二十歳の頃2024(12)母にきく
私の母にインタビューした。1972年生まれ、広島県呉市で育ち、短大を卒業したのち、自動車メーカーのマツダに就職した。現在は保育士として働いている。(聞き手・古角夏穂=2年)
――20歳の頃、何していましたか
短大の2年生。情報処理を学んでいて、今はITとかすごいでしょ、それのはしりだったの。データベースについて研究していて、研究室の先生はマツダにいた人。マツダ病院のカルテを電子化する情報システムに携わっていて、そこから引き抜かれた人。話を聞いていて、マツダに入りたいなと思って就活したの。
――おじいちゃんもマツダ関連の仕事だったからその影響だと思っていた
それもあるけど、マツダは本社だけじゃなくて、いろんな子会社があって。広島にいる6人に1人はマツダの仕事をしているの。その研究室の先生から具体的な話を聞いたり、興味があった情報処理のことに先生がめっちゃくわしかったりしたから、興味を持ってやりたいと思って入社した。
――研究室は何をするところ?
短大の2年から1年間いただけだけど、がっつり研究なのよ。2年の後半は、先生とデータベースを作って。どんなことかというと、データがぐちゃーと集まるでしょ。それを箱みたいなものにデータを入れる。例えば、洗濯してぐちゃぐちゃになった靴下や肌着、ズボンをそれぞれタンスに入れるっていう感じ。実験したデータをそれぞれの箱に入れて、箱の数値をまとめてグラフ化していた。
――研究室にはどうやって入ったの
この先生はこういう研究をやりますというのが示されて、それをもとにアンケートを取られて、第1希望はここ、第2希望はそこ、みたいに希望するの。だから、希望する先生の単位を落としたらまずいぞって思って、必死に勉強した。
――2年間は短くないですか
短い。でも当時、女子の短大生は一般的だった。4年制の一般職はなかなか採用してもらえない。お茶くみ、コピー取りが世の中にいっぱいいたの。それが短大卒の女子みたいな。女性の社会進出が今ほど進んでいなかったから、男性ばかりの職場にいきなりボーンと入れられてもまごつくよね。うまく回らない。そんな職場環境。
――だから4年制の大学ではなくて、短大を選んだの?
就職しやすいのは短大だったと思う。
――就活を始める前、研究室の先生とどう関わったの?
1年生の時、その先生が担任だった。だから、最初からつながりがあった。情報処理関係の授業もその先生がやっていた。この先生の研究室に入りたいってずっと思っていた。
――就職先はいつごろ決まったの?
2年の夏ごろに。当時は短大に行く女子が多いから流れはできているの。学校自体も流れができていて、パパっと決めていく。
――マツダに入社してからどうでしたか
学生生活でのんびりやっていたのに、いきなり、60歳ぐらいの人もいる中で働くことの大変さ、いろんな人間関係の中で働くことの大変さを学んだ。でも、仕事を一つ一つ丁寧にわかりやすく教えてくれて、職種は違うけどそれが今の仕事にも役立っている。開発部門にいたから、ほとんどが理系の男性。情報処理関係のアシスタント的な仕事をするんだけど、男性社会の厳しさを目の当たりにした。でも、本気でものづくりに向かっている人たちの厳しさを知ることができて、新しいものを生み出す苦しさを一緒に体感できたのが、人生の糧になっていると思う。
――お母さんも製品を作っていたの?
エンジンを設計して組み立てて、工場でどんどん量産するじゃん。車が実用で使えるためにいろんな工程の実験をするの。実験のデータに基づいて、だめだったら戻って、また設計からの繰り返し。それを何年もかけてやるの。実験をしたら数値化されるじゃん、排ガスの量とか。実験をして、そのデータをコンピューターで情報処理するんだけど、そのシステムを会社が独自に作っていたの。それを数字化するためのシステムを作る部門にいたの。だから、短大の研究室でデータベース化する研究とリンクしているの。短大の頃よりめっちゃ高度だけど、やっていたことにうっすらとリンクしていて、短大の研究はすごく学びになった。