彰子が一条天皇に入内したのは長保元年(999年)11月1日のことでした。
この時、かぞえでまだ12歳(満11歳)の彰子の肩には、一族の栄達が重くのしかかっていたのです。
すでに最高権力者へとのぼり詰めていた、左大臣道長の娘の入内ですから、それはそれは盛大な準備が必要でした。
「光る君へ」第27話では、その入内にまつわる出来事が前後して描かれていました。
彰子の入内準備のひとつとして、道長は屏風歌を作ることを思いつきます。
公卿たちに道長にとって都合のよい和歌を詠ませ、それを色紙形に書いたものを絵が描かれた屏風に貼り付けるというものです。
つまり、入内を公卿たちが支持しているのだと分かるもの(屏風歌)を置く事で、彰子の入内に本音では乗り気ではない一条天皇に、無言の圧をかける仕掛けでした。
「清書は…行成に頼もう」by道長
いや、行成とて暇ではないのですよ道長……。むしろ、今一番過労死しそうな人です。
公任や斉信が和歌を献じ、行成が筆をとったこの屏風歌。
残念ながら現存はしませんが、もし残っていればとんでもないお宝、国宝間違いなしだったでしょう。
なにしろ『御堂関白記』や『小右記』に『権記』という当事者の日記だけでなく、『栄花物語』までフルコンプリートで記載があり、制作過程まで詳細にわかるものだからです。
この屏風歌の実物については、清書を担当した行成が詳しく書き残しています。
それによると、屏風絵は飛鳥部常則という絵師が描いた物だったそうです。
この人、とんでもないビッグネーム!!これだけでもすさまじい代物です。
飛鳥部常則とは、一条天皇の祖父にあたる村上天皇の時代の宮廷絵師です。
作品は残念ながら現存しませんが、彼は宮中で活躍したと記録の残る絵師で、唐風から大和絵の画風への発展に寄与し、『源氏物語』にもその名前が出てきます。
この時代随一の、レジェンド絵師であったことは間違いありません。
生没年未詳ではありますが、活躍した年代をみると彰子入内時にはすでに亡くなっているかと推測されます。
しかし、むしろすでに亡くなっているレジェンド絵師の作品であるからこそ、さらに価値が跳ね上がるとんでもない屏風です。
ここに、三蹟の一人で後に和様書道の大成者とも言われる書家でもある行成が書いた色紙形が貼り付けられます。
さらには、当時の和歌のトップランナーである公任作の和歌。
絵師と書道家と歌詠みすべてがレジェンド。まさしく夢のコラボレーション!!
どうして現存しないのですか!!!!
ちなみに、この屏風歌というのは当時流行の調度品ではありませんでした。
村上天皇(一条天皇の祖父)の祖父・父である宇多天皇・醍醐天皇の時代に流行ったものでした。
この醍醐天皇・村上天皇の時代は、よい時代であったと言われていて、「延喜・天暦の治」という名前で教科書にも出てきます。
一条天皇は特に醍醐天皇のことを尊敬していたとされていて、その頃に流行った調度品を道長が意図して用意した可能性があります。
もしかしたら、それにあわせて飛鳥部常則の屏風を引っ張り出して来たのかも……?
そして、この公卿の和歌が勢ぞろいした屏風歌にいちゃもんをつけたのは、もちろん実資。
近しい親戚である公任や、花山法皇までもが和歌を道長に供したことに大層お怒りで、このあたりの詳細は『小右記』に綴られています。
実資本人も、道長から和歌を詠んでくれないかと頼まれたのですが、厳重抗議のお断り。
「公卿がこんな先例のないことをするべきではない」と思っていたようです。
道長も、実資の人柄は知っているので、この反応はある程度想定内だったのでしょう。
しかし、ここでは道長の方がひとつ上手でした。
実資が道長のところを訪れると、道長は実資の「手を取って」本来は身内しか入れない室内へ案内します。
そして、彰子の入内のために準備した調度品を見せるのです。
そこには、行成が『権記』に書くところによると「四尺(120㎝くらい)」の例の屏風がもちろんおいてあります。
いやでも目に入るサイズ感であるその屏風を前に、実資には道長の意図がありありと分かったのでしょう。
「あなたは和歌を贈ってはくださらなかったけれど、私の娘はこれほど多くの公卿に支持されていますよ」
という屏風による圧!!すごい!!宮廷政治って怖い!!
「光る君へ」でも、実資は言葉を失いタジタジに。自分の身の振り方を少し見誤ったような気がしたのでしょう。
さて、この彰子の入内の後、長保元年(999年)11月7日に彰子は女御となります。
奇しくもこの日、中宮定子が一条天皇の第一皇子(敦康親王)を出産しました。
当然ですが、まだ12歳の彰子が子供を産むのは、もっとずっと後のことになります。
道長にとってみれば、彰子の後宮での立場を考えて今から影響力を強めておきたいところです。
そこで出てくるのが、「中宮定子様を皇后へ、彰子様を中宮へ」という安倍晴明の言葉。
「一帝二后」という前代未聞の拡大解釈は、本連載第13回でお話しした定子を中宮に押し上げた「皇后と中宮は別」に端を発するのです。
めぐりめぐった因果が、定子をここでも苦しめることになりますが、それは詳しくは次回にお話しすることになりそうです。
なぜなら、この「一帝二后」に大きな力を発揮することになるのが行成だからです。
行成のオタクとしては、次回はとんでもなく手に汗を握る展開なのは間違いありません!!