子どものころの夢【黒歴史】
先日書いた『文章を書く』仕事の中で、子どもの頃の『夢』を聞かれた。
子どもの頃の夢。
思い返してみると、最初の『夢』はおもちゃ屋さん。
保育園の卒園式の時に、自分の『夢』を画用紙に描いて発表するという行事があった。
描かなきゃいけないから絞り出した『夢』、それがおもちゃ屋さんだったのだ。
理由は単純「おもちゃで遊べて楽しそうだから」。
あの頃は、新聞のおもちゃの折り込みチラシだけでも興奮した。
しかし、「おもちゃ屋さんになってもおもちゃでは遊べないかも」と気がついた時、おもちゃ屋の『夢』は潰える。
いや、卒園とともに、すっかり忘れていたかもしれない。
そこから、小学校6年間。『夢』という『夢』はなかった。
中学に入ると、パイロットになりたくなった。
航空自衛隊の小牧基地が近かったため、いつも中学校の上空には戦闘機が飛んでいた。(厳密に言えば、小牧基地配属は輸送機C130や練習機T-1など。たま〜に、F15や米軍機が飛来する程度。)
爆音と共に飛行する戦闘機は、小学生の頃までは迷惑でしかない。
しかし中学生になると、その迷惑な戦闘機がカッコ良く見えるようになる。
その爆音だけで、機種までも判別できるようになる。
まさに厨二病。
「自由に空を飛び回りたい!」
パイロットになるなら戦闘機。
ブルーインパルスのパイロットが、自由でカッコ良く見えたのだ。
しかし、戦闘機のパイロットになるには、視力は絶対に良くないとダメらしい。(その当時、米空軍のパイロットはコンタクトレンズでも良かったが、航空自衛隊はダメだった。)
そして、戦闘機のパイロットになるには、航空自衛隊に入らなければならない。
これには、おばあちゃんからの"物言い"が入る。
戦争体験しているおばあちゃんにとっては、自衛隊なんてもってのほか。
反対される。
目も悪いし、家族からは反対もされる。
それじゃ、「やめよ。」と、『夢』は潰える。
所詮、その程度の『夢』だったのだ。
大谷翔平や本田圭佑などの昔の卒業アルバムが発見されると、幼い頃からひとつの『夢』に向かって努力を続けてきたことがよくわかる。
自分も、彼らのように幼少期から熱中できる『夢』を見つけることができていれば、「もっと成功していたんじゃないか」と、よく考えてしまう。
「もっと早く『夢』を見つけていられたならば。。。」
「もっと長く、ひとつのことに費やしていれば。。。」
とはいえ、自分のやりたい『夢』を見つけることは簡単なことではない。
焦るし、悩む。
ゆる〜く考えていた「おもちゃ屋さん」や「パイロット」の夢。
無駄なような幼少の頃の夢。
しかし、「おもちゃ屋さん」にはなっていないけれど、ゆるキャラ・ワッティーやプラネタリウムを作ったり、今度は子ども向け絵本を出版する。
"おもちゃ"ではないかもしれないが、いい歳こいて、遊んでいるようなものだ。
しかも、自分自身がもっとも楽しんでいる。
そしてパイロットではないが、随分と飛行機の乗って色々な国を行き来している。
航空自衛隊より、ずっと自由かもしれない。
ゆる〜い『夢』も全部足して、今があるのだ。無駄のようで、無駄ではなかった幼少の頃の夢。
とはいえ、久しぶりに昔の『夢』を思い出した。
子どもの頃の夢を叶えるために、今から頑張ってもいいかも知れない。
老後までに『飛行機の免許でも取ること』を新しい『夢』にしてみようか。
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