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休職358日目 俺たちのマンソン様

初めて聴いたマリリン・マンソンの曲は「Disposable Teens」だったと思う。

高校一年生の時(今から23年前!)、修学旅行でシンガポールに行ったのだけれど、俺たちは観光に全く興味がなかったので、自由時間は現地のCDショップに入り浸っていた。そこで友達が海賊盤っぽい洋楽のコンピレーションアルバムみたいなのを買った。その中にマリリン・マンソンの「Disposable Teens」が収録されていた。俺はそのCDを友達から借りてMD(懐かしい)に録音して聴いていたけれど、マリリン・マンソンにはあまり注目していなかった。名前だけは知っていたので、実際に聴いた感想は、デジロックっぽい感じなんだなぁ、と思っただけだった。当時の俺はオフスプやグリーンデイやニルヴァーナなどを聴いていたので、デジタルっぽいロックはダサいと思っていた。今、思い返すと恥ずかしいけれど、まぁ、昔のことなので大目に見てほしい。

マリリン・マンソンをきちんと聴き始めたのは高校二年生の時。
マイケル・ムーアのドキュメンタリー映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」がきっかけだった。
作中、インタビューに応えているマリリン・マンソンの姿を見て驚いた。
銃乱射事件を起こした犯人の少年ふたりがマリリン・マンソンのファンだったことが報じられ、マスコミは彼を叩いたし、ライブ中止のデモが行われた。それに対して、彼は作中のインタビューで以下のように語った。

・「ガキの頃から音楽は俺の逃げ道だった。レコードは俺の着ているものに文句をつけたりしない。いつも俺を肯定してくれる」
・「なぜ俺が悪者として選ばれたのか分かる。俺を悪者としてテレビに出しておけば簡単だからな。結局のところ、俺には恐怖のイメージがついてるんだ。俺は皆が恐れるものを象徴してるし、言いたいことも言うからね」
・「あの悲惨な事件にはふたつの副産物がある。エンターテインメントにおける暴力と、銃規制の問題だ。そしてこのふたつは次期の大統領選挙の争点と重なってる。みんな忘れてるんだ。モニカ・ルインスキーのことや大統領がよその国を爆撃してることをね。けれど、悪者になるのは俺なんだ。そりゃあ、俺は悪者だ。ロックを歌ってきたからな。でも俺と大統領、影響力はどっちが強い?どう考えても大統領だろ」
・「大統領が暴力行為を助長してる、とは誰も言わない。なぜなら、それはメディアの望んでる恐怖の生み出し方とは違うからな。人は毎日テレビのニュースを見て恐怖を詰め込まれてる。洪水、エイズ、殺人事件などのニュースが流れて、CMに切り替わったら、車を買え、歯磨き粉を買え、ニキビ面だと女の子はヤらせてくれない、息がクサイと嫌われる、てね。まるで恐怖と消費のキャンペーンだ。米国経済の基盤はそれだと思うよ。恐怖を撒き散らしておけば誰もが消費する。突き詰めればそういう事だと思う」

最後に、「コロンバインの生徒やあの街の人々に話すとしたら何を語る?」という問いに対して、マリリン・マンソンはこう答えた。
「何も言わないよ。黙って彼らの話を聞くね。誰もそれをしなかった」

奇抜なビジュアルだけれど、誠実にインタビューに応えていたし、発言も知性的だった。

インタビューに応じるマリリン・マンソン

それ以来、マリリン・マンソンに対するイメージが変わった。最初に聴いたアルバムは、確か、「Holy Wood(In the Shadow of the Valley of Death)」だったと思う。「The Fight Song」が収録されているから。
大学生になってから、ベストアルバムを買って友達に貸した。すると、予想以上にハマってしまい、そいつがマリリン・マンソンのことを「マンソン様」と呼び出したことで、仲間うちでマンソン様という呼び方が定着した。冗談交じりでね。

最後に買ったマンソン様のアルバムは、「The High End Of Low」なので、今から15年前。
最近はあまり聴いていなかったけれど、昨夜、久しぶりに「The Fight Song」を聴いたら、懐かしいけれどカッコ良くて、当時のことを思い出した。
そんなわけで、この記事を書いた。それにしても、「ロックを歌ってきたんだから俺は悪者だ」なんて言い切るマンソン様、シビれるね。

ちなみに、コロンバイン高校銃乱射事件の少年ふたりがマリリン・マンソンのファンというのは誤報だったみたい。マンソン様からすれば迷惑この上なかったろうね。

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