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体癖話まとめ(99)

体癖について、私ソシャフィアがTwitterでたまに「ヤベッ、二日連続で四種について書いちゃった。けどまぁいいや。どうせ誰も覚えてないだろうし」とつぶやいている【体癖話】をまとめたシリーズ、ラス1の第99弾!

今回も体癖ツイートにコメントをつけてお送りいたします!

既報の通り、いよいよ次回でこの『体癖話まとめ』シリーズは終了します。

2021年1月13日からほぼ2年に渡って、ほぼ毎週アップしてきましたが、「ナンバリングの数字が多くなってきたから」という理由だけで終わらせます。
(詳しくは『体癖話まとめ(94)』をご参照ください!)

さすがに3桁いっちゃうとね〜
100でちょうど区切りもいいんじゃないかなと思うのですね。

で、来年1月からは新シリーズ『体癖エッセイ』をスタートします!
ちゃんと『まとめ』みたいにnoteの無料マガジンにしていこうかな、と。
ぜひぜひご登録をm(_ _)m

ちゃんと最終回があるのは、素晴らしいことだと思うのです。
というのは完了を目指して生きる九種性なのでしょうか。

有終の美…
終わりがあるからこそ、この世のすべては美しい。

昨日『東京タワー〜オカンとボクと、時々、オトン』という映画を観ましてね。
リリー・フランキーさんの自伝的映画ですね。

主演のオダギリジョーさんの肩がいい感じに巻いていて「お、ひょっとして前後型かな?よく見ると首が前に出てるし、六種かな?」なんて思いながら観ていたんですよ。
キャラ的にも高潮している時の六種っぽく、ノホホンとしたリリーさんを演じていらっしゃいますし、「おぉ、ナイスなキャスティングだな」と。

※以下、盛大なネタバレ!※

で、ラストにオカン(樹木希林さん演)が亡くなるわけですが、「あぁ、人って死ぬんだよな」としみじみ思ったわけです。
樹木希林さんも4年くらい前に亡くなっていますしね。

多くの人が死後60年で完全に個性を失う、と言われています。
要は、覚えている人がいなくなる。
有名人とか偉人とか、若くして亡くなってしまった方はもっと長い間忘れられないでしょうけど。

個性を失うということは、体癖を失う、ということ。
ほとんどの人は、死後60年で体癖を失う。

「おじいさんのおじいさんは、どんな体癖だったか?」とか、そんなことに興味があるのなんて、たぶん日本中探しても私くらいしかいないんですよね(笑)
だってほら、体癖がどんなふうに遺伝するかって、九種混じり的には気になるじゃないですか(笑)

そして、調べようとしても調べることができない。
その人がどんな人だったか?を語り継ぐ人もいなくなるのですから。
もし語り継ぐ人がいたとしても、その人の体癖フィルターもあるから、できれば違う体癖の語り部を何人も用意したいけれど、そんなにはいなさそうですよね。

っていうか、亡くなった時点で体からの診断は完全にできなくなる。
体癖は「生きている人間の個性の研究」ですからね。
写真くらいなら残っているかもしれませんが、それだけでは体癖は診断できませんもんね。
体癖予測ならできるでしょうけど。

人は忘れられた時に、本当の死が訪れるのでしょう。

逆に考えてみれば、犯罪とかでなければ、どんなに自分の好き放題生きても、自分がいなくなってからたったの60年で人々は忘れてくれるわけです。
それなら、自分の思うように、感受性のままに、体癖のままに生きたほうがいい。

体癖のままに生きようがそうじゃなかろうが、人は体から卒業していずれ忘れられるのです。
自分が生きた爪痕を残したいなら、なおさら体癖のままに生きた方がいい。
「あの人は好き勝手に生きていたけど、面白い人でね…」なんて、伝説になるかもしれませんよ!

人の美しさは瞬間に宿るものなのだと思います。
「これだ!」という生き方ができた瞬間に、この世界の誰よりも輝く。
体癖という学びが、そのお手伝いをしてくれることでしょう。

「体癖のままに生きたいけど、まだ自分の体癖が分からない!」なら、東京・赤羽のソシャフィア体癖院で、体から診断してみませんか?

体癖予測の正解率を上げるなら、12月21日(水)20時からの”体癖を体から見抜くセミナー”がオススメです!

というわけで、体癖のままにツイートしているコメントつき【体癖話】をお楽しみください!

四種に自前の自信なんて、いらないのです。
そんなものは低潮すれば綺麗さっぱりなくなります。

それよりは「自分は四種だ!四種なんだ!」という自覚を持って、自信が持ちづらい体癖だということを理解して、信じられる人を一人や二人でなくたくさん作った方がいい。
時間をかけて、相手が信頼できる人間か?ストローク(=愛)がある人間なのかどうかを、相手の言葉ではなく行動をよ〜〜〜〜〜〜〜く見極めて、信頼できるようならくっついて、信頼できないようならダメージを受けない程度の距離感を保ったらいいのです。
それが四種の自信につながるでしょう。

というより私は、”自信万能説”や”自己肯定感万能説”に異を唱えたい。
それは「自信がなければ幸せになれない」=「自信さえ持てば幸せになれる」ということにつながるからで、それは幻想です。

いや、一種や三種や五種や七種なら、そうでしょう。
要は、自信万能説は奇数体癖の論理。

偶数体癖なら偶数体癖の論理で生きていいはずです。
その論理は「愛に満たされていない人の論理」で、偶数体癖のほとんどは人からストロークをいただくために生きていると言っても言い過ぎではない。

まぁ奇数体癖的に言えば「承認欲求を満たすために生きるってことでしょ?恥ずかしい奴らwww」なんでしょうけど、自分が人にたくさんの愛をもらっていることに気づかず、人を手前勝手な論理でジャッジする方がよっぽど恥ずかしい。

奇数でも偶数でも、自信よりも持っておいた方がいいものは、”客観性”ではないかと思うのです。
客観性なんて言うと、ちょっと難しくなっちゃうかもしれませんが、簡単に言えば「自分を見ている自分がいること」。

何か嫌なことがあった時などに、「これは自分の体癖のどの部分が嫌だと思っているんだろう?もっと自分のその部分を喜ばせるには、どうしたらいいだろう?」と自分に問いかけてみると、それだけで嫌な気持ちが楽になるのを感じるでしょう。
心理学で言えば、メタ認知とかディソシエイトとかメタポジションとか呼ばれている方法ですね。
自分から自分を離すのです。
これをやっていくと、最初は感情に飲み込まれてうまくできない時もあるでしょうが、やり続けていくとそんなに飲み込まれなくなっていきます。

四種なら、得意なはず。
いつも「この人が嫌な想いをしないためには、どうしたらいいだろう?」って考えてるじゃないですか。

それを自分にもやってあげるのです。

どの体癖でも良い方法だと思うのですが、特に「自分はOKでない」という心理状態に陥りやすい十種以外の偶数体癖にオススメしたい方法ですね。

二種は自分が変な噂の中心になることを怖れるところがありますからね〜
毀誉褒貶の感受性というやつですね。
目立ちたい三種や五種、変なやつに見られたらオイシイと感じる六種、本当は目立ちたいけどそう思われたくない八種には、よく分からない心理状況かもしれませんね。

で、関係ないのですが、二種ツイートはやっぱりいいねが少ないのです。
二種の人に「少ないんだよね〜」と愚痴ったら、「そりゃ、良くてもいいねしたのがバレたら恥ずかしいじゃん」とのことでした(笑)
さすが二種(笑)

そしてTwitter的にも、「個性がないのも個性」といった二種の論理はあまりウケない印象ですね。
というか、FacebookでもInstagramでもウケない。

二種はROM専(SNSなどを見ているだけの人)が多く、自分からアクションを起こしませんからね。
本当は自分の言いたいことを代弁してくれる人に心の中で喝采を送っているのかもしれませんが。
あ、でも感情が薄いから「おおおぉぉぉぉ!」とはならないか(笑)

それでも、二種は講座とかでよく学んでくれるんですよ。
ちゃんと手順を押さえて、誰がやっても同じ結果になるように教えていけば、だいぶ伸びる。
「これ、テストに出しますね」なんていうと、しっかり身につけるんですよね。
悪い点をとって恥ずかしい想いをしたくないんでしょうけど、それでも伸びるんだから素晴らしいのです、講師的には(笑)

逆に九種はすごい人でもすごい人に見せようとしませんよね。
そういう人の方が返ってすごそうに見えたり(笑)

すご腕の整体師にも多いんですよ。
特に整体の技術を教えている人に。
ものすごく高度な技術を軽々とやって「誰でもできる」みたいなことを言うんですね。

これが五種だったら、この技だけで何十万円も取れるんだろうな〜と考えるんですよ。
でも九種がお金を取ろうとすると「え?これっぽっちでいいの?」と思うくらいの額なのです。
その代わり教えるのド下手ですけどね(笑)
質問なんかすると、完全に聞いていないことまで答えてくれたり(笑)

五種と九種ってそういうところで対極なところがありますよね。
五種は教えるのがうまいけど、その中身が伴わないことも少なくない。

五種の何十万円の整体の講座にも参加したことがあるのですが…
みなまで言うまい(笑)
まぁパッケージは立派で「この技術ができればすごい人になれそう!」と期待はさせてくれるのですが、中身がだいぶスカスカ。

っていうか、その技術を参加者がお客様にやると五種本人が儲かるようなシステムだったりするんですね。
いわゆる協会ビジネスってやつです。
協会ビジネスのシステム自体が悪いわけではなく、ちゃんと儲けさせてくれるストローク溢れた提供者と、吸い上げるだけのストロークのカケラもない提供者がいる、というだけの話です。

五種は技術系だとちょっとアレなんですけど、ビジネス系とか儲かる系なら、たくさんの情報を持っている人もいるんですけどね。
かなり玉石混交で、スカスカの人も入れば、中身ぎっしりの人もいますね。
ストロークの多い少ないの違いなのでしょう。
共通して言えるのは、値段が高いです。

五種と九種を合わせて2で割ると、ちょうどいいような気がしますね。

あ、また九種の話になっちゃった(笑)
九種を心配してるんですよ、私は(笑)

所属できないって、九種だけじゃないんですよね。
体育会系で上がちょっとアレなら八種も反抗的になって所属するの難しいし、っていうかつまみ出されるし(笑)
六種も構ってくれる人がいないと、変なことを言ったりブチ切れたりして所属するの難しくなってくるし。
五種はメリットがないと所属する意味がなくなっていなくなるし。

九種の他にも所属できない体癖はあるわけですが、所属するグループがどういう類のグループなのか?も考えなければいけないですよね。
私はその”どういうグループか?”を○種界と呼んでいましてね。
○種界によって、九種でもちゃんと所属できる界はあるのではないか?と思うのです。

でもそれ以上に、「九種である自分がこのグループの中でうまくやっていくとしたら、どうすればいいか?」を考えていった方が、良いのではないかとも思うんですよ。
「自分は九種だから所属できない!」ではなく、九種だからこその立ち回りをやってみる。

まずは、自分の体癖。
複合体癖を含め、どんなことをやってしまいがちな体癖で、それが周りや個人にとってどういう影響を与えやすいのか?

次に、○種界。
体育会系の七種界なのか?
パリピ的な三種界なのか?
ダラダラとしていてもいい六種界なのか?

そして、その中でどういう立ち回りなら、周りに良い影響を与えられるか?空気でいられるか?邪魔にならないか?などなど、「自分がこのグループでこうありたい」を考えてみる。

最初から避けるよりも、そうした方が体癖という素晴らしい技術が活きるような気がしませんか?
体癖は自分の行動を制限するものじゃないんだから。

まぁ私も会社を半年もたず辞めたクチですから、偉そうなことは言えないんですけどね。
もしこれからどこかに所属するとしたら、そうしてみようと思うのです。
そうした方が成長できますもん。

四種のご自愛法ですね。
私は四種ではないのですが、たまにこれをやっています。

もっとも、私の場合は一人でなければできないことなのです。
それは…
車の中で大声で歌うこと!(笑)
歌の練習だったりします。
歌えないところを何度も何度も挑戦するのです。
誰かに聞かれたら、二種じゃなくても恥ずかしい(笑)

それはまぁいいとして、一人時間は自由時間なのです。
が、お子さんがいたりすると、そうもいかないですよね。
特にまだ小さければ、24時間神経を張り巡らしていないといけない。
っていうか、勝手にこっちくるし(笑)
”何もやらない”を物理的にできない。

自由時間が取れなくて、イライラする…
十種ならこの感覚はちょっと難しいのかもしれませんし、他にやるべきことが今はなくて子育てのみに集中できる九種も「なんでそう思うの?」なんて言うかもしれませんが、現代では子育ては昔に比べてかなりハードモードなような気がします。

子供を育てるのに、一人か二人では、絶対的に人手が足りないのです。
かつては地域の共同体があって「子供は地域で育てるもの」だったようですが、現代はその共同体が崩壊している地域の方が多い。
いくら掃除や洗濯などの生活が便利になったと言っても、それ以上にやるべきことも増えているのですよね。

で、そんな忙しいお母さん四種が低潮を長引かせないためには、人間関係のプチ断捨離が必要でしょう。
会う必要のない人間関係は、できるだけ避けること。

なのですが、四種の性質上、誰が必要で誰が必要でないか、分からないと思うのです。
「みんなに会ってなくて、陰口を叩かれていたらどうしよう?」なんて考えてしまいますからね。

会う必要のない人間関係の基準は、とにかくストローク。

ストロークが多い人は陰口なんて叩きませんし、大変な状況にいる人に適切な対処をします。
放っておいてくれたり、こちらが「それが欲しかったんだよ!」というものをくれたり。
あなたにフォーカスしてくれていますからね。

「え、でも八種とかディスるじゃん」とか思われるかもしれませんが、ストローク溢れる八種は、ディスっていいこととディスっちゃいけないことの判別はできるのです。
大変な状況にいる人をディスるのは、体癖関係なく、ただストロークが足りていないだけ。

極論を言えば、ストロークがない人と付き合う必要は、四種として現代を生き生きと生きるのであれば、ないのです。
気を遣うだけ、ムダ。
そういった人たちと付き合っている限りは、欲しいと思っている調和も安心も、手に入れることはできません。

問題なのは、相手にストロークがあるかないかを見極める目があるかどうなのか?なのです。
自分にストロークが溜まっていればできるのですが、そうでない場合は、見誤る。
特に四種は。

大変な状況というのは、その目を育てるチャンスなのかもしれません。
よくTwitterとかで言うじゃないですか?
「大変な時に一緒にいる友達が本当の友達」って。

まぁ洗脳を仕掛けてくる人とかは大変な時を狙って一緒にいたりするわけですがね。
適切な距離感で、適切にやって欲しいことをやってくれる人、自分を信じてくれる人を、友達としたいものですよね。

いつも一緒にいる人が友達なのではないのではないかと思うのです。
こちらが過剰に気をつかうような相手は、四種が四種らしく生きるためには、離れてもいい人間関係なのだと八種の私は思います。

今週のオススメnote

あなたが信じている言葉は、本当にあなたを生き生きとさせるのか?


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