半仏教徒
仏教にあこがれて、進学したのに、そこはあこがれの仏教とはほど遠い情況にあって、幻滅をもって迎い入れるしかなかった若いころを思い出していると、自分は仏教徒とはいいにくくて、それでもブッダの言説には共感しているということをもってして仏教徒と言っていいものかと躊躇していて、言わば「半仏教徒」だなと笑ったことがあった。そんな意味で、この言葉を使ってみると、けっこう腑に落ちて、もうそれでいいのだと考えるようになった。
つらつら思い返してみると、その起源は親鸞に関係していて、浄土真宗系の大学であったのだが、真宗の同窓生たちが、親鸞の信心について何度も詰問してくるので、「信心なんてオレにはない」と口走ってしまったことから、浄土真宗とは相容れない関係になってしまった。しかし、その時代の思潮に対しては敏感で、ご多分に漏れず有名な親鸞にはあこがれていて、日本思想史として扱う親鸞に関心を寄せていた。それで多くの親鸞テキストから、研究書、関連文献まで読んでいた。真宗徒ではないけれど、親鸞主義者ではあるのだろうとして「親鸞主義者」と名乗っていた。名のるほどのものでは無いんだけれど、そういうように自己を規定してみたかったのだろうと思われる。また仲間内からそう見て欲しかったに違いない。
その頃は、マルクスを信奉する人をマルクス主義者と呼び、レーニンを奉ずる人をレーニン主義者と呼んだようなものとして、この対抗措置として意識して自己規定したんだと思う。大学紛争の華々しい季節だったので、ご多分に漏れずに、自己主張ではないけれどなにか格好をつけていたのだと思う。自分をカテゴライズしていたんだね。(汗)
今から考えると他愛もないものだが、それだけ自分に自信がなかったのだろうし、仲間内での言い訳に使っていたのかもしれない。仲間内での発言では、もっと都合の良い言葉があって、それは「詩人」だった。こちらのほうは結構あいまいなものだから、使いやすくてなんとも便利であった。例えば「オレは詩人だからね」なんて言ってしまうと何を言っているかさっぱりわからず雲にまくことのできる呼称であった。親鸞主義者は固有名が出てくるので、中身を突っ込まれると、何かを言わなくてはならないので、一生懸命に読んでいたのだと思う。
この言い方を模倣して、仏教主義者というものがあるのだろうけれど、これを英語に直すとBuddhistとなるので、何の事はない仏教徒になってしまう。
そこで仏教的なのだけれど、すでに半分仏教ではなくなっているという部分も含めて「半仏教徒」と呼んでみることにしたのだった。
親鸞については、今はもう既に過去のような位置には立っていなくて、少し批判的になっている。浄土真宗では「聴聞」が重視されるように言語にこだわりすぎで、言語理解による偏重が目立っているというのがその理由だ。また修行をおろそかにしているというか、身体技法がおろそかになっている。それが批判の根底にあるのだが、テキストとしては、十分なものがあるので、知識人受けは良い。研究対象にもなりやすい。そういう面があるのに加えて、例えば『歎異抄』のように、「悪人正機」という魅力的な文言があるので、ファンも多い。しかし、そこにはもう私は立っていないし、宗教的実践としては、まだ一遍の方が一歩先を進んでいるんじゃないかと考えている。
ごちゃごちゃと余計なことを言わずに、念仏札を受け取ってもらうように遊行し、全国を回り、念仏を唱えながら、踊りだしたという踊り念仏があり、こちらの方が実存として庶民には受け入れやすいと思えるし、実践としても、簡単でわかりやすくて、鎌倉仏教の秀逸ではないかと考えるようになった。ただ、文書というか、テキストが多く残っていないのと、『教行信証』のような仏教経典に立ち入っての体系的なテキストを残していないので、研究が進んでいない。また、研究者にとっても研究材料としての史料が少ないので、評価されにくいという面がある。
しかし、今のところ宗教者としては、一遍が一番わかりやすいのではないかと考えている。ともかく、いやでも念仏札を受け取ってもらえれば、念仏と結縁が結ばれるので、それで良いとする姿勢であり、1カ所にとどまらずに、全国を遊行して回ったというのもいいんじゃないかと考えている。ひとっところに集まるのではなく、こちらからあちこちに出かけていったというのがいいと。
しかし、そこには、救いがメインであって、宗教者としての立場だから、救われないといけないというのが前提にあって、救いが前面に出てくる事は仕方がない。
でも、救いなんていうものが本当にあるのか?
そう思って疑ってしまうと、救いなんてものはないと考え。そんなものはないというのが真実なのではないかと直観してしまったので、もはや修行者にも、仏教徒にも戻れなくなってしまった。なぜそうなってしまったのかということを語らなければならない。
それがこのエッセイの目的である。
もちろん、救って欲しい人に向かって、救いはないなんていうことを言っているわけではなくて、救って欲しい人には、救いはあってもいいわけで、そんな酷いことを言っているわけではない。
ただ、どうも、勝義の世界(聖なる悟りの世界)としては、救いなんてものは無いのではないかということである。それは、宗教学的には、聖俗の関係で、仏教では、勝義諦と世俗諦に分けている。勝義諦とは、言葉や世間を超えた究極的な最高の真理のことを指していた。世俗諦とは、この娑婆世界での約束事ないし、そこを支配している原理のことを指していた。この世俗の道理を超えたものを勝義諦と言っていたわけだ。そうだとすると、勝義諦では善悪も超えているわけで、何が善であり、何が悪であるかを超えているなら、苦もありえないのではないか。そうすると救いだってないんじゃないかということだ。苦そのものはないので、救いもないということになる。
このことは『般若心経』を研究していた時に気がついた。それでもなかなか実感として腑におとしこむ事は困難だったけれど、黄檗気運禅師の『伝心法要』を読んでいて、間違いなくそうなんだと何となく腑に落ちた。残念だけれど、生まれてきたことに意味はないし、価値もない。だからといって、虚無感に落ち込んだり、ニヒリズムに陥ったりする必要もないのわけだ。本当のところはそうなんだろうと腑に落ちたのだった。
ハイデガーは、生まれてきたことに何の理由もなく、ただそこに実存しているだけだということに「被投性」の概念を与えていた。それゆえに、人間は世界に向かって投げ出していくとして「投企性」という概念を提出している。この2つはセットになっているのだろうと考えられる。投企していく存在としての人間という概念は、ただそこに存在しているだけという実存ゆえに、世界に向かって自らを投げ出していくというものだった。
それは私流に言い直せば、世俗諦での哲学であり、勝義から世俗へと戻ってきた時の道理だと考えられる。そうだとすると、勝義として救いなんてものはないと考えても、世俗に戻ってくるなら、そんなことを言う必要もなく、ただそうなんだと思えばいいだけのことなのだけれど、この衝撃は大きくて、じゃあどうするのかと考えた時、既に救いを求める人に向かっても、救われなさい、自分から悟らないと救われないとは言えなくなってしまっている、自分を発見してしまうのだった。
それは私の中で起こった現象なので、それを他者にも起こっているはずだと考える事は不可能ではないけれど、本当に起こるとはいう保証はどこにもない。だから、そんな余計な事は言わなくて良いのだけれど、〈私〉の中では既に現象してしまったのだった。
もとにも戻って『伝心法要』では、坐禅しても念仏しても何の効果もないという文言がある。
これだけ一生懸命に坐禅をし、念仏をしているのに、何の効果もないときかされて「うん、たしかにそうだな」と思えば、それが最高の悟りなんだと言うことだ。
以前にも何度も紹介していることなのだけれど、どうしてもという見返りを求めずに、無心に行することだという言葉が『伝心法要』では語られているが、はて、それでは自分はどうすればいいんだろうと世俗に戻ってみると、どうしていいかわからなかった。それをいろいろ悩んだ末に、そのことを書き下せばいいんだと結論したのだった。
そうだとすると、すでに大乗仏教の眼目である、衆生救済は、全面的に修正を迫られることになってしまった。他者の救済ではなく、自分の救済になってしまって、ただひたすら自分を救うのは自分だということを言い続けていくしかないということだった。その意味では、やはり仏教徒というより、半分だけ仏教徒と呼ぶ方がふさわしいのではないだろうか。
ただこの見解に逃げ道があるとすれば、阿含経にある有名なフレーズに「法灯明、自灯明」がある。法を頼りにして、そして自己を頼りにして生きよ、というお釈迦様言葉だ。この法というのはダルマのことで、仏陀の法のことを指しているので、三法印をいうのだろう。そこは考えておかないといけないのだろう。そして行としての瞑想も入るだろう。その行という身体技法は受け入れるのでそこだけは仏教徒なのだ。
救済はないとか、自己救済だとか、矛盾することを言っているみたいだけれど、それは勝義の世界と世俗の世界との違いであって、世俗的には半仏教徒なのだ。救済というなら、その最高の悟りを得れば救済になるので、その悟りを得なさいという事になる。仏教の説法なり法話はいつも世俗諦のなかで行われている言説なのだ。「人生は苦だ」といっても、それは世俗に向かって言っているのであって、世俗の言説なのだし、その論理なのだ。むこうに行ってしまえば、そんな言説はなりたたない。じゃあ、その向こうの核心はなにかというと、人は生まれて死ぬだけという、他の動物や生物たちと同じことだという認識にある。人だけが、この宇宙で特別なのではなく、人も同じように、宇宙過程の中にあるわけで、そこから1歩も外に出ないし、かつなんら新しいわけでもない。
そう、わかったときに、何とも言えない寂寥が襲ってきた事は、正直に告白しておかないといけないのだろう。苦しいというより、ゾッとしたようなものだった。それが加齢とともに薄れていき、どうせそんなものだろうという気がしてきてニヒリズムに陥る必要はないという気がしてきた。また、そうだと直観したところで、どうなるものでもないし、1つの生命体として生きる限りは、俗世間の内に存在しているし、その俗世間に組み込まれている。日々の日常でしなければならないことが多くある。それを日々こなしているだけで、死にむかって暇つぶしをしているようなものだ。これは内山興正が述べていたフレーズだけれど、どうせ暇つぶしなら、逆に一生懸命にやろうという具合に考えているだ。
そういう意味で、半仏教徒なのだけれど、せめて半仏教徒が「反仏教徒」にならないようにしようとだけは思っている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?