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イディッシュ文学の夕べ 番外篇

これは先のブログ「 アンダースロー〈文学カフェ〉でデル・ニステルに再会する 」の続きというか、つづけて考えたことだ。

https://note.com/sodou2021new/n/n76ef7a44a3e3

5月11日に行われた「イディッシュ文学の夕べ 番外篇」のオンライン配信を受けての、直後のAmebaへ投稿した文章から引用してみる。



夕方、16時からのオンラインによる「イディッシュ文学の夕べ 番外篇」の配信を受けました。
ベルゲルソンの「生き証人」とデル・ニステルの「酔いどれ」という作品の朗読劇でした。この二人、同じ時代を生きた文学者ですが、文体が全く違います。
おそらく、はじめて接した方々には、ベルゲルソンはともかくデル・ニステルはなにがなんだか分からなかったと思います。
事前に、文字で読んでいたので、なんとなくわかりますが、デル・ニステルはやはり難解です。
そこで、今なぜイディッシュ文学なのかという点ですが、そのヒントはこの5月に発売された、『二匹のけだもの/なけなしの財産 他5篇』(幻戯書房)の解説にある、田中壮泰さんのデル・ニステルがベルゲルソンに送ったとされる手紙の中の文章「文学とは神聖なものであること。文学とは厳粛なものであること……文学がすでに生業に成り果てていた当時のワルシャワの文学市場とは相容れないものでした」という文言にあると思います。
商売ではなく自己の存在をかけた試みであったということではないでしょうか。
そう読むと、西欧、東欧、ロシアで受けたユダヤ人の災禍という歴史的事情だけではないもっと普遍的なものを感じます。
現に、デル・ニステルの作品などは時代に閉じ込められない作品であることを示しています。カフカの作品がユダヤ文学とかかわらなくてもそれ自体として面白く読めることと共通しています。
個人的には、デル・ニステルの難解で批評家泣かせの初期の象徴主義的な作品を読んでみたいと期待しています。写実主義的作品では、その当時の時代事情が分からないと読み解けないのですが、象徴主義的な作品であれば、今日の情況に照らして読むことが出来るからです。

結論としては、ここで述べていることに集約されるが、要はおよそ100年後の日本という場で生きる私たちにとって、いかなる文学創作上のヒントがあるかという点と、この日本の情況と共通して読めるものがあるかという点だ。

このままでは何を言っているのか、よくわからないだろうから、もっとかみ砕いて話してみる。

私は別にイディッシュ文学の研究者でもなければ、特別の関心を示しているわけでもなくて、単に現在の日本で生きる作家であり、その立場での作品への関心を示しているわけで、この現在に通じるものがあるかということだ。

その点を具体的に示してみると、三か所ほどを引用してみたい。

ー自分で?ー酔っ払いは生まれ変わりの言葉を繰り返した。
ーそうさ。
ーそれが助言?
ー外に出ろ!ー生まれ変わりは言った。
ー力も尽き、疲れ果て、おまけに不精だったら?
ー屋根裏に梁がある。首に紐かけろ。
ーで、紐はもってきてくれたの?
ーそうじゃない、と生まれ変わりは言ったー彼は優しくなり、しゃべるときは友好的に見えたー逆だ。あんたを紐から解放するために来たのさ。
ーどうやって?
ー外に出ろ。……さあ、まずは飲み干そうじゃないか。

『二匹のけだもの/なけなしの財産 他5篇』p-95


ここで「生まれ変わり」というのは、どうも飼い犬のことらしくて、それと会話しているという展開らしい。シュールと言えばシュールだけれど、この酔っぱらいは「空想に耽っている」と冒頭にあるので、要は空想であり、妄想なのだ。これは、シュールに展開しているわけではなくて、自意識の過剰による、自我の多数性のことだと解釈してみた。
そう考えれば、この会話も、自虐的であり、酔いによる空想・妄想というものなので、自問自答しているようなものに見えはしまいか。

訳者である赤尾光春はフェースブックの記事で「呑んだくれた酔っ払いが遭遇した「(犬の)生まれ変わり」と「頭でっかちの男」との珍道中が全編シュールレアリズム風に綴られる。」と解説しているが、たしかに物語っているわけだけれど、それは自意識による自分が自分と対話しているようなものなのだ。
このことはなにもデル・ニステルだけでなく、我々にとっても頻繁に起こっている現象ではないか。

それは二人だけではない。

ーほう、釘かねー彼は言ったーおまえさんは何を刺して、何の上に留まっているんだい?
ーみんな俺の上に乗っかっているんだよー釘は答えた。
ーお前も十分強いのか、酔いどれや弱い者を助けてくれるのか?
ー十分強いねー釘が言った。
ーじゃあ、そもそも酔いどれに何か関わりが?ー酔いどれが、酔いどれの流儀で嘆き混じりに、釘に言った。
ー実のところ、ないね。あんたには何も悪気はないが、そもそも誰があんたを呼んだんだ?
ー自分で来たのさ。
ー何を求めて?
ー助を求めて。
ー何からの?
ー私は弱い人間で、自分の弱さを追い出すことができない。
ー自分自身から学ぶことだな。
ーどうすればいい、釘さん。
ー俺だって弱かったよ。ご覧の通り、鉄でできてはいるが、でも心臓はヤワなんだ。自分の尖ったところと職業について、誰かを刺さなくちゃならなくて、俺に刺された奴が痛みを感じるってことを初めて知ったときは、釘の作りてのところに行って、不満をぶちまけたよ。

前掲書p111

釘との会話というのは、その人(自分とそっくりな兄弟のような人、頭でっかち)が書いたという『釘の苦しみ』という作品に出てくる釘のことだ。
メタフィクションになっている。
そこは複雑で、「釘」と「その作り手」、そしてそれを見ている「目利き」という登場人物がが出てくる。しかし、これらも自意識の産物で、酔いどれが作り出した妄想で、心の中の会話なのだ。
内容の解釈はいろいろあると思うがここでは触れない。(釘が何を象徴しているのかという議論なのだけれど。)

そして、末尾で登場する「乞食」「富豪」「乞食と富豪の半分ずつ」「巨人」などは、すでに自意識からは脱して、すでにフィクションとして物語を構想していく意識だと思われる。

それじゃあ、冒頭近くに登場する「雲」は何なのかというと「神」とも表現できそうな、それを見ているメタ意識のようなものだろう。(『釘の苦しみ』の登場する「目利き」のような立場だ。同じ構造になっている)

図示してみると次のようになるだろうか。


自意識としてカウントできるのは二人で、その会話を意識する雲を含めての3人といえるかもしれない。メタフィクションの中は、自意識とも小説化への登場人物の設定ともいえるものの境界にあるとおもわれる。

なぜこのようなことが、現在と共通するのかというと、「酔いどれ」の100年後の現在の日本は、ユダヤ人の体験したような政治状況のまさにま反対にあるようで、弾圧され投獄されるわけではないけれど、災害にあっても助けてくれなし、生活の問題があっても本気で対応してくれない、やったふりの政治であって、たんに平和ボケしているだけではない危機がそこにある。
そこでは、この酔いどれのような心の中の自意識による空想はさらに激化していて、もう何とも息苦しい。この自虐的にして自嘲する酔いどれはまさに、我々自身であると感じさせる。

これだけではなく、直接この心に響いてくる文言もある。

「連中にとっては、もはや私自身も余計な存在となり、今や私抜きで作業をしています。」(p-104)

「書物なんて息苦しくてならないと私が感じているというのに? 書物以外に、誰かの弱さを気に掛けること以外に、もっと大事な何かがあって、そのもっと大事なものが必要だと私が感じていいるというのに?」(p-116)

註:ここで書物というのは、書物一般ではなく「タルムード」をさしている。

「いいぞ、いいぞ! みんながひとりに反し、ひとりがみんなに反し、誰もが自分に反し……、与えられた物は受け取らない。受け取った物は投げ捨てられ、獲得した物は粉砕される。破壊は破壊、破壊は祝福。破壊する者は幸いなるかな。」(p-134)

作品の文脈とは別にして、それ自身が現在に響く文言ではないだろうか?

それにしても、イディッシュ語というものが、国家を越えての言語であり、中・東欧のユダヤ人たちで話されていたとあるので、ホロコーストによって、話者が激減して消滅の危機にある言語とされている。

イディッシュ文学というものが、それぞれの作家たちが、この言語を選択して、その言語で書いたということが重要であって、それは先に述べたように、言語の危機とは、文学の危機でもあって、言語は話すものがなくなれば、消えてしまう。言語を話すものがなくなればその民族もなくなる、消滅するということだ。この事は日本人が減少すれば日本語がなくなり、民族も消えるということを意味しているわけだ。

日本人は日本語で日本文学をやっているわけで、日本語話者が消滅すれば、日本文学も消えるということだろう。日本語で考えた文化が消えるということだ。

そんな事態を考えてもみなかった。

そんなことが頭をよぎったときに、なぜカフカがイハツク・レヴィ―が率いる、リッツァ(現ウクライナ南西部)から来たイディッシュ劇団に深入りしたのかの意味が掴めたような気がしたのだ。
1911年10月4日劇団が公演するサヴォ―イというカフェ行ったと日記にある。翌年の春、ドイツに劇団が旅立つまでその関係は続いたとされている。これがユダヤの民族性の意識にカフカが目覚めたとされているが、なぜ講演に熱心に毎回通い続け、自宅にもレヴィ―を招いたのかが長年の疑問だったがそれがわかったような気がしたのだ。(父親は非常に嫌がったのだけれど。)

カフカ自身はドイツ語で作品を書いていたが、ドイツ語が母語とも言えないし、ましてやチェコ語も同じようにな違和感を抱いていたのかもしれない。そこにイディッシュ劇団というものがやってきてユダヤの民族性に覚醒した体験であったということなのだろう。
池内紀は『カフカの生涯』で「卑語として蔑視されている言語がいかに豊かな文明語であるか」という内容の講演をカフカがしたと伝えている。半分ドイツ語にスラブ語を加え、ヘブライ文字で表記する、という横断的な言語だったようだ。それがなぜソ連によって嫌われイディッシュ作家が弾圧されたのかというのがよくわからない。ソビエト自体はあらゆる民族性を否定してグローバルな国家を目指したはずだったのになぜイデッシュ作家まで弾圧をしたのかということがわからなかった。おそらくソヴィエトの理想とは逆にロシアの民俗性の優位を本当はもっていたのではないかということだ。

カフカにこだわっていては先に進めないので、これぐらいにして元に戻ると、今接しているベルゲルソンにしろ、デル・ニステルにせよ、その思いはもっと高尚なもの、もっと洗練されたものを目指していたことを先に引用で示した。

イデッシュ文学といっても幅の広いものだったと言うことだろう。我々が当然受け取るべきは、この高尚な文学の方であって、市場で売買される文学のことでは無いという感を深くした。
そしてそれは、大状況としての政治を語ることではなく、その情況下にいきる個人の意識ではないかという点だ。先に自我の多数性を指摘したように、救うべきは個体の心性である。人間そのものの内面である。

文学は別に救いではないので、(救いなら宗教に任せておけ)救われなくったってどうでもいいんだけれど……。



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