独占強化に道を開く持株会社の解禁

「月刊労働組合」1996年4月号所収(労働大学出版センター

                                                                                                                   北村 巌

「独占禁止法改正案」の動き

 今年2月、独占禁止法の改正案が国会に提出された。今回の独占禁止法改正案はもともと従来禁止されてきた持株会社の解禁となるはずであった。しかし、持株会社設立を「原則禁止」すべきだとする基本方針を持つ社民党の抵抗で、今回は公正取引委員会の強化に関する部分だけが分離して提出され、持株会社解禁に必要な改正案は、与党内に新たな作業部会「独禁法改正問題プロジェクトチーム」を設置、「可及的速やかに」(山崎拓自民党政調会長)結論を出す方針となった。持株会社の原則的解禁が断念されたわけではなく、数週間以内に再び浮上してくる可能性もあると考えてよいだろう。持株会社解禁には連合の「断固反対」、共産党の「拙速」という批判があるほか、資本家の中にも稲盛京セラ会長のように「新たな財閥の復活という気がしてならない。全体主義的な方向に日本の社会が流れてゆくのではないかと危ぐしている」という反対論もある。一方で橋本首相は「私は通産相時代から公正取引委員会に『やれ』と言ってきた張本人だ。製造業主体の日本では分社化してやるべきだ」と積極的な姿勢を示している。経団連は、今回の公正取引委員会の事務強化と持株会社解禁との切り離しについて、弓倉礼一経団連競争政策委員長(旭化成工業社長)名で「極めて遺憾」とし、「速やかに検討を進め、今国会中に、原則自由・弊害規制とする持株会社解禁を実現してほしい」と要望している。経団連、自民党、高級官僚の主流はこうした積極論であり、これが日本の独占ブルジョアジー総体の意志だということができるだろう。
 公正取引委員会が2月7日に与党の商工調整会議に示した独占禁止法改正案のもっとも目玉となるのは持株会社の解禁であり、それは部分的なものであるとはいえ「金融持株会社」の解禁を含んでいる点で画期的であり、また企業結合規制全般を規定している独占禁止法第四章の全面的な「改正」となっている点で注目されたのである。もっともこれも、今年に入って、自民党や経団連の圧力によって「原則的」解禁の方向へと進んだものであり、それまでの検討作業で提案された改正案よりも格段に「解禁」に踏み込んだものといわれている。
 独占禁止法第四章の改正、つまり持株会社の解禁への動きが高まったのは1995年3月31日閣議決定された「規制緩和推進計画」からであった。この「規制緩和推進計画」で「公正取引委員会は、持株会社規制について、事業支配力の過度の集中を防止するとの趣旨を踏まえ、「系列」、企業集団等の問題に留意しつつ、我が国市場をより開放的なものとし、また、事業者の活動を活発にするとの観点から、持株会社問題についての議論を深めるため、検討を開始し、三年以内に結論を得る」ことになった。さらに1995年12月に行政改革委員会が「持株会社規制、大規模会社の株式保有総額規制を廃しすべく、速やかに検討を進め、所要の法律改正を行うべきである」との報告を提出し、持株会社解禁の改正は当初の3年を大幅に早めて急浮上した。この背景には自民党、経団連の積極論の働きかけが大きな影響力を発揮した。


「独占禁止法第四章改正問題研究会」報告

 まず、持株会社解禁について検討が行われてきた「独占禁止法第四章改正問題研究会」の報告をみてみよう。この研究会は公正取引委員会の依頼により独占禁止法第四章で規定されている企業結合規制全般のあり方に関する幅広い課題について検討するために開かれた、とされている。研究会は1995年7月以降会合が月1回ペースで開かれてきた。この研究会メンバーは座長に館 龍一郎東京大学名誉教授ほか学者を中心にした布陣になっているが、経営者としては石井宏治石井鉄工所社長、小島章郎ダイセル化学工業社長、山本恵朗富士銀行副頭取、弓倉礼一旭化成工業社長(経団連競争政策委員長)が名を連ねている。市民代表はわずかに和田正江主婦連合会副会長のみで労働界代表はまったく入っていない。企業組織の問題であるにもかかわらず労働者代表の不在ははじめから大きな問題である。館座長は金融制度調査会においても大きな役割を果たし金融制度改革の骨組みを作った人物ともいえる。金融持株会社の解禁については金融制度調査会の改革の方向と合致しておりはじめからそうした結論を導くための布陣である。研究会の中間報告書は「持株会社禁止制度の在り方について」(表1参照)と題して1995年12月27日に発表されている。

表1 独占禁止法第四章改正問題研究会中間報告書「持株会社禁止制度の在り方について」
目次
はじめに
1 企業結合規制の概要
2 持株会社禁止制度の意義等
3 持株会社禁止制度見直しの背景
4 持株会社禁止制度の目的
5 持株会社禁止制度見直し論の検討
6 持株会社禁止制度の在り方について
7 持株会社禁止規定に関連する条項・法制
おわりに
 報告書では見直し論の主張(持株会社有用論)を次のように整理している。
 ア 戦略的グループマネジメントと事業マネジメントの分離
 イ 円滑な人事・労務管理
 ウ コーポレート・ベンチャー及びベンチャー・ビジネスの振興
 エ 企業グループの再編成の柔軟化・多角化の促進
 オ 対日投資の観点
 カ いわゆる金融持株会社

ここにはっきり示されているように、日本企業のリストラクチャリング合理化を制度面から支援していくということが持株会社有用論の骨子である、と研究会でも認識されているわけである。また報告書では持株会社禁止への批判として持株会社によって事業支配力の集中の弊害が起きれば別個に規制すればよいとする「弊害規制論」、諸外国では持株会社禁止がほとんどないことから撤廃を主張する「国際的整合論」があることを指摘している。
 研究会報告書では持株会社によらずとも可能なことが多いと禁止制度の目的に反しないかどうか検討しなければならないとし、全面的・一律の禁止を見直す一方で持株会社そのものを原則自由とはすべきではないという結論になっている。
 では研究会報告の段階ではどのような形態の「持株会社」が禁止制度の目的に反しないとされたのかをみてみよう。第一にあげられたのは規模の小さい会社であり、この場合には事業支配力の過度の集中は起こりえないと想定されている。ただし、それが抜け道となることも考慮して公正取引委員会への届出制などでグループの規模を把握し規模の拡大について監視する必要を認めている。第二には純粋に分社化を行う場合で、自社の事業部門を分割して完全子会社化し、本体は持株会社となるケースである。これについても事前認可や許可制が必要とされている。第三はベンチャーキャピタルである。これは小規模の企業に資金を株式で提供し、かつ市場開拓などの支援を行うケースである。第四は金融持株会社である。これは金融業に中での異なる業態、すなわち銀行、信託、保険、証券などでそれぞれ子会社をもち持株会社として従来のメイン会社が全体を統括しようというケースである。
 まず、一番目に規模の問題であるが、公正取引委員会案では「事業支配力の過度の集中を招く持株会社は禁止、資産総額が五千億円を超える場合に届け出」となっていたが、非常に狭い分野の市場であれば資産五千億円もあれば十分にその独占・寡占の力を奮うことは可能であって、事業支配力の過度の集中を招くケースは十分に存在する。もっともグループの資産規模で一千億円程度に満たなければ持株会社を作る程の意味はないかもしれないが。
 第二の純粋な分社化のケースはどうであろうか。この場合、現在かなり採用が進んだ「事業部」制の機能をさらに強めて資本の論理が徹底する企業組織づくりが目指されている。事業部制は管理会計の制度と運用がしっかりしなければ、その合理化促進機能が発揮されない制度である。完全子会社方式によるグループ化はこの事業部制における管理会計を企業の外部の市場に置き換えることを意味している。これは個別事業を徹底的に競争関係におくことで各部門の合理化を促進させようという狙いをもったものである。
 第三のベンチャーキャピタルは、公正取引委員会自身の調査でも明らかなように現在のベンチャーキャピタルの枠組みで不都合が生じていることはない。むしろ、ベンチャーキャピタルが必ずしも言葉のもとの意味でのベンチャー企業への資金チャンネルにはなっていない事例も多くみられる。
 問題としてとくに大きいのが第四の金融持株会社である。これは、金融制度調査会における金融制度改革と歩調をあわせた制度変更である。日本式のユニバーサルバンク(すべての機能をもった銀行)を持株会社によって実現しようというのである。これこそまさに金融独占資本の直接の利害を反映した制度改正ということができよう。日本における金融再編は大銀行の相次ぐ大型合併にみられるように進んできてはいるが、90年初頭以降の米国の金融再編の急速さに比べれば、日本の現状は十分なものでないとの認識が高まっている。米国においても銀行による株式取得を禁じたグラス・ステイーガル法の見直しが進められるなど強い金融機関の創出にむけた動きがでてきている。ヨーロッパのようにユニバーサルバンクがすでに当たり前のところと国際的な競争を行っていくためには日本の金融制度は大きく改編されなければならないと考えられるようになったのである。

独占強化に通じる金融持株会社解禁

 金融持株会社の解禁はどのような経済関係の変動をもたらすことになるであろうか。まず、現象的に何が起こるか想定してみたい。東京三菱銀行、三和銀行、第一勧業銀行、住友銀行、さくら銀行、富士銀行、日本生命、野村証券などの大金融資本が傘下に相当規模の銀行、信託、生命保険、証券などの子会社をもった大金融グループを形成することが可能になる。
 表二は大銀行の95年3月期末時点での資金量である。資金量35兆円以上の銀行はこの表の六行に絞られてきた。このあとは三菱信託銀行(30兆円)、日本興行銀行(30兆円)であるが上記六行からみるとかなり小さくなる。35兆円未満の都市銀行、長期信用銀行、信託銀行13行は大きな再編の中に取り込まれていくことは確実であろう。都市銀行10位の大和銀行は米国における不正取引の発覚を契機にすでに吸収合併される方向で再編されると報道されている。住友銀行と合併した場合には資金量52兆円規模の銀行が誕生することになる。他の大金融機関も50兆円規模に向けた動きを強めるだろう。
 その他、日本には資金量数兆円クラスの地方銀行が、また数千億円から一兆数千億規模の信用金庫や第二地方銀行がひしめき合うように存在しており、金融自由化が進み、大銀行の全国店舗展開が進んでくると、こうした中小規模の金融機関も大きな再編の並にもまれることになるだろう。この時に金融持株会社の制度は威力を発揮してくるのである。つまり、地方金融機関をそのままに金融持株会社の子会社として大金融グループに取り込んでいく作用である。これは、米国において銀行持株会社が州ごとに銀行子会社を所有する形で全国銀行を形成している姿に近い。
 このような現在の日本の金融業の実態からみると、金融持株会社の解禁は再編を大きく加速するものとなるのは必然である。そしてこれは日本の金融独占資本の力を飛躍的に高める作用をする可能性が高い。

表2 銀行の資金量(95/3、億円、35兆円以上)
 東京三菱銀行 527、031
 三和銀行   396、963
 第一勧業銀行 389、091
 住友銀行   376、047
 さくら銀行  372、338
 富士銀行   367、996
 

独占禁止法の役割

 第二次大戦後,占領軍は日本の経済の民主化の一環として財閥の解体を進めた。1945~47年,四大財閥をはじめとする財閥会社からの子会社・孫会社の分離、財閥所有株式の処分、人的支配網の切断などが進められた。財閥解体の実施機関としては持株会社整理委員会が、1946年に設置された。この委員会で指定された会社は,その所有証券をすべてこの委員会へ譲渡し,処分を受けた。持株整理委員会は1951年の解散までに30の財閥本社、42の持株会社の解散、持株処分を遂行した。このことによって戦前の財閥は実質的に解体したといえる。大企業の株式保有構造をみると個人株主の比率(東京市場再開時約70%)が非常に高くなったうえ、それが株式の「大衆化」ともなったのである。
 しかしながら、戦争直後に現れた、こうした「つくられた」株式の大衆化は一時的なものでしかなかった。証券会社は「大衆化」を「証券民主化」という言葉で賛美し、自らの営業基盤拡大につなげようとしたが、それは60年代の証券不況を契機に大きく後退し、その後は株式価格の再上昇とともに急速に株式保有の法人化が進んでいく。70年代の半ばまでには個人と法人の持株比率は逆転した。つまり、財閥解体から約25年を経て、日本には大企業グループが資本関係を含めて再建されたといえるだろう。これは、戦前の型での「財閥」の復活とはいえないにせよ、日本経済において独占資本として6大企業グループをはじめとする大企業グループが支配的な地位を確立した証左となる。
 一方でこの時期の労働者運動は戦後最高のレベルに達し、独占資本に対する一定の規制をかけることに成功した。国民春闘の発展、反公害闘争の高揚、革新自治体の成立などである。こうした時代背景で七七年には独占禁止法の強化改正が行われた。その主な内容は、一、企業分割規定、二、カルテルに対する課徴金制度、三、同調的価格引上げの報告徴収、四、株式保有制限規制の強化、五、罰則の強化、などである。
 こうした、独占資本への規制の強化は、しかしながら、独占資本の支配強化に対する歯止めとしては機能しなかった。自由競争原理の徹底というラインで独占規制政策が行われる限り実際には独占資本の個々の行き過ぎを規制しうるだけであり、現代資本主義における独占資本の支配力そのものを「規制」することは不可能なのである。持株会社の禁止規定にしても、実際には商社による様々な事業会社の設立などをはじめとして事業会社が事実上の持株会社としての機能を持つことは制限できなかった。
 80年代に入って金融資本の貨幣的資本蓄積がいっそう進み、株式保有構造も単なる事業会社のヒエラルキー構造をもった持ち合いという段階から金融資本との複雑な持ち合いの形態が強化されていった。持株会社の解禁はこうした資本関係の整理・再編成を進めるものである。また一方における規制緩和での競争促進政策は、市場の独占・寡占に対する歯止めではあるものの、同時に競争を通じた独占の再編の促進という側面も持っていることが銘記されなければならない。


#独占禁止法
 一九四七年に制定された独占禁止法の正式名称は「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律」である。トラスト,コンツェルン等の私的独占,各種のカルテル等の不当な取引制限,ダンピング等の不公正な取引方法を禁止し,また事業者団体の競争制限,持株会社,役員兼任,合併等を禁止ないし制限する。その運用のために公正取引委員会が置かれている。しかし一九四九年、五三年の大改正や周辺の法律による適用除外規定等で規制は大幅に緩和され、再販売価格維持契約、不況カルテル、合理化カルテル等が一定の場合に認められた。

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