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現代資本主義の金融経済(6)

2. 欧米経済とカネあまり
⑤ IT技術の革新
電子工学が発達し、いわゆる情報通信革命によってIT技術の革新が進んだことも1980年代以降の世界経済の変化を大きく特徴づけている。コンピュータは、1952年にIBM社が初の商用のプログラム内蔵式コンピュータIBM 701を発売してから、産業用にいっきに普及していき、1960年代にはコンピュータを利用した事務作業の合理化やオートメーションの制御への応用が進んでいった。
1980年代以降の大きな変化は、コンピュータに使う半導体集積回路の製造技術の高度化により、コンピュータの計算速度の高速化、データ蓄積可能量の増大が、倍々ゲームで進んでいったことである。1980年代後半にはパーソナル・コンピュータの普及が始まり、それまで、ひとつの大型コンピュータを、ディスプレイ端末を利用して作業者がシェアして使うのが普通だったのが、作業者ひとりひとりがパーソナル・コンピュータで作業し、それを通信網でサーバーにつなげて使うといった方法(分散システム)が主流になっていった。
こうした情報技術の技術革新の進展は産業全体に大きな影響を与えたが、金融も例外ではなかった。1987年のブラック・マンデー暴落(前述)の原因のひとつとしてコンピュータを利用したプログラム売買の存在が指摘された。筆者は、ブラック・マンデー暴落はバブル的に買い上げられた株価の調整であったと考えているが、それを発現させたきっかけとしてプログラム売買が活発化していたことは指摘されてよいだろう。当時流行していたプログラム売買の多くが流れに乗るタイプであり、市場が上昇方向に動くとすかさず買いに回り、下落方向に動くとすかさず売りに回るといったプログラムになっているものが多く、これが市場を一方向に激しく動かしてしまう要因になっている、と推測された。ブラック・マンデー暴落をきっかけに、取引所における取引仕法の見直しや大きく変動した場合に取引を中断させる「サーキットブレーカー」の導入が行われ、一方向の単純なプログラム売買が簡単に成功しないようになったため、プログラム売買はもっと複雑なアルゴリズムを取り入れたものへと変化していった。そうして、そうしたプログラム売買によってヘッジすることを前提にした金融派生商品が発達していったのである。
ハードウェアだけでなくソフトウェアの面でも技術革新は進んだ。冷戦時代には情報通信技術は米国も当時のソ連も重要な軍事技術に転用可能なものであり、先端的な研究は軍事機密になって軍事目的への利用が優先された。暗号技術などはその典型であろう。ソ連の崩壊とともに、そうした環境は緩和され、軍事上独占されていたソフト技術が民間に転用されたり、また技術者が民間に流出したりしていく形で民間のソフトウェア産業の発達につながった。またインターネットという通信手順を利用したネットワーク、つまりインターネット自体が、もともと軍事的な利用目的で、米国で軍隊と大学をつなぐ通信網だったのが民間にひろく開放され、一般的な通信ネットワークとして広がったものである。これらは、米ソの冷戦終了によるいわゆる「平和の配当」のひとつといえよう。

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