決められることと自分で決められること

ここ最近、二回目の体外受精が失敗に終わったことで落ち込んでいた。

というより、期待した分お金をかけた分、失敗したことはたしかに残念だけど、私の年齢なら一、二回目で成功する人が多いこと、凍結胚を使い切ったタイミングで転院する人が多いこと、卵胞刺激の方法もそれぞれ合う合わないがあるらしいこと、などをネットで読みあさって落ち込んでいた。

この本を読んで、私は自分で決められる人だということを思い出した。ネットの情報を見すぎて自分で決めることができなくなって落ち込んでいたのだと思う。「二回目の体外受精も失敗だった」という事実しかないのに、原因や理由をまったくの素人が探していた。不毛すぎる。

幸い、引越し先で見つけた今かかっている病院はかなり腕がいい、らしい。評判もいい。実際に通っていても病院自体にイライラしたりすることもない。わからないことは診察のときに聞けばいい。今はここを信じて治療を続けようと思う。

私が自分で決められる人であるのは、両親がそのように育ててくれたからだと思う。結婚する前までは、頑張ってもできなかったことを咎められたことはないが、頑張ってできたことを褒められたことも記憶にない。もっと褒めて育ててくれたら、私ももっと自尊心ある大人になれただろうに、と少し恨めしく思っていた。なんて勝手な。

「私の親はそういう親」と思って生きてきたが、結婚するにあたり両家の顔合わせをしたとき、両親は言い方に気を遣いながらも「一度決めた目標は努力してやり遂げる子です。自分の娘ながら尊敬しています」と義両親に話した。そのときは、そんな風に思っていたの?それもっと伝えてきてよ!と驚きと恥ずかしさを感じた。

けれど、思えば何をするにも私は自分で決めてきた。学級委員に立候補する、ピアノの発表会で弾く曲、部活に入る、部活をやめる、バイトをする、バイトをやめる、大学進学、そのときどきの恋人、就職、退職、その後資格取得のため二度の大学入学、結婚、結婚相手、結婚の時期、結婚後の家。小さい頃のサンタさんからのクリスマスプレゼントも、自分が決めたほしいものが12月25日に必ず届いた。

「すごーい!」と手放しで褒めてもらったような記憶はほとんどないが、親に勝手に決められたことはまったくない。むしろいつも私の選択を見守り、最大限応援してくれていた。

結婚し家を出るとき、母からの短い手紙にはお祝いの言葉とともに「いつも話を聞いてくれてありがとう。満足な親じゃなかったかもしれないけど…」とあった。正直母との関係はあまりよくないと思っていた。思ったことを90%くらいすぐ言う母に、いつも「そんなこと言わんでいい」とイライラすることが多かった。そのときも、「そんなこと言わんでいいのに」とまず思った。でも、この二文に26年間の母の色々な思いが込められていると思った。そして、話を聞いてもらっていたのは私の方が多かったし、満足な親ってどんな親かわからないけど、私は私のことを決められる人間に育ててくれた親に感謝している。

今の主な悩みはいつになったら子を授かるのかということくらいで、これは幸せなことだと思う。たしかに私にとってはかなり辛いのだけれど、健康な体があるから、余裕はないけど治療にあてる貯金があるから、両親も義両親もどう思っているかわからないけど孫を催促するようなことは絶対に言ってこないから、何より「この人との子を育てたい」と思える夫がいるから。そして無制限ではないけれど、自分に関するほとんどのことを自分で決めて生きている。そういう人間にしてくれたのは、両親だと思う。

今までは妊娠・出産のことばかりで頭がいっぱいになっていたが、最近ははれて自分たちが親になったあとのことを考える。子は親を選べない。選ぶことなく私たちのもとにきた子を、どんな人間に育てるかは私たち次第なのだ。もし親になれたなら、子どもには自分のことを自分で決められる人間になって、一度しかない自分の人生を謳歌していってほしい。

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