(ノート)岸田政権の経済政策(2022/10)

(2022年10月18日記)

いつまで円安放置を続けるのか

外国為替市場における円安はすでに極端を通り越しつつある。円ドル相場は1ドル145円という水準を超してきた。ユーロ安でもあり、ドル高が進行した結果と言えなくもないが、円の低下は特に際立っている。
日銀の計算による実質実効為替レート(貿易相手国に対するウェイト付を行い物価の格差を考慮した為替レートの指数)によると、1999年12月に131.01だった指数が2022年8月には59.86と半分未満にまで低下している。(図1参照)また、ニクソンショック前の1ドル360円時代には、実質実効為替レートは58程度であったので、ほとんどその水準に戻ったことになる。絶対的な購買力平価(物価水準が同一となる為替レート)の水準の計算を正確に行うのは困難ではあるものの、おおよそ実質実効為替レートで100から110程度ではないかと推測されるため、少なくとも円は4割程度ディスカウントされた状態になったと思われる。


他の主要国より物価が相対的に安定し、かつ経常収支も黒字を保っている日本の通貨がなぜこのように下落してしまっているのであろうか?この異常な円安がもたらされた原因は、ひとえに日本銀行が超金融緩和政策を継続していることである。原油価格の大幅な上昇をきっかけにした世界的なインフレ傾向を抑えるために、3月から米国が利上げを開始し、ドル金利が長短ともに上昇しているにもかかわらず、日銀はゼロ金利政策を維持し、かつ国債の購入を大きく増加させて長期金利の代表である10年国債利回りを0.25%以下という低水準に抑え込む政策をとっている。米国の10年国債利回りは4.01%(10月18日)まで上昇しており、長期の金利差は3.76%まで広がった。日本と米国ではインフレ期待値にも格差があるが、期待実質金利を表すインフレ連動債の利回りは米国では1.57%(10月17日)まで上昇し、金融市場に引き締め感が生まれているのに対し、日本のインフレ連動債はマイナスのままである。政府・財務省は9月22日に為替市場で円買い介入を行ったが、その水準も突破されている。この米国との広がった金利差を放置したままでは、円安が継続してしまうのは当然と言える。多少の為替市場介入で防げる状況ではない。
円安になれば輸出が増加し、輸入が減少して国内景気にはプラスの作用が働くとされているが、現実はどうであろうか?季節調整済みの輸出入額を輸出入物価指数で割って実質の輸出入額を見てみると、直近の2022年8月では輸出の伸びは前年同月比1.8%、輸入の伸びは同2.7%であり、大きな変動はしていない。輸出が伸びて景気に好影響が出ているなどという事実はない。国際収支状況をみれば、海外からの観光によるサービス収入が途絶えていることに加え、原油高が大きく影響して輸入額を膨らませたため、4月以降、貿易赤字が増大した。4月から8月の累計では10兆2945億円となり、前年の同期間と比較して9兆302億円赤字が増加した。それでも外国への投資からの収益である投資収益収支の黒字は好調で貿易収支の赤字を上回っているので、経常収支は赤字に落ち込んではいない。
今後、10月11日から国外からの個人観光を緩和したことで、サービス輸出と位置付けられるいわゆるインバウンド消費が増加してくることは予想される。しかし、それは現在のような極端な円安でなくても十分に実現できたことである。コロナ対策の反動でしかなく円安による景気刺激効果であるとは言い難い。
実際には円安による輸入価格の上昇が日本経済に悪影響を与えているというのが現実である。日本の消費財とりわけ必需品類の輸入は中国からのウエイトが高く、人民元がドルについで高くなっていることも消費者に大きな影響を与えている。人民元は昨年末の6.943元/ドルから直近10月18日7.21元/ドルへの変化であり、おおむね対ドルレートを維持している。対円ではドル並みに高くなっている。
また、現実の為替レートが円安にふれているにも関わらず、購買力平価は安定しているという事実も指摘しておきたい。日米間でみれば、日本の企業物価指数が9.3%上昇(2022年9月前年同月比)に対して米国の生産者価格指数は8.5%(同)であり、この1年間で0.8%ほど購買力平価は円安方向にシフトしたが、無視しうるほどの変化であって円安が日本のインフレを他の主要国以上に加速させているという状況にはない。
岸田政権は黒田日銀総裁が主導する超金融緩和政策を容認し続けるのであろうか。または、米国のインフレが収まって、米連銀が利上げを見送り、市場金利が低下するのを待とう、というのであろうか。いずれにせよ、無為無策の誹りを逃れることはできないであろう。あるいは、うがった見方をすれば、日本が米国に忖度して円安を引き受けることによって、米国のドル高政策に協力し、インフレ対策にいくらか貢献しているという見方もできなくはない。が、これは貿易関係を通じた日本国内の労働の安売りでもあり、その効果も極めて限定されたものでしかない。
 

実質賃金維持だけでは搾取強化

岸田首相は実質賃金が鮮明に低下してしまっている現状に対し、10月4日の「新しい資本主義実現会議」で2023年の春闘に向けて「物価上昇をカバーする賃上げを目標に、企業の実情に応じて労使で議論していただきたい」と述べたが、政府として賃金引き上げのための方策を推進することには消極的である。会議での提案では、どちらかといえば、中小企業の賃上げのためとして、中小企業への下請け価格の適正化や補助金政策を盛り込んでいるだけである。
最低賃金の引き上げも安倍政権時代に比較すれば、わずかに引き上げ幅が増加したものの、政府サイドには生活できる賃金に引き上げていこうとする動きは見られない。早期に1000円を目指すとしているが、抽象的で単なるリップサービスの域を出ていない。むしろ、実質賃金さえ維持できればいいだろ、という開き直りになっているのではないだろうか。
「労働者に転職の機会を与える企業間・産業間の労働移動の円滑化」などとまるで労働者のためと言わんばかりの雇用流動化政策を推進しようとしており、「①労働移動を受け入れる企業、②副業に人材を送り出す企業または副業の人材を受け入れる企業を支援」「賃金制度を改革し、新たに職務給の導入を行う中小企業について、助成を行う」といった政策を据えようとしている。
実質賃金を維持するためだけにも物価上昇率に相応する賃金引き上げが必要である。消費者物価指数は3.01%(2022年8月、前年同月比)と3%上昇を超えてきた。比較的安定している仮想的な品目である持ち家の帰属家賃を除くベースでみると消費者物価は3.6%上昇しており、こちらの方が実感に近いし、実質賃金維持のための最低条件なのではないか。生活に密着した品目でみると、食料品4.8%、光熱・水15.6%、家庭用耐久財6.0%、衣料2.0%などとなっている。
今のところ消費者物価上昇率は、米国の8.2%(9月)やユーロ圏の9.1%(8月)よりはかなり低いと言える。日本では賃金上昇が小さく、コストプッシュの圧力が相対的に小さいことが原因であろう。しかし、だからと言って賃上げに消極的になることが正しいわけではない。
日本取引所グループによる集計によると上場企業(連結、市場第一部・市場第二部・マザーズ・JASDAQ合計)は、2021年度、経常利益を前年度比で38%増加させ史上最高の61兆3467億円に達した。(図2参照)2022年度は原油価格の高騰によって産業によっては多少の減少はありうるが、輸出関連企業には円安棚ぼた利益があり、9月以降は国内景気が持ち直しているとの観測もあるので、全体としては企業の利益は高水準を維持するだろう。


こうした資本の莫大な利潤は、基本的には低賃金・長時間労働による労働者の搾取の上に成り立っていることを我々は再認識すべきである。長期的・平均的にみれば現在の賃金水準は労働力の再生産費に満たない水準であって、労働者が単に実質賃金を維持するだけでなく、資本の利潤追求に対抗し、健康で文化的な生活を維持するための賃金を要求すべきである。実質賃金の維持だけでは大企業の利潤は増える、つまり搾取は強化されていくことになる。
そしてこの莫大な利潤の大きな部分が、設備投資=生産手段の蓄積増加に充てられていないことによって、マクロ経済的なバランスが取れず、財政赤字によってバランスが支えられている現状がある。それは、大企業・富裕層の金融資産の増加と財政赤字の累増という形で現象しているのである。

年金改悪を許してはならない

厚生労働省は、国民年金(厚生年金加入者の「基礎年金」部分)の支給額を将来的に「5万円台」に維持するために、サラリーマンが加入する厚生年金の報酬比例部分(2階部分)の支給額を減らし、浮いた財源を国民年金に回して穴埋めする仕組みを検討しているという報道がなされている。
年金財政の見通しを見てみよう。厚生労働省は2019年財政検証結果のポイントにおいて、「経済成長と労働参加が進むケースでは、マクロ経済スライド調整後も所得代替率50%を確保できる」としている。また「被用者保険の適用拡大が年金の給付水準を確保する上でプラスであり、特に、基礎年金にプラスであることを確認した」としており、基礎年金の維持のためには被用者保険の適用拡大が鍵になるであるとの認識が示されている。新しい資本主義実現会議でも被用者保険の適用拡大は謳われているが、基礎年金財政について何らかの補填策を提起すべきではなくて、被用者保険拡大の方策を導入することが必要なのではあるまいか。この財政検証でのオプション試算によれば、一定の賃金収入(月5.8万円)以上の全被用者(1050万人)に被用者保険を拡大した場合、厚生年金も基礎年金も現行よりも所得代替率が4〜5%高くなるとの結果になっている。政府が中小企業対策で優先すべきことは、被用者保険の拡大を法制化したり、最低賃金を大幅に引き上げて、対応の難しい中小・零細企業へは支援策を導入することではないのだろうか。
そもそも月額賃金をポイント制的にして給付水準を決めている厚生年金の報酬比例部分を減らすというのは、厚生年金に加入していた労働者の過去の労働から追加搾取するという政策であり到底容認できない。その意味では現在行われているマクロ調整も不合理であると言わざるをえない。基礎年金維持の不足部分は税の投入で賄うべきである。また、公的年金はこれまでの保険料の累積による200兆円を超える積立金を保有している。これはこれまで働いた世代の労働者の積み立てた資金であり、その世代の年金給付に必要であれば、厚生年金、国民年金ともにその積立金を使うところから出発すべきである。
 

新味のない産業政策

「新しい資本主義」を掲げる岸田政権の産業政策には全く新味がない。安倍政権下で行ってきた産業政策の延長でしかなく、それに新しい名札をつけただけだ。
10月中に取りまとめられるとされる政府の総合経済対策に盛り込むべき事項が「新しい資本主義実現会議」第10回会合(10月4日)に提起された。「人への投資・分配」の一項目である賃金に関しては前節の通りであるが、産業政策面では「スタートアップの起業加速およびオープンイノベーションの推進」を掲げており、中身としては産学協同の推進となっている。
また、「非営利組織においては、事業実施主体として限界があり、資金調達の柔軟性が低いことから、大規模な課題解決が難しいとの指摘もある。新しい資本主義実現会議の下に、民間で公的役割を担う新たな法人形態検討会を設置し、新たな法制の要否について検討を進め、来年6月までに結論を得る。財団・社団等の既存の法人形態の改革もあわせて検討する。」との文言を入れているが、これは公的サービスの一層の民営化・営利化を意図したものであり、新しい法人形態なるものが単なる営利企業(資本)のお化粧にすぎないものになる可能性が高い。公的機関を米国におけるベネフィットコーポレーションのようなものに置き換えようというのであれば、8月号拙稿で指摘したようにお化粧した民営化路線ものものである。現在の日本において利潤獲得のビジネスの領域を拡大してさらに資本主義の延命を図ろうとする意図であろう。
G X(グリーントランスフォーメーション)政策の項目では、再生可能エネルギーの活用と並んで「十数基の原発の再稼働や、革新炉・核融合の研究開発の確実な推進 」が挙げられており、脱炭素という大義名分の元に原発の復活を目指している。このようにして環境重視のエネルギー政策が原発復活にすり替えられていく動きには注意が必要だ。
10月15日、岸田首相が「円安メリットを生かす海外展開を考えている中小企業、さまざまな企業、合わせて1万社を支援していく」と表明した、と報道されている。円高時には外国企業や物件が円ベースで安価になるので海外投資を積極化するということは、資本の行動として理解可能だが、円安時に高くつく海外投資を行うのでは円ベースで大きな投資リスクを抱えることになる。むしろ円安であれば海外投資をやめて国内に投資せよ、というべきではないだろうか。
そもそも円安のために輸出で大きな棚ぼた利益を上げている企業を支援するというのは不合理ではないだろうか。英国、オーストリアなどでは原油高による棚ぼた利益への課税が検討されているし、米国でもカルフォルニア州などで石油関連企業への棚ぼた利益課税が検討されている。日本の場合には原油高で利益を上げる企業はあまり多くないが、今回の円安による棚ぼた利益はかなりの大企業で生じているはずで、これは円安による輸入物価や関連製品価格上昇で苦しむ勤労者や内需型企業からの所得移転であるといえる。円安による棚ぼた利益に課税し、それを物価上昇で苦しむ困窮者や円安で苦しむ内需型の中小企業への支援策に振り向けるべきではなかろうか。

「貯蓄から投資」はリスク転嫁

岸田政権は資産所得倍増と言って、個人金融資産の「貯蓄から投資」を進めようとしている。「貯蓄から投資」なるスローガンは数十年前から言われていることで、かつて行われた証券減税やN I SA、特定口座の導入も、そうした名目のもとに行われた。そもそも貯蓄と投資という概念を対立的に使うのが間違っているのであるが、要は貯金を崩して証券を買え、ということである。
超金融緩和政策の長期化は、長期的な観点から金利を低くとどめておく政策になる。これには、リスクもあるが一定のリターンが期待できる証券投資など金融市場での投資に貯蓄を誘導するという目的もある。しかし、日本でいわゆるリスクマネー(リスクテークする貨幣資本)が不足しているのは、本来リスクを負担することのできる大企業や富裕層が預金や国債などリスクの小さい金融資産を中心に保有することしかしないからである。その一方で、一般の労働者や勤労階層にリスクを負担させようというのが「貯蓄から投資」政策である。「投資教育」なるものや「資産所得倍増」などというのも、そうした狙いのものである。労働者に必要なのは、家計の状況を正確に把握、認識し、投資という名の下に騙されないように金融の仕組みを正しく理解することであり、「貯蓄から投資」というような空文句に惑わされないようにすることだろう。
日本の金融機関は、企業への設備投資や運転資金の貸し出しが停滞しているために、個人向けの住宅ローンに注力、拡大してきた。その結果、多額の住宅ローンを負っている勤労家計が増えていて、それだけでも購入した住宅の値下がりなど大きなリスクを負っている。そうした家計にさらに証券投資などのリスクを負わせようというのは無理難題である。
こうした政策は人口減少と超高齢化が続く日本において必要な産業構造の転換に必要なものではなく、製造業やI T関連産業の国際競争力を維持しようとするものである。それは経団連などに代表される大企業=独占資本の利害に沿った政策でしかない。勤労者のニーズからいえば教育や保育など子育てをしやすい環境や医療や介護といった高齢者が安心して生活できるためのセクターが充実・整備されなければならない。そのためには労働運動、政治運動の高まりで、経済政策、産業政策の抜本的に転換をさせることが必要である。

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