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2024年、今年はどんな年に。そしてどうする?

昨年読んだ本のなかで、2023年の予想として出している英国エコノミスト誌の表紙に言及したものがあった。

*岩永憲治『金融暴落!グレートリセットに備えよ』(集英社)

12月号の別冊として出版されたもので、その表紙「THE WORLD AHEAD 2023」を読み解いたのもだった。THE WORLD AHEAD 2023つまり、2023年は「世界をこうする」という意味だと言っていた。
エコノミスト誌の表紙は、一般大衆にむけたメッセージではなく、世界のロイヤルファミリーを含む、トップクラスの富豪に向けたメッセージなのだと言うのだ。

だから、The World in(世界はこうなる)ではなく、(世界をこうする)というメッセージなのだというのだ。確かに未来予想が外れないためには、そのように実行すれば外れないわけだけれど、なんと傲慢なことだろうと思った。

2023年を振り返ってみて、これが当たっている部分もあるけれど、外れている点もある。ウクライナーロシア戦争もどうなるかわからない。田中宇のように、ロシアが勝つに決まっているという論調もあるけどどうなるかわからない。

特別な情報もなく、また日々国際政治をネットでチェックしているわけでもない一般人にとっては、偏向したプロパガンダ情報だと言われようとも、マスメディアとネットにたよるしかなく、それが精一杯のことだと言える。

じやぁ、2024年はどうなってるのかと言うと、当のエコノミスト誌の表紙は、2024年度版はこうだった。


英国エコノミスト誌表紙書影


 

 これを見て、どう読み解いたらいいのだろうか。
ウクライナーロシア戦争はいずれ停戦になるのだろうということ。そして世界各国が選挙イヤーに入るのだということ。そして米中が激しく対立しあうという事は間違いがないようだ。
それにしても、ゼレンスキーの上にいるポニーテールの女性は誰なんだろう。また赤色と青色は何を意味しているのか? プーチンの上の横顔のシルエットはトランプだろうから、トランプが返り咲いたら、停戦を持ちかけるということなのだろうか。
この右横の通貨記号は上がポンドとユーロであり、下はドルと円(または元)だろうがこの「?」が間にあるので、どうなるのか分からないということか。グラフを左から右へむかって読むのだとすると、円安、ユーロ安になっていくということなのだろうか。今年いっぱいはドル高円安は続くと考えられる。
また米中の対立は、東南アジアと南米で激突するということなのだろうか。
それにしても左横のおそらく人工知能AIなんだろうけれど、この「?」も気になる。

これぐらいしか一般人としては読み解けないのだけれど、それよりも何よりも日本の状況というものが1番気になっていて、政治・経済の状況だけではなく、心的なものを含めた「情況」の方に関心がある。

確かに日本の社会もコロナ禍後で情況は変わったと感じられるので、それが加速すると思う。日大のアメフト問題から、宝塚歌劇団のパワハラ問題、果ては自民党安倍派二階派の裏金問題までおそらく民意は許さないという傾向が強まるのだろう。なんとかごまかしてきたこれまでの手法が使えなくなってきているのだ。それはすでに令和に入ってから始まっていると感じているのだが、一段と強まるのではないかと考えている。日本の状況は既におおらかではない。

一方、国内に目を向けると、ダイヤモンドオンラインで、未来予測の専門家を自称している、経済評論家の鈴木貴博は、12月29日の記事で2024年は混乱の年になると言っている。
何が起きても不思議ではないし、安定した生活が脅かされる1年になることを覚悟しろと言っている。(ここは、岩永の金融暴落といい、鈴木の混乱の年といい、おそらく不穏な年になるように私も思う)

そして、個人がやっておく備えというものを3つ挙げている。

1 生活防衛
2 資産形成
3 脱炭素

脱炭素ってどういうことと思うかもしれないが、それは後に回してまず生活防衛から見ていこう。
生活防衛というのは、すでにこの2年間で物価は6.7%上昇しており、それも生活に欠かせないものが特に値上がりしている。それが、イスラエルを含んだ中東戦争に発展して、石油が入ってこなくなれば、かつてのようなオイルショックに見舞われるというわけで、物価が倍にまではならないとしても1.2倍から1.3倍になれば、生活費に負担がかかってくることは間違いがない。確かに物価が1.2倍位上がれば給与が同額なら80%の生活費で暮らすということになり、何かを我慢しないといけないということになるので、それは大きな打撃になるだろう。

2 の資産形成に関しては貯金という形では金利が低いので心もとないので、投資を考えるべきだと言っている。新NISAも話題になっているけれど、株式投資をするなら、次の3つを考慮すべきだと言っている。

1 なるべく多くの株に分散する。
2 日本以外の株にも分散する。
3 投資を長期に継続する。

この3つの中で実行しているのは1と3だけだろうか。
2の日本以外の株にも分散するというのは、日本経済がうまくいかなくなったときの穴埋めになるということだけれど、逆の場合は大損するという事でもあるので、米国株やインド株には手を出さない。日本経済よりそっちの方が危ないんじゃないかと考えているからだ。まぁ現状では円安なので、米国の経済が破綻しても、少しは影響は軽減できるかもしれないというメリットもある。メリットがあるというよりも、日本で生きているのであるから、周りのみんなも同じ状況にあるわけで、自分だけが良い思いをしても仕方がないんじゃないかという気がしているのだ。
しかし、リスクを取った投資というものもなんだかなぁという気がする。

そして、脱炭素が入って来きているが、これはどうも国のテーマじゃないかと思われるかもしれないけれど、そうじゃなくて、このテーマは個人にも引きあてられると言うのだ。
その言うところは、例えば、一戸建ての住宅なら、屋根に太陽光パネルを設置すれば、高騰する電気代を抑えて、逆に売電して副収入を得ることができるとしているが、そもそも太陽光パネルに投資する資金があるなら、それを電気代の上昇分に回したほうが話は早いし、安くつくのじゃないだろうか。月1万円の電気代が2万円になったとしても、100万円以上かかる、太陽光パネルに投資するのを上昇分に回せば、100ヶ月分あるのだから、8年はそれでやっていける。8年過ぎれば。発電効率も下がってくるだろうし、ペイできるかどうかわからない。補助金が出たとしても個人で回収できるのだろうかと心配になってしまう。屋根も痛むだろうし。
と言うことで、どれもあまり個人の備えになっていないようだ。むしろ個人の稼ぎ出す能力を上げておくことが大切ではないだろうか。おそらくこれからは引退なんていうことはありえなくて、生涯働き続けねばならないようになってくる気がする。

ところで、そんな評論家みたいなことを言っていないで、私自身の情況はどうなんだという小市民的な立場から考えてみたい。
だからといってプライバシーに関わる事は書いても「アホかいな」と言われそうなので、このnote.comブログに関連して述べてみたい。(暮らしの経済に関しては、いくつかの仕掛けをした)

昨年はブログに投稿した記事に加筆訂正を加えて出版しようとしたが、出版を断られて断念した経緯があるので、今年は何とか出版にこぎつけたいと考えている。一社に絞らずに多数社に声をかけたらどうかと思う。でも、それもこれも出会いであるから、単に自費出版ビジネスに引っかかるのも癪だし、そうかといって、お高くすましているわけにもいかないので、やはりチャンスを待つしかないのだろうか。
ブログの内容は一段と拡散していき、仏教から日本古代史、野口整体、官足法、ヨーガ等々まで拡大している。このような雑多なブログを書くようになってきたが、ブログを書くなら、自分が感じた本当のことを書きたい。発見したこと、書きたいと思ったことを書き下だそうとしてきた。できるだけ情緒的なものを排除しようとして出発したのだけれど、お前の書くものは難しすぎてわからないと言う批判を受けたので、表現者としてそれは自慢できることではないので、普通のエッセイと言われているような日常のことを入れてみたいが、そのようなものが私自身にあるわけではなく、感情生活においてもいつも淡々としていて、書かねばならないようなものはない。
note.comブログに先立つAmebaブログは短いし、毎日の事なので、やたらやくざな話題も入ってくるけれど、それを4000字以上に引き延ばせるようなものはない。
ブログというのはWeblog(ウェブ上の記録)のような意味で日記らしいのだけれど、日記と言うより表現活動に使っている。こんなものでも、結構読んでくれる、または開くだけでも開いてくれる人々が増えてきてありがたい限りだ。無視されていると辛いしね。自分でもこれは何を言っているのか全く伝わらないだろうなと思えるものも勇気を出して掲載してきた。読まれる回数は多くはないけれど、少しはあるので嬉しい。

本当は、みんなの知っていること(既知)を知っているように、落ち着く場所に落ち着くように書くのがいちばんうけるんだろうけれど、それじゃあ、面白くない.。誰もが考えたこともないような世界へ、挑戦していくのが面白いのであって、一歩でも先を知りたいという欲求が書き続けることを強いている。それが原動力なのであるから。他者との関係における整合性とか見栄とかは関係ないと言い聞かせている。「群れるな」という戒めは、若い頃から守っているので、お前が勝手に考えたことだろうと言われても、全く気にしないのであるが、さすがにこの歳になると辛いこともある。でも媚びても仕方がないしという思いもあってかすり寄る事はしない。そんなのは書き手として面白くないじゃんと言うことだ。

*そんなテキストが欲しいならば、ChatGPTにでもおねがいすればいい。「いいね」をたくさんもらえるだろう。

閑話休題
今年の予想に戻って、目標持っていきたいのだけれど、相手の関わりのある問題はどうなるか分からないので、自分のスタンスを決めて実行できるという点に絞って計画を立ててみたい。毎年立てているけど、やっぱりヒトの寿命は永遠じゃないわけだし、自分の年齢と自分の置かれた条件というものを計算に入れないとそれを無視してでは何もできないのだと言うことだ。

①  note.com.ブログの月二本の投稿は続けていきたい。
②  書き始めた連載「官足法原論」は何とか仕上げたい。
③  そして先に述べた本の出版。電子書籍+紙の本
④  いろいろなグループに関わっているので、その中で自分のスタンスを決めて挑戦してみる。どこまでできるかわからないけど。

そんな単純なことを考えてしまった。人と関わる仕事は成るようになり、成らないないものは成らないから、自分が1番やりたいことに生活の時間を集中していくしかないだろうと思っている。今更、若いのころの自分に戻れるというわけではなくて、可能性は無限ではなく、むしろ有限なのだから。


(表紙画像は、例年どおり羽鳥慎一モーニングショーの富士山のご来光です。)
 

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