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現代資本主義の金融経済(3)

1. 欧米経済とカネあまり
② オイルショックとレーガノミクス
 英国ではサッチャリズムが新自由主義の経済政策を開始したころ、米国でも同様に保守主義の政治的主張が勢いを増していた。経済政策面だけでなく、ソ連のアフガニスタン軍事介入が起きたために米ソ関係が緊張し、米国の政治の右傾化、保守化が強まったこともその背景にある。
 もうひとつの要因はオイルショックのインパクトである。オイルショックは英国にユーロ市場発展のきっかけを与えたが、米国ではインフレによる経済への打撃が大きかった。米国はもともと石油多消費国である。原油価格の上昇は産業面においてはコスト増加に直結しコストプッシュ型のインフレにつながった。消費面では、ガソリン代や灯油代(暖房費)、電気料金の高騰など必需品価格の上昇が家計を直撃した。
 このインフレを米国金融政策当局は、金利の大幅な引き上げによる金融引き締めで抑え込もうとした。連邦準備制度理事会(以下FRB)は、短期の政策金利(フェデラルファンドレート)を、1981年には一時20%台にまで誘導し、インフレ抑制を図った。こうした引き締め政策は同時に景気を冷やすことにもつながり1982年にかけて米国景気を大きく後退させることにつながった。米国の実質GDP成長率は、1982年には▲1.9%となり、完全失業率も9.7%に上昇、特に黒人の失業率は18.9%、さらに1983年に19.5%まで上昇した。景気悪化が治安の悪化にもつながるような状況となった。
 この金融引き締め政策は国際金融市場にも大きな影響を与えた。特に中南米諸国の累積債務問題をより深刻なものにした、といえるだろう。ブラジル、メキシコ、アルゼンチンなどの中南米諸国は1970年代のオイルショック時に原油輸入代金の高騰によって国際収支が悪化した。これを主にこれらの国の公的部門が米国の商業銀行から借り入れを受けることで埋め合わせを行っていた。しかし、2ケタ金利の金融引き締めはドルの調達を困難にしてしまい、過去債務の支払いの遅延などといった問題が発生していく。まず1982年にメキシコの876億ドルを超える累積債務問題が表面化し通貨危機につながった。メキシコは国際通貨基金(IMF)の勧告によって、緊縮財政やペソの切り下げを行うことで財政の健全化を目指したが、実際には経済は好転せず、1986年にメキシコの債務は1,000億ドルを越えるところまで悪化した。ブラジルやアルゼンチンも次々と債務返済が滞る状態になり通貨危機に陥っていった。これらの国は米国の金融引き締めによる高金利と内需低迷、ドル高政策三重に国際収支悪化要因を抱えてしまった。
 こうした第二次オイルショックとそのインフレを抑え込むための金融引き締め政策による負の影響を受けた景気状況の中で、1981年に発足したレーガン共和党政権は、減税と軍備拡張(による需要拡大)を行った。経済の供給側を改革するとの触れ込みであったが、英国と違って主要基幹産業が国有化されていたわけでもないので、民営化や規制緩和といっても英国に比べると限られていた。結果的には減税と軍備拡張による財政需要拡大政策が柱になり、1983年以降の景気拡大を導いた。
 減税は主に超過累進制の所得税の税率カーブを倒し、高額所得者への減税と企業の設備投資を刺激するための設備投資減税が二本柱になっていた。一方で、社会保障税の引き上げといった「増税」も行われた。国防省支出は1980会計年度では1,309億ドルであったが、1985年度には2,451億ドルと大きく増加、政権2期目においても増加傾向は変わらず、1988年度には2,818億ドルへと増加した。
一方、労働組合運動の抑圧という政策において、レーガノミクスはサッチャリズムと共通していた。1981年の航空管制官ストライキへの対応で参加者全員解雇という強硬策を取った。この強硬策は、1970年代は、それなりにストライキ闘争で力を示せていた米国の労働組合を衰退の方向に導くきっかけとなってしまった。1980年に20.5%だった労働組合組織率はレーガン在任中の8年間に低下し続け、1988年には16.8%に低下した。労働組合組織率は、その後低下スピードがやや落ちたものの、2013年には11.3%にまで低下している。労働組合の賃金をはじめとする労働条件決定における役割を大幅に後退させてしまった。


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