ミーハー万歳


 ミーハーだと言われて傷ついた人へ。私もその1人なんだけど。いろんなものを好きになってきて、離れてきた。周りの人からすると、見境なく好きになってるように見えているようで、「ミーハーだよね」って言われた。ちがうんだけどな。全ての好きになってきた出来事には、「これが好き!」ってポイントがあって、確実に刺さってた。クリティカルヒットしてた。なんでもいいからなんとなく、ってことじゃなくて、きちんと色んなことに感動したり憧れたりしてたんだけどな、ちゃんと。

 そう言われて傷ついて、何かを好きになることが怖くなった。私って尻軽なのかな?異常なのかな?もっとちゃんとしないと、“本気で”好きにならないといけないのかな? 今なら、この考え方がいかに危険かがわかる。自分の中で無意識で好きだと思っていたことを、意識して好きになろうとすることは、不可能だ。自分の中にも、誰かの中にも、答えがないんだから。ずっと影を追いかけてるような、ただただ気力だけが削られている感覚だけが残って、何かに感動する神経を鈍感にすることでしか対処できなくなった。

 それを経たいまだから思うんだけどね、何かを好きになれるって、本当にすごいことなんだと思うよ。何かを好きになれるその繊細なセンサーを張り巡らせて、好きな音楽、映像、人、食べ物、匂い、風景、感触に囲まれて生きることができるのは、すっごく幸せなことなんだと思った。 
 好きになる対象があればある程、自分の好きな絵だけ飾られた美術館は充実していくんだよ。だから、ミーハーだって言われて、なんか悲しい思いしちゃった人は、ラッキーよ、その美術館にたくさんの絵をすごいスピードで飾っていけるんだから。その中を歩くだけで、簡単に幸せになれるんだから!!

 いくら得意でも、それが好きじゃないことだったらするのは辛いよね。なにかを好きになれるってのも、一つの才能なんじゃないかなって、わたしは思うんだけどなあ。

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