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時代を超えて見えてきた80年代アメリカの姿(1) 〜労働者に寄り添っていた曲〜


■ある日気がついたアメリカの景色

ブルーススプリングスティーンの曲「I’m on fire 」を聞いた時ひとつの景色が浮かんできた。
それは決して裕福なものではなく、少し疲れた街の光景だ。まるで自分が自動車を運転し街中を走行している様情景だった。

その景色が何を意味しているのか聴き進めていくとある事が頭に浮んだ。

「ブルーススプリングスティーンがなぜアメリカで人気があったのか。」

それは強いアメリカを象徴したものではなく、不景気になった頃、“労働者の心に寄り添っていたのでは”  ないか?と言う思いが何故か一瞬にして浮かんだ。

恐らく知らず知らずに、ニュースやインターネットの記事で見るアメリカの状況などから、その景色や実情が積み重なり、その結果この曲で一気に線に繋がったのではと思えた。

■Born in the U.S.A

その曲は、1984年にリリースされたアルバム「Born in the USA」に収録されているものだ。
当時高校に通う自分には、アメリカ万歳と言う様に聞こえた雰囲気に違和感を感じ少し距離を置いていた。

当時は何故かマスコミもそれを流行りだて、強いアメリカを歓迎するかの様な雰囲気に感じていた。
今で言うアメリカファーストの様な雰囲気である。

その頃自分には、その向こうに何があるのかを見ないまま、その渦に巻き込まれたくない思いから、クラスメイトからその話題が持ち上がると、話に興味がなくなり、窓から見える校庭を眺めていた記憶がある。

■1980年代の日本

当時、思い起こせば日本はバブル期へ向かう少し手前にあった。GDP国別のランキングでは、世界2位の位置にあり、経済の点ではヨーロッパ各国を抜いていた。

国際感覚のない日本では、まだまだ世界の先進国の仲間入りしていると言う認識は薄い時代であったのと同時にアメリカは世界のリーダーとして君臨し、映画、自動車、スポーツでは、日本からするとまだまだTVを通して見る遠い先に映る世界と感じていた時代だ。

ただ、中曽根氏が総理大臣になると、世界を意識した政治活動が見え始めた頃で、アメリカの大統領であったレーガン氏との対談の模様は、今迄の総理にはないフレンドリーな関係を構築しているかの様に見える光景に、小さな島国がアメリカと対等なのか?と疑いながら見る国民は少なくなかったに違いない。

そんな時代だ。

■1980年代の自分

80年代後半になると自分も高校に入った頃だ。POPEYEと言う雑誌の次号が出るのが待ち遠しいくらい情報を欲していた。

音楽で言えばそれ迄のビルボードに上がる曲だけでなく、オールドミュージックを聴き始めた頃で
エディコクラン、バーズ、The Band、イーグルスを深夜放送のFM番組 Motoharu Radio Showから耳を立てて聴いていた事を思い出す。

リーバイスの色落ち具合を話題にしたり、古着のネルシャツやブルゾンにも興味を持ち、コカコーラやバドワイザーのネオンが輝くピザレストランに通い始めた頃だ。

ちょうど映画館では、スタンドバイミーが流行っていた頃で、ヘインズのTシャツやポロシャツの着こなし具合を見て、今迄「パリッ」として着ていたいわゆる「よそ行き」の着こなしではなく、アメリカンカジュアルは、何なのかを友達とも話をしたり、シワが入った白いオックスフォードシャツの生地の持つ風合いなどに目覚め始めていた。

ちょうどアメリカで何が流行っているかを意識しつつ、デートではそんなことを知っている事で、少し大人びた自分を演出もしていたのを思い出す。

そんなアメリカの実情はどうであったのか。

スプリングスティーンの歌が理解出来ていなかったのは、本当のアメリカを知らなかったのではなかろうか?

そんな思いから、当時のアメリカの実情を調べつつ、スプリングスティーンが愛された理由やその後のアメリカを辿ってみようと思う。

このエッセイはシリーズとして複数回に渡り記述するので、ご興味がありましたら、お立ち寄りください。

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