見出し画像

体癖話まとめ(93)

体癖について、私ソシャフィアがTwitterでたまに「そろそろTwitterよりインスタを優先してやってみるかなぁ」と思いつつもインスタをやらずズルズルとこれだけはやっている【体癖話】をまとめたシリーズ、第93弾!

今回も体癖ツイートに八種的なコメントをつけてお送りいたします!

ちょっとショックなことがありましてね。

Twitterで繋がったある九種の女性の方がいらっしゃいまして、用事があってその方にTwitterの機能のDM(ダイレクトメール)をお送りしたら、ガン無視されまして。

「あれ?最近九種をディスりすぎてたかな?」と思って「とりあえず待とう」ということにしたのですが、待てど暮らせど返信が来ない。
いつも割と早めに返信してくれていましたし、二回ほどリアルでお会いしたことがあるし、体癖診断もお受けくださったことがあるしで、「ヤバイ、ワシ何かやらかしたんだ」と思って慌ててたんですよ。

こういう時って、体癖が出るんじゃないかと思うのです。
「相手からの返信がない=自分が何かやらかした」という方程式。

もし私が一種や七種だったら「返信してこないなんて、奴はけしからん」とか思っていたかもしれませんし、十種だったら「何かあったのかな?助けが必要かな?」とか思っていたのかもしれませんね。
五種だったら「どうやったら連絡が取れるだろうか?」ということに意識が向くのでしょう。

「自分がやらかした!」と思うのは、四種と八種が多い印象ですね。
四種も八種も、相手の機嫌が悪くなったら「自分のせいだ」と思うのです。
そして四種は落ち込み、八種は自分に対しての怒りが湧いてくる。

しかも相手は、九種。
斬る時は中途半端なことはせず、ザッパリと斬る体癖です。
こちらに非があったら容赦ない。
さらに、やられたことをいつまでもいつまでもいつまでも覚えている体癖。

おぉ、私は何をやらかしたんだろう…
「九種はしつこい」って言ったのが悪かったのかな?
「九種は三種よりわがまま」か?
それとも「九種は相手がどう思っているかも考えないで自分がしゃべりたいことを最後まで詳細に話そうとするから面倒くさい」ってディスったからか?

そんなことを考えている時に、たまたま共通の友人から連絡があって話していて「そういえばさ、(こう言う時って、それが本題だったりしますよねw)〇〇さんにDM送ったら返ってこないんだよ」と言ったら、「あぁ〇〇さんね。Twitterやめたらしいよ」との返事。

な〜〜〜んだ!
私が九種をディスりすぎたからじゃなかったのか!
気を悪くさせてなくてよかった〜〜〜

と安心したのも束の間。
「え?Twitterやめたの??」
返信が来ないことよりも、そのことの方が私にはショックだったのです。

その九種の女性は、偶然にも私と全く同じ日にTwitterを始めた方。
2020年の2月に。

リプやDMのやり取りもよくしましたし、私がその年の5月くらいに体癖を発信した時も、かなり早い段階で「九種って、私のことそのまんまじゃないですか!」と関心を持ってくださった方でしてね。
私がオンラインの心理学講座をやった時も、ご友人を紹介してくださったりもして。
東京のソシャフィア体癖院にもお越しくださいましたし、私も飛行機に乗って会いに行ったりもして。

そんな、私の中でTwitterを代表する彼女が、Twitterにもういない…

私も最近は忙しさに甘えて【体癖話】しかツイートせず、リプや引用リツートなどにも返信しておらず、他の人のツイートを見ることもしませんでしたので、知らなかった。
今やっている体癖診断士養成の仕事が落ち着いたらまたTwitterをちゃんと再開しようと思っていたのに、なんだか帰る場所を失くしてしまった気分なのです。

八種でどこか自信のない私が、「体癖、面白いですね!体癖を知って、自分のことがよく分かりました!」と認められたのが、どれだけ嬉しかったか…
自分がやろうとしていることが、誰かの助けになるかもしれないと信じられたことが…

でもまぁ、ソシャフィア公式LINEにご登録していただいているので、連絡自体は取れるんですけどね(笑)
共通の友人もいますし。

人って、いないことが淋しいんじゃなくて、いないと思うことが淋しいんですよね。

「え、私よく人と話していると目を背けられる!話してる時にガン見する九種なのかな?!」と思われたあなたには、ソシャフィア体癖院の純粋にお体から体癖を診断する”体癖診断”をオススメいたします( ^ω^ )

「っていうか、あの人私のことをガン見してくる!あの人、九種?」と思われたあなたは、さらに体癖を見抜けるようになる11月24日のオンラインセミナーが超オススメです!

というわけで、体癖各種を平等にディスってショックを与える(?)コメント付き【体癖話】をお楽しみください!

二種も言い訳が多いですよね。
遅刻した時も、どういう経緯で遅刻したのか?という本当にどうでもいいことをわざわざ説明しようとしますね。
「出発しようとしたらスマホを忘れて…」とか。

が、八種の言い訳というのは二種のそれとは違っていて、「こういうツッコミが来たらどうしよう?」ということをあらかじめ封じるために、言い訳をするのです。
例えば、「例外はありますが、AをするとBになります」とかね。

それと、断定しない。
「Aの人はBです」とは言わず、「Aの人はBが多いです」と書くのです。
「〇〇することもある」とか、「〇〇な部分もある」とか。
これもある種の言い訳なのですね。
逃げ道を作っているのです。

八種は、よくツッコみますが、ツッコまれるのは若干苦手。
攻撃力は高いけど、防御力が低いのです。
自分では人のことをあぁだこうだ言うのに、自分が言われるとすごくショックを受ける。

八種には「自分も相手もOKでない」という心理的な前提がある人が多いのですね。
自分がOKでないから、相手のOKでない部分がよく見える。
でも相手のOKでない部分は、自分自身の一部を投影している、そういう自分が許せないのです。

ですので、相手からツッコまれると、もうどうしていいのか分からない。
情けない自分を目の当たりにすることになるわけです。

そうならないために、あらかじめ反論は封じておくのです。
自分の論を否定されているだけなのに、自分自身を否定されている気分になってしまうから。

2021年の大晦日のツイートですね。
八種九種の私は年越し関係なく、あえて仕事をしていました(笑)

だって、初詣とか混むじゃないですか。
週に二回くらい食べているそばを一年の最後のスペシャルな食事として食べるのも意味が分からない。
テレビも面白いのやっていないし、家族と過ごすのだって道が混んでて群馬まで行くの大変なんですよ。

それなら、仕事をやっていた方がいいわけです。
”世の中が騒がしい時に一人淋しく仕事に打ち込んでいる頑張り屋さんな自分”にフォーカスする絶好のチャンスだし(笑)

そういえば昔、イタリアで年越しをしたことがありました。
イタリア人と言えば、三種的な文化。
街中の全員が外に出ているのか?と思うほどたくさんの人、人、人。
飲めや騒げやの騒めきがすごかったですね。
花火とか打ち上がってるし。

なんというか、全員三種っぽく騒いでいる。

八種の私にはそういうのが若干羨ましくもあるのです。
混ざりたいのに、混ざれない。

一種や二種は「そういうものだ」で済むでしょうし、四種は連れられて街に出るのでしょうし、五種や「騒がなきゃ損」なんでしょうし、六種は年が変わることになんか分からないけどロマンを感じるのでしょうし、七種は手下どもを引き連れて騒ぐために外に出るのでしょうし、十種はみんなが出たいっていうから家を出るのでしょうし。

そんな感じに、他の体癖だったら外に出てお祭り騒ぎをすることになんの躊躇もないんでしょうけどね。
八種はなんだか、そうする自分が恥ずかしいように感じるのですね。
”ミーハーな自分”を見つけてしまいそうで。

誰かに誘われれば「面倒くせぇけど誘われたのならしょうがねぇ。行くか」という態度を誘ってくれた人に見せつつ心の中はワクワクするのですが(笑)、自分から誘ってお祭り騒ぎをする気にはなれない。
「え?そういうの好きなの?」と思われたくなくて。

こんな面倒くさい自分はやめて、友人を誘って「ねぇ、せっかくの年越しなんだから、初詣に行ってカウントダウンしない?」と言えればいいんですけどね。
周りも八種的な人が多いですから「え?お前そういうの好きなんだ。へぇ〜、お祭り騒ぎが好きなんだね〜。割とミーハーだよね〜」とか言われてしまうことを怖れて、言えなかったりするのです(笑)

その子はよく、お漏らしをするのです(笑)
集中していると尿意すら忘れてしまうようで。

一種や二種が強い親だと、こういった九種の子供の気持ちはわからないかもしれませんね。
時間で区切る、ということが割とスムーズにできる体癖ですから、自分の中で完了するまでは終われない九種の気持ちは理解が難しいのではないかと思うのです。
九種に”時間で区切る”という概念はありません。

九種が何かに熱中しているときというのは、鬱散しているとき。
自分の中のエネルギーを燃やしている時なのです。

それを止めない方がいい。
出している時に止めると、エネルギーが鬱滞して凝固し、不満を抱えることになるから。
その不満エネルギーは、集中して一つのことに取り組むこと以外で爆発する可能性もあるわけです。
例えば、暴力とかね。

人のエネルギー量は誰でもそんなには変わらないのではないかと思うのです。
それをスムーズに出せるか?集められるか?の違いだけで。

出す方に向くのが奇数体癖、貯める方向に向くのが偶数体癖なのですが、実際は奇数でも貯めることが大切ですし、偶数でも出すことが大切なのですね。
子供が「ねぇねぇお母さん、聞いて聞いて!」と別に面白くない話をさも面白そうに話すのは、鬱散でもあり集注でもあるわけです。
それを自分が興味がないからって聞かなかったり、適当にあしらったりすると、その子のエネルギーは凝固するか、鬱滞するか、枯渇することになりますね。

大人になってからも鬱散と集注がうまくいかず、少しでも不満があると暴れたり、少しでも人の注目が集まっていないととんでもないことをするようになる可能性も。
そういう人、いますよね。
親子関係で何かあったのかもしれません。

とはいえ、親だって人。
自分の都合だってあるし、自分の体癖だってあるわけです。
いつでも子供の面倒を見ているわけにいかない。
見すぎてもよくないでしょうが。

それなら、親も十分に鬱散と集注をしていって、エネルギー量がいい感じになるようにしていく方が良いでしょう。
余裕があれば、子供の大して面白くない話も面白そうに聞くことができます。

どうやって鬱散と集注をするのか?
それは体癖ごとに異なっています。
この記事の最後にあるnoteがオススメです。

暗示というのは怖ろしいものです。

10年くらい前に「今年はあなたにとって困難の年です」と占い師に言われたことがありましてね。
上下型の上の字も入っていない私ですら、ガッツリ暗示にかかったのか、その年は本当に困難の年になったのです。

まぁ占い師さんからすれば、占いが当たったってことなんでしょうけど、心理学講師の私としてはやはり「暗示にかかった」と捉えるのです。
困難な年になるように、脳がはたらき、体が勝手に動き、心がつらい気持ちを感じるんだ、と。

それ以来、占いも受けていなければ、おみくじも引いていません。
暗示にかかるの、悔しい(笑)

これが一種や二種だったら、八種の私が経験いた以上に、もっとガッツリ困難な年になっていたのかもしれませんね。
脳が私より正直ですからね。

催眠療法も、一種が濃い人がかかりやすいのです。
催眠(トランス)はすべての人が入る自然な現象ですので、「この体癖は入る。この体癖は入らない」ということはないのです。
催眠に入ったことがない人は、眠ったことがない人です。

それでも、”人に誘導されて”、催眠に入るかどうかだと、話は変わってくる。
人に誘導されるということは、暗示にかかるということ。
暗示にかかりやすい体癖と、そうでない体癖はありそうな気がするのです。

例えば、私の経験上では、四種は入りづらい。
頭よりも感情を使う体癖だからかな?
それとも、催眠をかける側との信頼が築きづらいからなのか?

それと、九種も入りづらい印象です。
「なぜ、催眠に入るのか?なぜそれが効果的なのか?」を納得しないと、やはり入らないのですね。

二種は「催眠なんて胡散臭い」と強く信じている人と、ちゃんと理論を納得している人とで、催眠に入りやすい/入りづらいが分かれます。
それと、多くの人が泣く過去退行催眠などをやると「泣いてはいけない。人前で泣くのは変だ」という二種の思い込みがあるのか、または二種の感情の薄さゆえなのか、泣かない人も多いのですね。

まぁ、「これからやりますよ」とあらたまってからする古典催眠の話で、驚愕法とかを使えば誰でもかかるのですがね。
催眠に入れるにも、様々な方法があるのです。

ちなみに晴哉先生も子供の頃から催眠術に親しんでいらっしゃったようですね。
本で学んだんだとか。
独特な子供(笑)

今週のオススメnote

寒くなってきましたね。元気に過ごしましょう(有料note)

最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?