(メモ)岸田ビジョンの空手形

自民党の新総裁に選出され、総理大臣に就任した岸田文雄は、今回の総裁選を意識して昨年「岸田ビジョン ー 分断から協調へ」を出版した。この中で、岸田は自らの成長戦略として5つの柱を掲げた。抽象的な美しい言葉で飾られ、リベラルな方向性を描いて見せてはいるが、その具体策に有効なものはなく、空手形と呼ぶべきだろう。以下、成長戦略、経済政策に関連するポイントについて批判点をあげていきたい。

一 資本主義のあり方の見直し

岸田は短期的利益を重視する「功利主義」を批判し、渋沢栄一の合本主義を持ち上げる。そもそも「功利主義」という言葉は「最大多数の最大幸福」を求める思想を指すもので、短期的な利益主義というものではないはずで、用語の使い方がなんとも奇妙である。それはおくとしても、短期的利益の追求批判は、企業経営者や金融関係者の間でもすでに10数年前から行われてきた事柄である。これは証券市場の課題であろうが、短期的利益追求批判を株式公開企業の四半期開示をやめる理由にしようとしている経営者の動きが国際的にあり、開示をしなくて済むようにしたい経営者の要求をそっと潜り込ませているのではないか。資本の立場からすると、なるべく高い増加率でかつ長期的に利益を上げ続けることが大切で、それが高株価ももたらすわけだが、四半期開示によって短期的な利益変動が株式市場の投資心理に影響するのは迷惑だ、というだけの話である。

その上で岸田は「日本型資本主義の復活」を目指すという。ヒトを大切にするというのだが、労働環境を大切にする具体策はない。具体的な制度構築ではなく資本家の精神に期待する「公益資本主義論」のようなものでしかない。資本が利益追求せずに存在しうるのか、それを規制するには何が必要なのか、根本的な認識が欠如している。

岸田に労働組合を強化する政策を求めるのは無理であろうが、例えば、ドイツのように労働者代表の一定の経営参加を認めるというような具体策、あるいはコーポレート・ガバナンスの改革のための具体策といったものが岸田ビジョンにあるわけではない。

二 人材の重視

まず、人間を人材と表現するところからして彼の人間観が、経済に寄与する「人材」が大切なのであり、それが前節にある「ヒトを大切にする」ことでしかないというのがわかる。

中間層の底上げという点で教育と住宅に焦点を当てるというのは当然であるが、大学授業料の「所得連動型授業料返還方式」が参考になるといった程度であったり、住宅政策はあくまで住宅ローン減税を中心にした持家政策であり、勤労層にとって必要な公営住宅の拡充などは全く無視されている。

賃金についてはベースアップを実施した企業に税制面での優遇を行うとし、最低賃金の引き上げに取り組みとしている。賃金テーブルのベースアップという点に注目することは賃上げの本質的な部分であるが、企業への税制面での優遇というのが曖昧である。すでに法人税は大きく引き下げられており、そのもとで多少の税制優遇を行なっても効果は薄いのではないか。また最低賃金の引き上げについて労働界からは当面の目標としての時間当たり1500円という数字が出ているが、具体的な数値についての言及はない。

その上で岸田が目指すのは人材への投資(労働者の再教育)による生産性の向上である。

個人の多様性の尊重を掲げているのは評価できるが、一方で、女性の社会進出については日本の生産性の向上や活力向上につながっているという点からの評価であり、むしろ兼業・副業、フリーランスの推進という施策に結びつけている。男女の賃金格差の解消や正規化を希望する非正規労働者の声には応えていない。

三 集中から分散

集中から分散へということの眼目は「田園都市構想」ということらしいが、これも極めて抽象的である。現代版として「デジタル田園都市構想」というのいうが、高速インターネットをユニバーサルサービスとするとかスマホの保有率を100%に近づけるといった具体策であり、これらはすでに既成事実に近い。田園都市のイメージは全くぼやけたままである。

IT産業の立地が大都市でなくても可能となっているのは事実であるが、あまり進んでいるようには思えない。どうのような障害があって、それを取り除く策を実行するのかが抜けているのでは、絵に描いた餅という以外にないだろう。

四 分断から協調

「分断から協調」は岸田ビジョン全体のテーマともなっている。この言葉は格差社会(階級社会)において、格差による分断をなくすのではなく、格差のもとで協調せよという意味なのではないだろうか。

大企業と中小企業・小規模事業者の「共存共栄モデル」を掲げているが、下請け法がしっかり守られているか、下請け法をさらに強化するなどの施策は欠けている。中小企業庁の「共存共栄モデル」では、主に大企業側の下請け企業を巻き込む実践例の紹介がされており、下請け企業側の企業連合に言及があるが、実際には企業連合で立場性を強めている例は稀なのではないか。また中小企業庁の「共存共栄モデル」資料(2020年1月)では「取引価格への労務費の反映についても、発注側は68%が「反映した」と回答しているが、受注側では27%の回答に留まっており、業界団体ベースでの取組では限界」と指摘されている。これでは弱い立場の下請け企業の労働者の賃金が上がるわけがない。

五 技術・テクノロジーの重視

デジタル化の遅れが致命的であるという認識を持っているのは結構で、民間にDX(デジタルトランスフォーメーション)の推進を迫ってきた政府の方が遅れているというのはその通りであろう。データ・デジタル化(すでに全てのデータはデジタル化されているでしょ?)、イノベーション・研究開発という言葉が並び、短期的利益にとらわれずに科学技術に投資すべきというだけで、具体的な重点分野や対策は岸田ビジョンには欠けている。

最後に

「岸田ビジョン」における成長戦略、経済政策に関しては、理念型を示しているだけで具体的な政策にほとんど触れられていない。願望の表明に近いもので、空手形としか呼びようがない。従来の新自由主義的な政策からの転換を目指すのであれば、数値的な部分を含め具体策を示すのが政治家の責任なのではないだろうか。

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