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ライター生き残り戦略たったひとつの、正解

Twitterやノートを見ても分かるとおり、日本語の文章なんて誰にでも書ける。
日本の義務教育を受けているのであれば、なおさらである。まあたいていの人は書ける。
では、どうしてプロのライターという商売が成り立つのか。

考えて欲しいのは、というか、プロのライターなら絶対に考えなければならないのは
「なぜ、依頼者がお金を払ってもあなたに文章を書いて欲しいのか?」ということ。
お金を払うからには必ず理由がある。

「なぜ?」 を見ずして「ライターで100万円稼ぎました」とか「紙媒体のライターの方が文章うまいよね」とか「AIには負けたくないですう」とか、どれもこれも的外れ。ちゃんちゃら、ちゃんちゃら、ちゃんちゃらおかP音頭なのである。

大事なのは「なぜ?」だ。
「何を?」はその後
「どう?」もその後
「なぜ?」が一番最初。

なぜそうなのか?
世の中の一般的な商品は「なぜ?」という問いなしに流通している。
ケーキ屋さんは、なぜ顧客はケーキを買うのか考えない(考えることもある)。
何に使われるか、はわかっていても「なぜ顧客がそれを買うのか?」という意味を考えずに、流通している商品の方が多い。だからなぜなんてかんがえなくてもいいじゃないか。という意見も分かる。
だけども「なぜ顧客がそれを買うのか」、つまり顧客がお金を出す意味を突き詰めて考えている商品の方が、たいがい高級だし売れているし利益率もいい。

しかし、ライター自身がなぜ自分に文章が発注されたのか考えなければならないのかは、利益率が理由ではない。
文章は「なぜ」をダイレクトに解決する手段として発注されるからだ。

ある店主が、お客さんが少ない。店を明るくしよう。で電球を買う。
電球は明るければ良い。色味が丁度よければさらに良い。電球は「お客さんを呼ぶため」という意図も意味も解さなくてよい。電球だから電球として機能すればよい。
店主の「なぜ電球を買ったか」は「客を呼ぶため」である。電球は店を明るくすることで、間接的にその解決に寄与する。その間接には電球制作業者も電球販売業者も関与しない。店主は店主の責任として電球を買い求め電球を利用する。

文章はどうか。違うだろう。
ある店主が、お客さんが少ない。DMを打とう。でライターにメルマガを発注する。メルマガは出せばよい、ではない。店主の言うことをそのまま書けばよい、でもない。もちろんそういうときもある。自分の思うとおりに書かせて、効果が出たら自分の手柄、効果が出なければライターのせい、という発注者も多々存在する。
それでいいなら競争相手はAIだ。負けは見えているがネットに不慣れな発注者はまだ少なくない、がんばれ。

いわれるがままに書くだけではイヤだというのが本来の人間だと思う(仕事のやり甲斐ってのは自主性と創意工夫だから)。
そして人間に発注する以上、発注者も少なからず、ライターに人間であることを期待している。
人間であるライターは、良心的なライターならば「お客さんを呼ぶため」という意図や意味を解して、最大限自分のできる効果的な文章を書くだろう。時に店主の言葉と真逆のことを書いたりもして。ぶつかったり議論したり熱くなったり喜んだりしながら。

広告だけじゃない。
文章にお金を出すって、作業代行にお金を出すとイコールじゃない。
その意味と効果を買うってことだ。
だからこそ。プロのライターという商売が成り立つ。

考えて欲しい。考えるべきだ。苦しいけれど、それが職業的誠意だ。
考えるべきだ。楽しみながら。
「なぜ」自分はイマココで文章を書く仕事をしているのか。
「なぜ」自分は文章を書いて生きていきたいのか?

「なぜ?」を自らに突き付けること。
それこそがあらゆるライターに共通する、生き残り戦略の正解だ。

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