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体癖話まとめ(91)

体癖について、私ソシャフィアがTwitterでたまに「昨日ちょっと四種をディスちゃったから今日は持ち上げよう」と絶妙なバランスをとろうとして失敗していることの多い【体癖話】をまとめたシリーズ、第91弾!

今回もツイートにコメントをつけてお送りいたします!

弁護士と色々話しました。
体癖診断士を養成する講座で、受講生さん達と結ぶ契約のことで。

弁護士はトラブルの専門家。
契約書は未然にトラブルを防ぐために必要なもので、サービスを受ける側も提供する側も安心できるようにするものですね。

実は、契約書は弁護士に依頼する前に、あらかじめ作っておいたのです。
ある教育サービスを提供する会社の契約書を裏から極秘に入手して、それを元に作ったのですね。
で、それを「割と丸パクリだから大丈夫だろうけど、一応弁護士に見てもらって、修正するところがあれば指摘してもらおう」と思ったんですよ。

そしたら…
「これじゃトラブルが起こった時に何も解決されないぞ!ダメダメ!こんなの交わしたら!」と、暗に怒られましてね(笑)
丸パクリじゃダメだった(笑)

指摘どころの騒ぎではなく、「この条項にこう書いてあるけど、こういうトラブルが起こったらどうするの?」と、ツッコミの連続パンチ。
ほぼすべての条文にツッコミが入り、結局依頼して作ってもらうことになったのですが…

すごく大変だったのです。
第七次案まで作られ、「どうせ一週間くらいで終わるだろう。もう作ってあるんだし」という私の楽観的な見込みをはるかに越え、毎日メールなどでやり取りしても、結局一ヶ月半くらいかかった…

「あれが起こったらどうする?これが起こったらどうする?」
想定されるすべてのトラブルを視野に入れて、契約書は作られるのです。
「トラブルがなきゃ弁護士いらねぇ!」
依頼した弁護士が言っていました。

性悪説ですね。
八種なんて目じゃないくらいの。
”人間の本性は、悪である”という前提の下で、法律は作られている。

実はその弁護士は、私の友人、というか、元バンドのメンバー。
「弁護士になるから」と言ってバンドを去っていき、それから落ちても落ちても勉強し続けて、14年かけてついに司法試験に合格した不屈の男なのです。

奴は、体で診断したわけじゃないので確定的なことを言えないのですが、九種一種。

とにかく細かい。
メタルバンドなのに作った楽曲の音楽理論的な裏付けにものすごく細かかったし、編曲をするにもBPM180の16分音符に「ここがギターとベースで音がぶつかっている」と曲が速すぎて誰も気づかないはずなのに指摘したり。

そして、速い。
ギターの速弾きも「虫が這っているのか?速すぎて指がゆっくりに見える!」と思うくらい速い。
食べるのも速く、歩くのも速く、しゃべるのも速いのです。
女性に出す手は異様に遅いけど(笑)

弁護士の仕事でもその細かさと速さは活かされているようで、法律素人の目から見たら複雑で難しそうなことを翌日に仕上げてきました。
他の案件も抱えているのに。
「こうなったらどうする?じゃあそれがこうなったどうする?」という質問も、八種の話を盛る癖を封印しても50回くらいは聞きました。
それをすぐに契約書に反映させるのです。

体癖を活かして、仕事をしているのですね。
おそらく自分では無自覚で、自分の強みを発揮している。
すべての弁護士が奴のように緻密でスピーディなわけではないでしょうし。

よく「どんな仕事が私の体癖に向いていますか?」という相談を受けるのですが…
順番が逆ではないでしょうか?

「その仕事に自分の体癖を活かすとしたら、どのようにすることができるだろうか?」
それを自分に問いかけることだと思うのです。

いくら一種がたくさんの情報を頭に入れられて、人に理論立てて説明できるから学校の先生が合うと言っても、生徒や同僚の先生は選べないのです。
学校や教育委員会の方針と自分の信念・価値観が合うとも限らない。

ならば、合わない中で…
どうやって自分をその場にフィットさせていくことができるだろうか?
無意識に反感を買っているところがあるとするなら、それは自分のどんなところか?
自分に反感を持っている人は、どんな体癖だろうか?
それにどう合わせていけるだろうか?

それこそが体癖という学びの本領発揮ではないでしょうか。
自分に合ったものを無理に選ぼうとするより、合わないものがある中で生きていくために自分自身を成長させ、進化していく。

その上で、過大評価でも過小評価でもない、自分にしかない強みに気づいて、それを活かして周りの環境や顧客に貢献していく。
社会では貢献していると認められている人が偉く、価値が提供できる人だと認められるのですよね。
そして価値が提供できると認められている人により多くのお金が入り、そういう人に、やりたいことをやれるチャンスが与えられるのでしょう。

…とまぁ、なんだか固い話になってしまいましたが、それは置いといて。

奴がバンドを去って弁護士の勉強を始めて数年後、私もバンドを解散させて整体師になるための修行を始めました。
久しぶりに再会してお酒を飲んだとき、一つの約束をしたのです。

「いずれ整体師としてビッグになって、お前に弁護士の仕事を依頼するからな!」

まだビッグにはなっていないし、奴もたぶん忘れちゃってるけれど、その約束が今回、20年の時を経て果たされたのでした。

「私の強みって何?っていうか、私はどんな体癖?」というあなたは、ソシャフィア体癖院の”体癖診断”と”体癖コーチング”がオススメですよ!

というわけで、読むと人間関係や健康などのトラブルを回避できる(?)コメント付き【体癖話】をお楽しみください!

この話、晴哉先生の『体癖』にも載っている話ですね。
少しだけ違う部分もありますが。

ある九種の女性と天ぷらを食べに行ったら、晴哉先生の方が先に食べ終わって食後のお茶を飲んでいると、その女性も食べるのをやめてエビ天が一本残った。
晴哉先生が「召し上がったらいかがですか」と言うと、それを「いかがですか。食いしん坊さん」と言われたように感じたのか、女性は断固として食べない。

で、後でその女性の旦那さんが言うには「あれからずっとうちで毎日エビ天を揚げるんですよ。それだけじゃなく、どこに食べに行っても毎回エビ天を食べるんです」と。
そこで晴哉先生は、「私たちが行ったあの天ぷら屋さんに行って食べないと駄目だ」と伝えて夫婦がそこにいくと、その九種の女性はエビ天ばかりを20本以上も食べたのだそうです。
そしたら、毎日エビ天の日々は終わった、と。

おそらく彼女の中では、エビ天を残したことで、”エビ天、未完了”の状態になったのでしょう。
九種は完了に向かう生き物。
心の中でエビ天を終わらせるには、食べ残したエビ天と同じものを満足するまで食べる必要があったわけですね。

私もこういう経験があって、毎日富士そばのネギコロッケそばを食べていたことがありました(笑)
今はどうか分からないですが、当時の富士そばのネギはラー油にチャーシューの細切りが入っていて、すごく美味しかったのです。
それにコロッケがよく合ってね。
一週間毎食セブンイレブンのカレーを食べ続けたこともありましたし、最近ではキュウリとアボカドを塩昆布とごま油で和えたものを作って毎日食べています。
あぁ、お腹空いてきた(笑)

ほんのり九種の私でもそうなのですから、九種がすごく濃い人はもっと激しいのでしょう。
野球のイチロー選手は毎朝カレーを食べるらしいですね。
まぁスポーツ選手としての体調管理もありますし、「これを食べれば勝てる!」というジンクスもあるのでしょうが。

あぁ、ネギコロッケそばにエビ天をのっけて食べたい!(笑)

ギャグに対しての反応は、かなり体癖が出ますね。
ツイートの他にも、四種は顔では笑ってくれますし、六種はニヤッと笑います。
二種は困ったような、はにかんだような笑い方をして、五種はちょっと大袈裟に笑う人が多いかも。

三種は、黒い笑いや皮肉が分からない人が多いみたいですね〜
「は?」という顔をします。

Twitterには三種が多いのか、そういうブラックジョークみたいなのにいいねが全然つかないのです。
以前、以下のようなツイートをしたのですが、めっちゃ滑りました。

…赤の広場である男が「ゴルバチョフはバカだ!ゴルバチョフはバカだ!」と騒ぎ回っていた。男は警察に逮捕され、20年の刑罰を受けた。罪状は、”国家機密漏えい罪”。

私はこのジョークがすごく好きなのですが、やはり八種だからなのでしょうか。
皮肉が効いていて最高なのですが、三種には何が面白いのか分からないのでしょう。

それと、私は心理学の講座が終わると、受講生さんに毎回「”幸せにしかなれない呪い”をかけておくよ」とメールで送るのですが…
ある方から「呪いとはなんですか?私、先生に何か気に入らないことしましたか?」と返ってきたことがありました(笑)
三種っぽい人で、それ以来三種と思われる人にはその文言を消して送るようにしたのです。

一種はそういったギャグの面白さが分かるようで、他のみんながポカーンとしている中でも、一人だけニヤニヤと笑っているのです。
一種のそういうところ、大好き(笑)

まず、”やりたいことをやらなきゃいけない病”みたいなのが日本中で氾濫しているような気がするのですね。

「やりたいことをやらないと人生損する」
「やりたいことを見つけた奴が勝ち」
「やりたくないことをやって幸せになろうなんて、甘いんだよ」

いろんな言葉で、やりたいことがなきゃダメだ!と脅迫されているような。
やりたくないことを我慢してやっている人を小馬鹿にしているような。

別にどっちでもいいじゃん、と思うのです。
人には人の体癖があって、生き方がある。
人のことより、自分のこと。

やりたいことをやって幸せになる人もいれば、やりたくないことの中に楽しみを見出す人もいれば、やりたくないことをやって家族を育ててそれを誇りにする人もいれば、やりたいことをやったはいいが飽きてしまって「私、何がやりたいんだろう?」と途方に暮れる人もいるのです。

あるミュージシャンの知り合いが言っていました。
「オレは確かに音楽がやりたくてミュージシャンになったけど、やりたいことをやるためにやりたくないことを10倍くらいやらなきゃいけない」と。
結局その知り合いは、やりたいことを満足にできず、何がやりたいのか分からなくなってミュージシャンを辞めてしまいました。
”やりたいことをやらなきゃいけない病”の患者だったのでしょう。
三種っぽいし。

「やりたいことがあるのに、それができない」とか「やりたくないことばかりやっていてつらい」とかで悩むのはしょうがないとしても、「やりたいことが見つからない。分からない」で悩むのは、ちょっと違うと思うのです。
その悩みは「やりたいことがない奴はおかしい」「やりたいことがあるのが普通」「やりたいことをやるのが人生」といった前提によってしか成り立たないのだから。

二種はそういう世間の通念みたいなのを無意識に信頼して、それを基準として自分を決めるところがありますから、そういった悩みを抱えやすい体癖なのかもしれません。
それなら、”生きる”ということの前提が変わったとすれば、現在の自分が享受している幸福に気づくことができて、もっと楽しく幸せに生きることだってできるはず。

日常を丁寧に生きる幸せだって、あると思うけどな。
周りのみんなと仲良く、仕事もそれなりで、家族と過ごすせて、週一くらいで長く眠る時間があって、ちょっとした趣味もあって、時々飲みに行く友達がいて、たまに小さな大冒険をして。
それが嫌なら、勇気と覚悟と少しのお金とスマホを持ってそこから出ればいい。

そういうのは三種や五種や七種には、頭では分かっても心では分からないのではないかと思うのです。
体が、体癖が強い刺激を求めるわけですから。
その要求を元に、「やりたいことをやれ!」の論理を組み立てるのですから。

少なくとも私は、やりたいことではなかったとしても毎年美味しいお米を作ってくる農家の皆様に感謝できる人間でいたいと思うのです。

いろんな体癖の人と、体癖について話をしていると、「自分の見方は一面的に過ぎないんだよな」ということに気付かされます。
「どれだけ穿った目で見てるんだよ、自分」ということにも(笑)

例えば、八種は上から目線でくる(これも穿ってますねw)一種に対して腹を立てるけど、二種は「頼り甲斐のある人」と見るし、八種は喧嘩を売ってくる七種にこれまた腹を立てるけど、十種は「粋がっててかわいい」と見るし。

結局人は神の視座を持たないわけですね。
晴哉先生の『体癖』も客観的な視点で体癖各種について話されているのが分かりますが、やはり九種的な見方をされている部分も多く見られます。
三種めっちゃディスってるし(笑)
そしてその「三種めっちゃディスってる」という見方も、八種的なのでしょう。

三種と言えば、偶数体癖濃いめの方が「三種は構ってくれないから嫌い」と言っていました。
三種、あんなにkawaiiのに!←八種の見方

そのくらい、体癖で違っているのです。
もはや人種や文化や宗教や地域性や職業や性別で人を分けるよりも、体癖で人を分けた方がいいじゃないか?というくらい。

いやいや、一つの場所にいろんな体癖が混在しているのが面白いのですよね。
私も八種ばっかりの場所、イヤだもん(笑)

日本は、多民族ならぬ”多体癖国家”。
お互いが分からないなら分からないなりに、仲良くやっていきたいですよね。

今週のオススメnote

そういえば弁護士のあいつ、いつもピッタリした服を着てるんだよな…(有料note)


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