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星になったソングスタに -ありふれた私とチバユウスケの話-

 ラジオの仕事でも30分近く話したけど、やっぱり本来は文章を書く人間なので。
 気持ちの整理とか、未来の己に客観視してもらうとか。そんな目的も含め、世界一だいすきな人との至極ありふれた思い出話を、取り留めなく書いておこうと思います。絶対長くなるぞ~~~~!!!(爆笑)


 正確な時期は覚えてないけど、ちゃんと出会ったのはたぶん2005年。
 わたしが中学1〜2年の頃で、入口は間違いなく「カナリヤ鳴く空」だ。

 母親に連れて行かれた2004年秋のツアーライブでスカパラに死ぬほどハマり、口を開けばスカパラの話ばかり喋る、とんでもない沼落ちオタク気質を開花させた当時のわたし(どれぐらい酷かったかというと、母がライブに連れていったのを後悔するレベル。本当にうんざりするほどスカパラの話しかしなかったそう)。
 彼らの過去曲を後追いで深掘りする中で出会ったのは、他のどんな人とも違う唯一無二のガサついた声。その響きは、自分の中にとても鮮烈に焼きついた。
 痺れた。格好いいと直感で思った。
 今までに聴いたことのない声。触れた事のない音。一発で判別できる強烈な個性に惹かれる嗜好は、どうやら昔から変わらないらしい。

 重ねて後に思い返せば、この頃まったく別角度からもわたしは彼の声に魅了されている。どうあがいても、チバとの邂逅は不可避だったのかもしれない。
 話は少し変わって、小学校高学年〜中学高校とわたしの音楽の趣味嗜好を育てた存在。それは間違いなくスペースシャワーTVだ。

 生粋の「スペシャっ子」だった自分に、なぜか強烈に焼きついて今も残る”ある曲”の思い出がある。
 祖父母宅の二階。深夜に真っ暗な部屋の中で、畳に敷かれた布団から起き上がり、ただただ”ある曲”のPVにぼんやり見惚れていたわたしの記憶。
 暗く退廃的な、冷ややかな色合いの空間で演奏するバンドと、メラメラと燃え盛る大きな炎。メロディも全然明るくないし、どちらかと言えば重苦しくて不穏な鋭い音。曲の尺もまあまあ長い。
 それでもその曲がもたらす独特のアンダーグラウンドな空気感は、やや風変わりな趣味に傾倒し始めた女子中学生の興味を強く惹きつけた。
 改めて調べるとリリースは2005年2月だったので、おそらく「カナリヤ鳴く空」を知った時期と前後するはず。けれどその人が、なぜか当時の自分を強烈に魅了したROSSO「バニラ」を歌う男と同一人物だと知るのは、そこからもう少し先の話。

 閑話休題。話はスカパラ経由でチバを知った件に戻る。
 その嗄れ声に強く惹かれたものの、彼はTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTというバンドのボーカルで、どうやらバンドはすでに解散したらしい。当時まだ携帯も持たずネットにも不慣れな中学生が得られた情報は、せいぜいその程度だった。

 事態が変わったのは翌年2006年。これもきっかけはスペシャだ。例の如くぼんやりいろんな音楽番組を見る中で、ある日わたしはひどく聴き覚えのある声を拾った。
 聴き間違いではないと思う。びりびり、ざらざらとした嗄れ声。テレビに映るのは平衡感覚を失いそうなほどにぐるぐる回る、暗く妖しげな雰囲気の空間を映したPV。
 慌ててアーティスト名と曲名をメモし、扱いにもだいぶ慣れ始めたネットで改めてそれを調べた。
 もしかして、という直感はビンゴ。嬉しかった。見つけた、と思った。
 こうして当時始動したばかりのThe Birthday「stupid」から、バンドマン・チバユウスケの活動を、わたしはリアルタイムに追いかけ始めたのだ。

 翌年2007年に高校へ進学。晴れて携帯も買ってもらったわたしが、この時期どれだけバースディに、チバユウスケに夢中になったかを仔細に書くと、きっと大学の卒論も真っ青の字数になるので大幅に割愛する。
 バイト禁止の高校生の小遣いの中で、それでもほぼ初回盤・限定盤で買い占められた音源。当然アルバムに飽き足らずシングルもすべて網羅している。
 この時期彼らが表紙を飾った雑誌も、たぶん片っ端から買ったんだと思う。その宝の山は、実家を出た際もすべて一緒に持ち出して今に至る。
 当時スペシャで放送された関連番組も、実家を掘り返せばおそらく録画VHSが山のように出てくるはずだ。今度機会を見て探したい。あわよくばDVDに焼いて、いつでも見られるように再度手元に置いておきたい。

 加えて当時、ブームだったSNS・モバゲーでバースディのコミュニティにも所属。わたしはそこで本格的に、インターネットでの交流や情報収集の楽しさを知った。
 コミュニティの仲間の大半は年上のお兄さん・お姉さんばかり。やや早熟な趣味の女子高生チバギャルにも彼らはとても親切で、自分がリアルタイムに触れられなかったTMGEやROSSOの話もたくさんしてくれた。
 「TMGEの初めてのアルバムはどれがいい?」と相談した結果、大勢が勧めてくれた「HIGH TIME」を買った。そこからTMGEにもしっかりハマり、CDのみならずRISING SUN ROCK FESTIVAL10周年本や、アベフトシ追悼本も当時の自分はきっちり入手している。
 初めて地元にバースディが来た、2007年のLOOKING FOR THE LOST TEARDROPS TOUR。時間がなく部活帰りにそのまま行ったせいで、大勢のパンクスの中にいる制服姿の女子高生はとんでもなく浮いた。ライブ後には同コミュニティの人から、「ひょっとしてあれ〇〇さん?」と軽い身バレメッセが来たことも覚えている。

 ツアーの物販にあった、バンドロゴの入ったギターピック。それに穴を開けてチェーンを通しネックレスにして、高校時代はずっとお守りのように制服の下に身につけていた。
 次に彼らがツアーで地元に来たのは2009年。当時比較的音楽の趣味が合った友人を連れて行ったら、ライブがハードすぎて翌日彼女は学校を欠席した。
 笑っちゃうくらい短期間で終わった、同級生からのいじめ・無視。教室に居づらかった時期の昼休みは、ひと気のない棟の屋上手前の階段の踊り場で「Rollers Romantics」を聴きつつ独りで弁当を食べた。
 冷たい床の感触。当たり前だけど無視は辛い。それでもざあざあと降る雨音とMDプレイヤーから流れる「Sheryl」を孤独に聴く時間は、どこか心地よかったことを覚えている。
 ポジションは完全にいわゆる陰キャ女子。まともに会話する同級生男子の人数は片手で足りる程度。
 友達はRADWIMPSやONE OK ROCKを聴いていて、唯一チバユウスケの話ができたのは一年留年していた友人の彼氏だけだった(彼とはアベの訃報を一緒に驚き悲しんだ記憶がある)。

 部活に明け暮れた中学高校時代、あまり華やかな思い出はない。あまり覚えていない、というのが正確な言い回しだが、それでもバースディやチバにまつわる出来事は、これだけたくさん思い出せる。
 鬱屈気味の毎日。制服のポケットに突っ込んだiPodで、たくさんのチバユウスケの音楽を聴いた。彼の声が、音楽が、たまらなく好きで。常にそばに置いておきたい、そんな女子高生だったのがこの頃のわたしだ。

(当時ろくすっぽ恋愛経験もないくせに、そんな日々のおかげでバンドマンの男に大層憧れ、順当に「いつかチバユウスケみたいな彼氏が欲しい」ととんでもなく高い理想だけを抱える羽目になった余談もついでに書いとく。悲しいかな、わたしの通った学校には軽音部がなかったのである。
 チバに植えつけられた男の”癖(へき)”は後々まで大いに響いたけど、結果として彼に似た優しさとロマンチストさを持つバンドマンが現在の家人になりました。顔も声も似ても似つかないけれど、チバのことを「人生の半分以上愛した人」と目の前で宣っても「まあチバユウスケには勝てんよ…」と浮気発言を許容してくれるので、いい人と結婚したなと思います✌️)

実家時代からのCD以外の資料。こういう時雑誌買っててよかったと思う。愛が重い(物理)

 大学進学を機に地元を出て一人暮らしを始め、念願のバンドサークルにも所属。そこからの生活は本当に楽しかった。何よりたくさんの人と、チバユウスケの話題を共通項にできたのも心底嬉しかった。
 ずっと憧れていたTMGEのコピーバンドもした。もちろん全員真っ黒のシャツとスーツパンツで。バースディのツアー日程に在住地が入ってない時は、県外や市外へ足を伸ばすという選択肢も覚えた。

 2013年のツアー・Black Doctor Fight Again 12 Nightsで、奇跡的に手元に転がり込んだチバの投げたピック。あちこちが削れ使用感が残るそれは、チケットと一緒に今も大事に保管している。
 同年のTMGE SHIBUYA RIOT!にも、半ば無理矢理のスケジュールで四国から足を運んだ。会場で買ったラグランTはタンスの奥に眠っている。各種特典で貰い、溜め込んだポスターと一緒に近々額装しようかと思っている。

 大学卒業後に企業勤めをした6年間。ひたすら苦行の毎日だったけど、その中でも可能な限りバースディを、チバユウスケを追い続けた。
 Twitterを遡ると、ライブDVDやフジロックの配信の話、年男を迎えたチバを祝うツイート。チケット先行抽選に外れた呻きやライブ日に予定がダブルブッキングした嘆き、生で見たTHE GOLDEN WET FINGERSにはしゃぐ話など、いろんな彼に関わる呟きが残っている。

 最後にチバを生で見たのはVIVIAN KILLERS TOUR 2019。この頃チバの髪にはかなり白いものが混じり、身体つきもさらに細くなっている気がして、「あと何回生で見られるかわからない」と嫌な心配も抱えつつ会場に足を運んでいた。
 けれどその日聴いたチバの声にはまったく翳りも衰えもなくて、わたしの知っている、空気を引き裂くような強烈に格好いい嗄れ声そのままで。「な〜んだ全然元気じゃん!!心配して損した!!」と爆笑しながら、ライブで会った知人と公演後に近くの居酒屋で楽しく酒を飲んだりもした。

 映画「THE FIRST SLAM DUNK」主題歌のニュースを見た時も、バースディ抜擢の嬉しさと、チバとスラダンの印象のちぐはぐさがなんだかおかしくて、知人と笑いながらその話をした。
 世間の波から少し遅れて映画を見て、オープニングの演出と大音量のバースディの音に、思わず溢れる笑みを抑えきれなくて。

 その矢先に届いたチバの病気療養の一報に、心臓が本当に嫌な冷え方をした。
 あんだけ酒も煙草もやってりゃ、いつか必ずその日が来るとは思ってた。けれどさすがにあまりにも早すぎる。まだ50代半ば。ていうかつい最近までツアーも回ってたじゃん。養生してくれ……本当に頼むから……と祈るような気持ちになった。
 食道がんのこともすぐ調べた。早期発見なら治る確率も高い。実際彼に近い人の中で、勝手にしやがれの武藤さんが同じ病気を克服したのも知っていた。さらに身近な話だと、自分の叔父も食道がんを数年前に発症し、紆余曲折ありつつもいまだに元気で生きてくれている。

 きっと大丈夫だと思った。絶対大丈夫だと思いたかった。1〜2年で治療を終えて、また何事もなく颯爽と帰ってくる。
 時々トンチキで、それでも惜しげもなく愛を歌う歌詞。バースディの新曲が聴ける日を待ち望んだ。すっかり白くなった顎髭と掻き上げた髪、ルードギャラリーの服。強面なサングラスの奥で、に、と照れたように笑う、近影の写真を楽しみにしていた。
 相変わらず痺れるような迫力の尖った歌声を生で聴いて、前みたいに元気じゃ〜ん!!て笑いつつ「あんな細い身体のどこからその声出てんだ…」「てかもうすぐ60?なのにライブハウスツアー20本?正気か?見た目老けたのにマジで元気じゃん…」って軽く引きたかった。
 そんな未来があると信じてた。疑いもしなかった。
 まさかたった半年でいなくなるなんて、誰が予想できたんだろうね。

 訃報を知った瞬間、頭が真っ白になった。
 指先がどんどん冷えていって、身体の内側や心臓もみるみるうちに冷たくなるのがわかった。血の気が引くってああいうことを言うんだな。
 普段はインターネットもTwitterも大好きなわたしが、一切外部の情報を見たくない、とネットを遮断した。
 いかないで。いやだ。嘘。チバは死んでない。まだ生きてる。信じない。絶対帰ってくる。もうすぐライブハウスに戻ってきてくれる。
 見ないことで、訃報を必死に”ない”ことにしようとした。シュレディンガーのチバユウスケである。
 そんな馬鹿みたいな抵抗を3時間ぐらい続けた。おかげでその瞬間の仕事はめちゃくちゃ捗ったけど、どれだけ足掻いても現実は変わらない。
 涙も鼻水も止まらない。呼吸も浅いまま。それでもどうにか仕事をし続けた。この日も翌日もいろんな原稿の〆切が差し迫っていて、タイピングの手を止めることはできなかったから。外での仕事じゃなかったことが、今思えばせめてもの救いだった。 
 くるしかった。……つらかったなあ。

 数時間後にようやくニュースをちゃんと見てからは、SNSで関係者が投稿するチバの写真をひたすらずっと眺めていた。
 タイムラインを流れる、いろんな人とチバの秘蔵写真。だいぶファン歴が長いわたしでも、まだ見たことのないチバの表情がいっぱいそこにある。
 その間だけは苦しい気持ちが薄らいだ。たくさんの写真を見ているとチバが死んだなんて大嘘で、まだどこかで全然元気に生きてるような、そんな気になれたから。

 数日間、バースディもTMGEも一切聴けなかった。PVを見るなんてもってのほかだ。
 それでも1週間後には、ひとまずTMGEをある程度聴けるぐらいには回復した。ちょうどその頃月2のラジオレギュラーの仕事があって、半ば使命感を(一人で勝手に)背負いながら、追悼と称し番組の中で30分近く彼の話をした。一人ではまだ聴けないけど誰かのいる場なら、と思ってバースディの音楽も流した。

 ラジオではもっと自分勝手にいろんな話をしたけど(主に彼の病状について)、憶測120%なのでここに書くのは控えておく。信用に値する人からの情報は今時点で一切世に出てないし、曖昧な噂を流すような無責任なこともしたくないので。
 とはいえそれでも全然、まだまだ彼の話はし足りなくて、結局こうしてnoteを書いているわけです。
 足りるわけないよな。ギリアラサーのまだまだ短い人生だけど、それでもその半分以上。思えば18年も、ずっと世界一愛してた人だったんだよ。


 そしてここからは献花の会の話。
 悲しいかな有難いかな、近しい前例としてBUCK-TICK櫻井さんの同様の会から諸々予測して、おそらく1月後半〜2月頭かな、と思いつつ迎えた年末年始(予測が立てられる状況なのがそもそも悲しすぎる。去年は本当に偉大なアーティストが鬼籍に入りすぎ。アベの死んだ年を思い出しました)。

 元日に告知された会の詳細を見て、即座に抽選応募。こんな時にスケジュールを抉じ開けるためにフリーランスやってるので、平日だし一番応募数の薄そうな日中を希望して、無事参加の機会を勝ち取った。
 当選を信じて応募と同時にホテルと飛行機も抑えるというだいぶ向こう見ずなこともしたけど、SNS見てると当落率は体感半々という感じ。当たって本当に良かったと思う。

 この頃、日々の忙事で結局きちんとチバの死に泣けないまま年を越していて。特に直近のバースディの映像はやっぱり見れないままだったので、献花の会はきちんとチバを想って泣く日にしよう、とも決めていた(これも当選する前から。外れたらほんとにどうする気だったんだろう)。
 日を追うごとに悲しさは薄らいでいたけど、それでもやっぱりずうっと胸は苦しいままで。朝起きてすぐとか、夜寝る前とか。不意に一人になった瞬間涙が出ることも多くて、自分の心にちゃんと向き合えてないなあ、とも思っていた。

タワレコ新宿店。同じようにチバが大好きな人の愛を摂取するのは健康にいい

 献花の日は前入りのスケジュールを組んだ。
 前日はまず東京の友人と合流しタワーレコード新宿店へ。スタッフさんの愛に溢れた展示を隅から隅まで眺めて、「EVE OF DESTRUCTION」や雑誌を数冊購入。
 おそらく今や超貴重なTMGEの会報も見られて本当に嬉しかった。手書き文字大好き。その人がその時代に生きていた何よりの証なので。
 その後吉祥寺アップリンクで直近二回目の「THEE MOVIE」も鑑賞。劇場の追悼掲示にDr. Feelgoodやクラッシュ、ダムドの切り抜きもあった所にすごく愛を感じた(生きてたらきっとダムド来日も行っただろうな。チバよ、せめてあと1年待てなかったのかね)。

吉祥寺アップリンク、素敵な劇場でした。THEE MOVIEもDVD欲しいよ~~

 その日の夜、ホテルに帰ってからは遅くまでずっとバースディのPVをPCで見ていた。
 「オルゴール」と一番大好きな「さよなら最終兵器」はやっぱり耐えられなくて、タオルに顔を押しつけながら夜中に声を押し殺して泣いた。
 翌日案の定目は腫れたし、なんでかわかんないけど肌も史上最高に絶不調で(この時の不調を未だに引きずっている。唇と顔、首のかぶれが一生治らん)。世界一好きな人に会う最後の機会だからばっちりキメて行きたいのに人生ままならねえ〜〜!と思いながらホテルを後にした。

 献花の会の詳細はいろんな人のレポがあるので一部割愛。個人的な話だけを書きます。
 台場に向かう途中、とにかく胸がざわざわしたのでお守り代わりにラッキーストライクと真っ赤なライターを買った。学生〜新卒時代、チバに憧れて吸っていた銘柄。気づけばいつしか煙草を吸わなくなったので、買って手元に置いたのは下手すりゃ10年ぶりぐらい。
 ポケットの中でパッケージの感触を手で弄んでいると、少しだけ心が楽になった。
 同じ銘柄を吸っても纏う匂いは完全に同じにはなれない。けど、指先が拾う紙の感触はきっとまったく同じものだと思ったから。

ネイルは担当のお姉さんにだいぶ無茶を言いました。本当にありがとう…

 会場付近に着いて、集合時間の点呼に合わせて列に並ぶ。
 すぐそばが海で風も強い割には、日も差していて思ったより寒くない。全身真っ黒の服装だったのでほどよく暖かい。
 きっとチバがいい感じの天気にしてくれてんだな〜とぼんやり思った。

 入場してロビーの「16 Candles」が聴こえた瞬間、このSEをもう二度とライブで聴けない、いつも味わったあの高揚感ももう二度と手に入らない、と思って心臓が痛くなった。
 入口でもらったガーベラは真紅。嬉しかった。黒の似合うチバに一番渡したいのは、やっぱり格好よく映える真っ赤な花だもんな。
 ロビー通路にもチバの写真がたくさん並んでいた。髪を掻き上げる最中のRUDE GALLERYのイメージビジュアル、SNAKE ON THE BEACH「SINGS」のジャケ写等々。
 「real light real darkness」のジャケ写もあった。いいよね。色のコントラストがくっきりしたあの写真、すごく好きだ。

 この辺りからもう堪えられなくなって、ぼろぼろ涙が出てきた。周りの人もみんな一様に鼻を啜ったりハンカチを手にしている。
 メインフロアもチバの今までのいろんな曲がBGMで流れていて、声が聴こえた瞬間ますます涙が止まらなくなった。
 導線に沿ってフロアを進む途中も、壁際にチバの写真がずらりと並んでいる。TMGE後期〜2023年初旬頃と思われるものまで、ライブの時の最高に格好いい姿がたくさん写っている。
 アドレナリン全開で瞳孔の開いた表情、客席を見て満足げに頷いてる顔、マイクを掲げて歌う姿。比較的若いチバがステージの縁にしゃがんで、カメラに笑顔で中指を立てている写真もあった。わたしが特に好きな彼の写真のひとつだ。

 フロアのBGM全部は覚えてないけど、印象的だったのは「スモーキン・ビリー」。すでにSNSでも書かれてるように途中で一瞬ぶつり、と音が途切れたんだけど、あの時わたしもそこにいた。
 1回目に途切れた時、無音の間を埋めるように数人が声を上げて、それでおそらく会場の全員が察した。わたしも思わず涙でぐしゃぐしゃの顔のまま笑ってしまった。2回目に途切れた瞬間、会場内の大勢が声と拳を上げて「愛と!いう!憎悪!」を叫んだ。当然わたしも参加した。
 リアルタイムでライブを経験できなかった自分にとって、最初で最後のTMGEのライブコール。すごく特別な瞬間になった。ありがとうのーやん(数日前、ハルキのインスタライブで酔っ払った彼の仕業だとバラされていた。二人ともあの場にいたんだね)。

 移動中、ずっとガーベラを両手で握りしめていた。涙が永久に溢れてくるので、もう拭いても無駄だと思って流しっぱなしにしていた。ひどい顔だったと思う。
 難しいことは何も考えられなかった。ただただ悲しくて寂しかった。それでもずっと、ありがとう、だいすき、だいすき、と子どもみたいな言葉を反芻しながら、念を込めるように握りしめたガーベラに額を近づけていた。
 献花台に置いたガーベラは、真紅の花びらが少しだけ涙で濡れていた。
 いろんなものを貰ってばかりだから、せめて最後にこっちの涙ぐらいは押しつけさせて欲しい。わたしの我儘でしかないけれど。

 出口に向かう途中に少しだけスペースが設けられていて、名残惜しそうに会場でチバの声を聴いてる人もたくさんいた。本当は早く立ち去るべきだったんだけど、わたしも少しだけその中に混じらせてもらった。
 ようやく涙も落ち着き始めていたのに、「誰かが」で最後の最後にどばどば泣いてしまった。でも、そのおかげでだいぶすっきりしたみたい。続く「BABY YOU CAN」を聴き終えた瞬間、今がお別れのタイミングなんだろうな、と直感的に悟って、目を腫らしたまま献花台に背を向けフロアを後にした。
 メモリアルフォトを受け取って階段を登り外に出た。彼に会いにきた人の行列は、相変わらず途切れることなく続いていた。お台場の景色は少しだけ眩しかった。

 本当はその足で百々さんのファジーピーチ酒場にも行きたかったけど、帰りの飛行機の便をこの日の夜取っていたので、会場を後にしてそのまま成田空港へ向かった。残念。また機会を見つけて足を運びたいです。
 献花の日の話はそんな感じ。


成田に行く道中で作った。趣味が合う方は声掛けてください

 案の定一万字超えた!ナッハッハ!
 好きな人や物のことを書くと長いのはわたしのお家芸です(過去note参照)。すみませんね。あと少しだけお付き合いください。

 おかげさまで、最近は彼の音楽をまた聴けるようになった。というかむしろ時間があればずっと彼の曲を聴いているし、ずっと彼の動画をYouTubeで見ている。
 亡くなった人の声や顔は、普通どんどん記憶から薄くなっていつか忘れてしまう。幸いにもチバの声や顔は、この世界にまだまだいろんな形で残っている。それってすごく幸せでありがたいことだな、と思ったりもする。

 今まで擦り切れるほど見たPV、ライブ映像。擦り切れるほど聴いた曲。擦り切れるほど読んだ雑誌。そこで歌って笑うチバを見てると、彼がもうすでにこの世にいないことを、束の間忘れられる気さえがする。
 そもそも地方在住なのもあって、チバに会えない状態はぶっちゃけそれ自体がデフォルトだ。あとはまあ、自分自身が元々非実在の人を愛し続ける才能に長けた人間(要するに重度の二次元オタク)なので……気の持ちようを知っているというかなんというか……そんな感じ。

 加えて18年もチバが好きだったわたしでさえ、まだ見たことのない映像や雑誌もたくさんある。というか家にある特典DVDなんかも、実は結局見てないまま棚にしまいっぱなしの物も多々ある。
 それってつまり、まだまだわたしが知らないチバユウスケに会えるってことだ。
 亡くなってなお新しい一面を見られるって、とんでもなく幸せな事じゃないだろうか。それだけチバが本当に大勢に愛されてきた証で、そう考えるとほんの少し胸が温かくなって、嬉しい気持ちにもなるのです。

 そうやってなんとか彼の死を受け止めつつあるけど、おそらくまだきっと全然受け入れられない人も多いと思う。そりゃそうだよな。
 そんな人たちへ向けて、最後にわたしが大好きなある漫画のワンシーンを引用紹介して、この記事を締めたいと思います。
 わたしが少し前を向けたのは、間違いなくこれのおかげもあったので。

 ロックンロールという音楽がもし人の形をしていたら、きっとあなたのような姿だったんだろうと思う。
 ロックの神様みたいな人だった。”みたいな人”でいて欲しかった。
 本当の神様には、まだならないで欲しかったなあ。

 「またね」は言いたくない。
 今も言いたくないし、言う気はない。変にリアリストな気質があるので、「また」がもう二度とないことも嫌というほど知っているから。
 だから今までもこれからも、変わらないことだけを最後に伝えたい。

 あなたのいる時代を生きられて幸せだった。
 ありがとう。だいすき。
 愛しています。これからもずっと。


「ブルーピリオド」©️山口つばさ(講談社)より引用
「ブルーピリオド」©️山口つばさ(講談社)より引用
「ブルーピリオド」©️山口つばさ(講談社)より引用