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【散文】狂気纏う駅

 降車すると、エスカレーターが故障していた。僕はエスカレーター以外に上のフロアに行く方法を知らなかったので、「通行禁止」のコーンを爪先で軽く蹴ってどかし、エスカレーターに右足を乗せようとした。しかし、一向にそれは動き出さないので、苛立ち、その場で地団駄を踏んだ。するとヘルメットを被った作業着の男性が近づいてきた。

「おい、何してるんすか。立ち入らないでください」

そう言われても僕は、エスカレーターに乗らなければ上のフロアに行けず、つまり改札を出ることができず、即ち家に帰ることができない。このことからすると、この男性は僕に、この駅のホームで寝泊まりしろ、と言っていることになるが、彼はそれほど非現実的なこと言っているつもりはないらしかった。現実的なことと非現実的なことの区別もつかない頭の悪い人間と話をしていても仕方がないので、僕はその男性に愛想笑いを作って一礼をし、エスカレーターを自分の足で登った。その男性は追ってこなかったので、少し安心した。

 エスカレーターを登りきると、目の前のエレベーターから女性が出てくるのが見えた。

「あ、すみません。この辺りで美味しいカレー屋さんを知りませんか?僕今、カレーを食べたい気持ちなので、この質問をしています。仮に僕がカレーを食べたくなかったとしたら、この質問をしないし、それはあなたにもわかると思われるので、この質問をしている理由を今話したのは無駄でした、すみません」

単純に、無駄な話をして、それによって女性の顔に少し唾を飛ばしてしまったことが申し訳なくなったので、額を勢いよく地べたに打ち付けて、いわゆる土下座のフォームをとった。女性は一瞥もくれず、早足で僕の後ろを歩いていった。なぜあのような無礼な人間がこの社会で生きていられるのか、改善されるべきなのは社会の方か、それともあの女性の方か、考えた。素早く考えたので、正解ではないかもしれないなと思いつつ、僕は女性を追い、

「あなたが改善されるべきだと思います。社会ではなく」

と早口で伝えた。その時ふと思った。今の話し方が早口かどうかは相対的に決まるはずで、そうすると僕はこれまで話してきた、あるいは話を聞いてきた何人かの人間と自分とを比べ、自分の口調が早口だと判断していることになる。だが、それらの人間たちは、自分の周りにいる、という点で偏りがある可能性があり、そういう意味では自分が本当に早口なのかどうかはわからないにも関わらず今自分の口調を早口だと判断したことを反省した。しかし同時に、そのことが反省すべき対象であるのかどうかを考える必要があるなと思い、その判断に必要な基準は持ち合わせていない気がして、とても焦った。そこまで考えて、目の前にいたはずの女性が姿を消していたことに気がついた。時間の流れ方は人によって違うのだ、と思うと同時に、なぜか「特殊相対性理論」という言葉が脳の右後方に浮かんだが、それは今起きた出来事とは関係がないはずだったので、忘れるべきだった。

 改札を抜けると、向かって左側、少し先に、エスカレーターがあった。僕は突然走りたくなった。靴を履いていたが、走るには裸足が最適だということを経験的に知っていたので、靴と靴下を素早く脱いで駆け出した。今脱いだ靴と靴下を後で回収しなければならなくなるとわかっていたが、そんなことよりも今駆け出すことの方が重要だった。走ったことによって移動の速度が増し、歩く時よりも早くエスカレーターに到着できた。この速度の差など地球の自転の速度に比べれば大したものではないことを思ったが、それにしては気分が高揚していることが不可解だった。

 エスカレーターを降りると、足の裏が冷たくなっていることに気がついた。エスカレーターに熱を取られたのだろう。いや、この表現はあまりに主観的で、状況を客観的に表現するのに正しい表現は、エスカレーターに足の裏の熱が移動した、のようでなければならない。そのような表現でなければ僕は、自分を中心に世界が回っていると錯覚している人間になってしまう。世界はただ回っているのであり、その限りにおいて中心は存在しないと僕は考えている。地球のように空間に存在する事物であれば、回転の中心が普遍的に存在してもなんら不思議ではない。しかし世界とは、空間上に認識できる事物ではなく、むしろそれは概念に近い、知覚不可能な対象であるので、その回転の中心も同様に知覚できないのだ。それにも関わらず、自分という絶対的な存在を世界の回転の中心であると認識するのは、愚かである。今の僕の表現はまるで、自分が普遍的に観測者であり、それに対してエスカレーターはあくまでオブジェクトである、という極めて偏屈な見方をしている人間がするもののようだった。
 とにかく足の裏の冷たさに耐えられなくなったので、僕はエスカレーターに逆らって駆け降り、靴下を履き、靴を履いた。ふと顔をあげると、ホームレスを見るような目でこちらを見ている男性の存在を認めることになった。僕には住居があるので、その男性の目は不適切だと判断した。不適切なものは社会から排除しなければならないことを経験的に知っていたので、何らかの方法で彼と彼の目との関係を断とうと思ったが、彼がホームレス以外もその目で見ている可能性があることに気がついたので一旦踏みとどまった。彼が僕の横を通り過ぎようとした時、問いかけた。

「あなたはホームレスを見るときにその目をし、それ以外のものを見る時もその目をすることがありますか?また、僕か僕の周辺のどのような特徴があなたの目をそのようにしましたか?」

その男性は頭が悪いらしく、僕の言ったことがよく理解できないようだった。少し歩を早め、エスカレーターを登っていく。エスカレーターを歩いて登っては行けない、ということを彼は知らないのだろうか。そう思うと同時に、僕はそのことを知っていたにも関わらずエスカレーターを駆け登ってしまったことを思い出し、知っていることとできることは別なのだと改めて思った。しかし、気づいたからには指摘しない方がきまりが悪かったので、声を張った。

「僕はエスカレーターを歩いて登っては行けないということを知っています。あなたもそれを知っているならば、実行は難しいですが、試みてはいかがですか」

彼は僕の言葉を無視して、むしろより早足になって、エスカレーターを登り終えた。いつもなら追って殴ったりするほど彼の行動は無礼極まりなかったが、冷えた足の裏が靴下と靴によって温められたことで私の気分が穏やかになっていたので、彼の後ろ姿をスマホで撮影するだけにし、追わなかった。

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