見出し画像

バンドがやりたい高校生

前回新型コロの影響でライブを中止する記事を書いて以来noteをみてもいなかったのでまたしても久しぶりの記事になる。

世の中はますます息苦しさが増し、今では最低限の買い物や仕事以外では外に出るな、どころか仕事をすることができない人もいる状況になってしまった。3月20日にライブを中止したとはいえバンドメンバーで集まってふつうにお出かけに興じていたのが懐かしくなるほどだ。

そしてこれから5月を迎えゴールデンウイークが始まる。予定していたレコーディングもスタジオの休業により中止となったりでわくわく感はないが、せっかくなのでなるべくnoteの記事を更新していこうと思う。こんな日々でもなにかを書き記していくことで少しでも内容のともなった休暇にしたい。
どうせ読んでる人なんてほとんどいないだろうから自分の好きなことをだれも悲しまない程度に好きに書いていこうと思う。あとで自分で見返して楽しい気分になれたらと思う。


さて今までnoteでは好きなプロ野球チームにまつわる話、天下一品の(妻に内緒でラーメンを食べたのにそのあと何食わぬ顔で帰宅し夕食を食べたことが記事を投稿したことでバレてかなり怒られた)話、あとはバンドの話を書いてきたが、今回はもう少しバンドの話を掘り下げて書いていこうと思う。

--------------------------

バンドを始めるにはまず少なからず音楽にある程度の興味がある必要があると思う。知り合いのバンドの人の話を聞いていると兄弟からの影響でバンド音楽を…とかが多いように思うのだけど、僕はお姉ちゃんがKinKi Kidsや嵐が好きだったのでいかにもバンド音楽というものには触れるチャンスがなかなかなかった。聴く音楽といえばそのへんのジャニーズのCDを入れたテープ(僕は姉から嫌われていたのでCDには触らせてもらえなかった)、父親がレンタルしてきたシングルCDを録音したテープなどを自分でも聴いていたのが能動的に音楽を聴くということの始まりだった。


中学生になり徐々にいろいろなJ-POPを聴くようになっていくのだが、その中でも最初にGLAYに興味をもったところからバンドというものに対する憧れが芽吹き始めた。中1の冬くらいに自室(といっても妹と2段ベッドを共用する部屋ではあったが)にMDコンポを買ってもらい爆音でGLAYを流して僕はマイクの代わりにテレビのリモコンを片手にTERUと同じマイク(リモコン)の持ち方で本気で歌ってた。爆音だから自分の歌声は聴こえてないだろうとは思ったけど、本気で歌ってたからみんなに聴こえてただろうな。おかあさんうるさくしてごめん。

そのころにはあきらかに自分のなかでバンド・ミュージシャンというものに対する憧れが大きくなっていったのに気づいてはいたけど、まだそれを行動に移すことはできなかった。僕は部活の推薦のようなもので高校へ入学したが、その部活を続けることが条件だったため軽音楽部などに入ることなどは考える余地がなかったのだ。


高校生となってしばらくすると、僕が現在も所属しているバンド(のちの「Pastwalker」)のメンバーに出会うことで自分の音楽の方向性に変化が生まれ始めた。

まず高校1年生のとき、のちにギターを担当する西川と同じクラスになった。彼はバスケ部所属で入学当初から甘いマスクを武器に女子人気高しという、童貞で高校生活になぐりこみをかけた僕とは身分が違う存在だった。その反面女子に媚びたような音楽を聴くタイプではなく、彼は銀杏BOYZや10-FEETなど、当時流行りに乗ってきていたパンク界隈のバンドについて教えてくれた。

それまでパンク的な音楽といえば中学のときにちょっと変わった友達が聴いていたブルーハーツくらいしか知らなかったので、結構自分にとってはインパクトが大きかった。それからというものGLAYやミスチルばかり聴いていた僕は上記のようなバンドを少しづつ聴くようになった。たしかにかっこいい音楽だと思って聴いていたけど、彼のようなクラスの人気者に近づきたいという思いもあったかもしれない。

高校2年生になると現ギターボーカルの涼ちゃんと同じクラスになった。当時から彼は軽音楽部に所属しながらも学外でバンド活動をおこなうことを模索していた。あまりメンバーにめぐまれず思ったようにバンドをやれていないようだったが、そのような話を聞いているうちに僕とは親しい仲になり、いろいろお気に入りのバンドを教えてもらったりした。

その中で知ったHi-STANDARDを聴いたときには今までにない衝撃があった。ひたすらに速いリズムでつっぱしりながらもキャッチーなその楽曲の数々は、気が進まない部活で先生から罵詈雑言を浴び疲弊していた自分の心にすぐに受け入れられた。涼ちゃんの家に遊びにいくとたくさんのパンクバンドのCDがあり、おすすめのバンドとしてNO USE FOR A NAMEとかNOFX、BAD RELIGIONのCDを貸してくれたのを覚えている。

ちなみにのちにベースを担当する多々良は中学生のころから学校は違うながら部活を通じた知り合いであった。当初は高校でも一緒の部活に所属していたのだが、1年生の夏休みころ急に部活に来なくなり、いつのまにか軽音楽部で涼ちゃんとバンドを組んでいた。やられたと思った。バンドをやりたい思いを優先させた彼がうらやましかった。


そんな日々が続き、高校3年生になるころには僕もすっかりメロコアキッズに仕上がっていた。そんなところに9月の文化祭で涼ちゃんのバンドがライブをするという情報が入ってきた。

涼ちゃんがギターボーカル、ベースが元チームメイトの多々良、そしてリードギターは先日バスケ部を円満に引退したばかりのはずの高校1年時のクラスメイト・西川だという。またしても僕はやられたと思った。僕も6月に部活を終えていたが、それから軽音楽部に入るなんて考えもしなかった。当然楽器なんて音楽の時間くらいでしか触ったことがないし、高校3年の夏に軽音楽部に入ってもせいぜいピンボーカルしかできない。

しかし彼はそのような道があることわかっており、バスケをしながらギターも練習していたらしい。嫌々やっていた部活をなんとかやり過ごし、自由を手に入れてのうのうと毎日を消化していただけの自分には勝ち目がなかった。


文化祭ライブは校内の体育館の隣にある広めのライブハウスくらいの大きさの柔道場で行われた。彼らの出番はトリで曲目はハイスタの「My First Kiss」、Ken Yokoyamaの「cherry blossoms」「I can't smile at everyone」など。バンド名は「MASS PIKE」だった(高校生にしてThe Get Up Kidsの曲名から拝借していたらしい)。

少しでも爪痕を残したくて仕方がなかった僕はライブの直前に「I can't smile at everyone」の曲始まりの「1,2,ファッキン」というカウントを言わせてくれ、というとんでもない依頼を西川にした。  

ライブはかなりの盛況で、トリのMASS PIKEのライブではモッシュが巻き起こるほどの盛り上がりだった。みんな別にハイスタが好きというわけじゃなかったとは思うけど、そんな雰囲気を起こすくらいの力があの場にはあった。僕はバンドをやりたい気持ちをぶつけるかごとくモッシュのなかで暴れまわった。

なお『「1,2,ファッキン」を僕が言う依頼』は本番ではあっさりスルーされた。


そんな悶々とした日々が続くなかでも運よく進学先が早めに決まったりして、大学では絶対バンドやってやろう、スポーツは糞と思っていた秋が深まるころ、僕に朗報が舞い込んだ。  

ある日の昼休み、同じように早く進学先や就職先が決まっていた別の友達5人が集まって卒業記念にバンドしようと話していた。趣味でギターをやっているルックスの良い友達、5人のなかで唯一軽音楽部に所属しているクラスメイトのドラマー、あと3人は楽器初心者で俺はギターだ、僕はベースだ、キーボードだと話し込んでいた。

するりと5人の話に入り込んで聞いていると、どうやら5人とも歌に自信がないらしい。

以前からカラオケにだけは自信を持っていた僕は即座にボーカルとして加入を申し込んだ。いや、お前らには歌わせられねえ、という思いもあったかもしれない。その友達5人も、「6人もいる?」という雰囲気ではあったものの承諾してくれ、ついに僕はバンドを組むことができたのだ。

…とは言えこのバンドは涼ちゃんのバンドのように憧れのメロコアバンドではない。メンバーも別にバンド好きというわけでもなかった。そこをなんとかしたい…。と僕は勝手にイニシアチブをとろうとしていた。


3月の卒業記念ライブで4曲やるために、みんなで選曲をしようと本屋のバンドスコアのコーナーに訪問した際、僕はやたらとパンク系のバンド(ブルーハーツとか)を提案したりしていた。当然彼らが知らない曲は却下される。そもそも6人も必要がねえ。

なんとかみんなを納得させ演奏することに決まった曲が当時学校内で少し人気があった藍坊主の「鞄の中、心の中」と「瞼の裏には」。あとはHY「てがみ」とコブクロ「memory(初期のアルバムに入ってるロック調の曲)」という不思議な組み合わせだった。  
各々が譲歩を重ねた曲目である。

高校生は「コンセプト」とか「一貫性」という言葉を知らない。  

それでも僕はバンドが組めたことがうれしかったが、もう1つ僕にはギターを持って歌いたいという憧れがあった。

しかしもうバンドメンバーはツインギター・ベース・キーボード・ドラムの5人がいる。メンバーは「ギター3人もいる?」という反応だった。当然のレスポンスである。しかも僕は初心者なので確実に雑音を1パート増やすだけだ。

そこで僕は「中村一義というミュージシャンはギター3人でライブをやっている」という謎理論を持ち出し、メンバーを説得することに成功した。みんなしぶしぶ了承していた。

そして比較的簡単そうな2曲(「てがみ」と「鞄の中~」)だけギターを弾くということが決まった(勝手に決めた)。


バンド名は「AIR BREAKER」。僕がすぐ空気をぶち壊すギャグを投下していたことと、LOW IQ 01のやっていたBEAT BREAKERというユニット名を参考にしてこれまた自分が決めた。

重ねて申し上げることになるが高校生は「コンセプト」とか「一貫性」という言葉を知らない。  

ちなみにギターに関しては、中学の知り合いから5000円で売りつけられた初心者セットのギターで練習していた。
ヘッドに「SX」と書いてあるストラトタイプのギターだったが、とりあえずヘッドのロゴを彫刻刀で削って藍坊主のシールを貼っていた。


せっかく人前でギターを演奏するのだから新調したいという思いが募り、ライブまで3カ月くらいになったお正月、僕は当時HUSKING BEEの解散ライブのDVDを観て平林一哉氏に憧れていたので、エピフォンのレスポール(ビンテージサンバースト)をお年玉で購入した。

重ねて申し上げることになるがやる曲はHYやコブクロである。


そしてついに迎えた初ライブ。会場は京都・河原町高辻にあるARC DEUX(アークデュウ)。高校生とビジュアル系に御用達の老舗だ。
僕は勝負服である京都・河原町の新京極通のスピンズの地下にあった服屋で買ったラメ入りチェックシャツをまといライブに臨んだ。ちなみにライブハウスに行くまではファー付きのダウンベストを着ていた。3月はまだ寒かった。

ついにライブハウスに出演できるという思い以外にやる気がみなぎる理由があった。約1年前、僕を交際1ヵ月でフッた元カノも他のメンバーに誘われてライブに来るらしい。  

見返してやるぜ。という思いがふつふつと湧き上がっていた。  

ちなみになぜ1ヵ月でフラれたのかについては僕の勝負服やこれまでに記した言動から察して頂ければスムーズに答えにたどり着けるかと思う。


会場に入ると同年代であるがバンド経験が長そうな面々が終結していた。どうやら対バン同士顔見知りでもあるらしく、すでに楽屋ではわいわいと盛り上がりを見せていた。
ライブハウスでは概ね本番前にトリのバンドから逆順にサウンドチェック(リハーサル)をおこなうのだ。
僕たちAIR BREAKERは出演順は1番目だったので、本番前のサウンドチェックも最後で入り時間が遅かったのもあり楽屋に居場所がなかった。
自分たちの前にサウンドチェックをしているバンドを眺めみる。ちょうどそのバンドはプロかと思うくらいの演奏力のオリジナルバンドだったために言葉を失った。

自分たちのサウンドチェックはやったのかどうかも記憶にないが、1つのアンプに2台のギターを繋いでいた記憶がある。  

ちなみに出演順が1番ということは僕も事前に知っていた。1番ということはSEとともに入場するプロがよくやるやつができるじゃないか…。僕はライブ数日前にほくそえみながら入場SEで流す曲を選曲していた。

選んだ曲はLOW IQ 01の「WAY IT IS」だ。
もうカッコつけることしか考えていなかった僕はわざわざ1分近くイントロがある曲を選び、プロ仕様での登場を敢行した。この曲のイントロが終わって歌が始まったらステージに出てほしいと伝えた。他のメンバー5人は困惑していた。
いよいよイントロが流れ出して「まだ?」と言われるときの視線が少し痛かった。

そんななか始まった肝心の演奏はというと、わざわざ他のギター2人を差し置いて担当した藍坊主のギターソロで撃沈、声が裏返りオカマのようなボーカルを披露、など、これぞまさに正真正銘のSUPER STUPIDと言える所業が立て続けに公衆の面前にさらされる事態であった。あきらかな人災であった。

後日元カノのブログ(当時ホムペ・ホンペなどと呼ばれmixiが流行る前に高校生がやってたやつ)ではフロントマンであるはずの僕について特段の言及はされておらず、となりにいたルックスの良いギターについての上手かった・かっこよかったとの記述が大半をしめていた。僕もその場に存在していたことが最後の方にかろうじて記載されていたのがせめてもの救いだった。

僕はサポートパーカッションか、はたまたローディーかなにかだったのだろうか。
彼女はあの場でどこを見ていたのだろうか。


そんな地獄もええとこな初ライブを終えAIR BREAKERは当初の予定通り解散したが、その後僕にとって千載一遇のチャンスが訪れる。

あの涼ちゃんからなんとバンドに誘われたのだ。
どうやら今のドラマーとあまり反りが合わないらしく、高校卒業後はドラマーだけ別メンバーで活動したいとのこと。

僕はめちゃめちゃうれしかった。

もう俺は音楽でメシを食っていけるんだとまで思った。


しかしまずかったことがある。その誘いを受けた僕はそこから即日必死こいてドラムの練習を始めるべきだったが、なぜかベースでの加入を要望した。

ギターは涼ちゃんと西川がおりかなりレベルが高いのがわかっていたから、ギターを買ったばかりの僕でもさすがにギターやりたいとは言えなかった。

しかしベースなんて初心者からしたら技術的なところもよくわからないし、そもそも当時は音楽を聴くうえでたいして耳に入ってもいないパートだった。

中学のとき英語の家庭教師をしてくれていた父親の知り合いのミュージシャンも「ベースが似合うんじゃない?」と適当なアドバイスをしたもんだから、僕は完全にベーシストとしてメシを食うことを望んでいた。  

ベースの多々良はドラムスティックを買わされていた。


希望に満ちたバンドライフが幕を開けようとしていた。

大学生編に続く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?