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私はどう見られてる?他者の目を知るための体癖

「お美しい方、とてもお優しくて蜜豆がお好きね。一人でも、お店に入るの、一寸大胆なところがあるかしら」
「あの方ったら、いつも勝手よ、功利的よ」
「彼女はいつも自分のことばっかり考えているね。だから、あの男、いつのまにかお供さ。引っ張られているのさ」
「彼女は相手の能力に限界を見た時に、捨てるね」
「柔らかで、色白で、良い娘だ」

…以上は、野口晴哉先生が著された『体癖 第二巻』に書かれている、三種を観察する周辺の人の言葉です(原文のママ引用)。

kawaii三種であっても、「功利的だ」とか「限界を見た時に捨てる」とか、ネガティブな印象を持つ人がいるわけですね。
もちろん、「美しい」とか「良い娘だ」とポジティブな印象を抱く人もいます。

そのようにして私たちはそれぞれ、一人の人を見た時に様々な批評をするものです。
ある人は五種を「かっこいい」と言い、ある人は「ビジネスクソ野郎だ」と言う。
六種を「繊細な人だ」と見る人もいれば、「図太ぇ野郎だ」と見る人もいる。

そういった印象は、その批評を言う人の体癖によるところが大きい、というのは確かなことでしょう。
それに加えて、見る人の複合体癖やストローク(=愛)の溜まり具合や高潮と低潮の体の波まであり、出会ったタイミングや出会った場所、関わっている状況や環境などなどなど、たくさんの要素から相手に対して「この人はこういう人だ」という印象を自分の頭の中に固定化させるのです。

そして、自分は?

自分は人から、どう見られているだろう?
自分が自分だと思っている自分と、他者が自分だと思ってくれている自分は、どのくらい一致しているだろうか?

一種の多くは「自分はイケている」と思っていて、実際にそう思ってくれている人もいれば、「イケてない」という印象を持っている人もいます。
二種は逆に「自分はイケていない」と思っている人の多い体癖ですが、他の人からは案外好意的な印象を持たれていたりもするのです。

話は少し変わりますが…
私ソシャフィアはnoteで『世界一心理学チックな体癖自己診断で自分自身を読み解く』という自己診断テストをやっており、実に2000名以上の方がお受けくださっているのですが、その自己診断の結果と、ソシャフィア体癖院でのお体から診る確実な体癖診断の結果が大きく離れている人もたくさんいらっしゃいます。
というより、完全に一致している人の方が少ないのです。

自己診断の方は、私の作った質問が悪かったりもするでしょうし、テストをされた方のその時の気分もあるでしょう。
が、”主観的な自己診断”と”客観的な診断”の結果が大きく離れているのは、「”自己認識(自分が自分だと思っている自分)”と”他者認識(他者が自分だと思ってくれている自分)”が離れているから」と言って、差し支えないのではないかと思うのです。

自分は自分のことをあまり良く知らない…というのは、珍しいことではありませんし、劣っているということでも、情けないということでも、大人らしくないということでも、ありません。
むしろ、「自分はこういう人間だ!」という確固とした頑なな信念を持っている人の方が、人間関係でやらかしていることが多いかもしれない。
本人は、そのやらかしに気づいていないけど。

自己評価が高すぎても低くすぎても、やらかすのです。
自己評価が高すぎる人は人の話を聞かずアクセルを踏みっぱなしにしてやらかすし、自己評価が低すぎる人は他者が褒めてくれたりしてストロークをくれていても受け取れず慢性的な愛情不足になってやらかしてしまう。

そんなわけで今回の『タイヘキストマガジン』は、”自己認識・他者認識と体癖”について。

体癖各種は、どんなふうに見られているか?
そういったことについて書いていきます。

例えば「一種は二種をこう見ている!三種は二種をこう見ている!」と一つ一つ書いていくと100通りの書き方になって非常に長くなってしまうので、ざっくりと、いろいろなタイヘキストから聞いた話をそのまま引用して書きます。

「え!自分ってそんなふうに見られていたの!?」という発見があれば幸いです。
自分の知らない自分を見つけてみましょう!

あるいは、自分の”魅せ方”に、さらに気を配るキッカケになれば。
そりゃどの体癖でもよく見られたいですもんね(笑)

その前に…
自己認識と他者認識を一致させることの大切さを書いていく必要があるでしょう。
これが生き生きと体癖通りの人生を生きていくために、とても重要なのです。
心理学的に説明していきます。

生きづらさと生きやすさ

なぜ自己認識と他者認識を一致すると良いのか?
結論から言えば、生きやすくなるからです。

誰にでも心の中に、”自分が自分だと思っている自分(自己認識)”と、”他者が自分だと思ってくれている自分(他者認識)”があります。

自己認識の中には他者からは見えていない自分(見せていない)があり、他者認識の中には自分が知らない自分(自分では気づいていない自分)があります。

そして、自己認識と他者認識が重なっている部分がありますね。
自分も他者も「自分はこういう人間だ」と、双方が思っている部分もあるわけです。
いわば、その部分が”本当の自分”ということ。
もちろん相手との関係性によって面積は変わります。
自分がお店の店員さんをやっていたとして、たまにしか来られないお客さんから見た自分と、プライベートの仲の良い友人から見た自分では、印象は全く違っているでしょう。

で、多くの人との関係性において、この重なっている面積が広ければ広いほど、生きやすいのです。
自分を包み隠さず、リアルに生きている、ということですからね。
さらに、自己評価が高すぎもせず低すぎもせず、ちょうど良いということでもありますね。

”認識が一致”の面積が広い=生きやすい

その一方で、認識が一致している面積が、狭い人もいます。
自己評価が高すぎたり、あるいは低すぎたり。

この話をすると「え?自己評価が低いのが生きづらいのは分かるけど、自己評価が高いと生きやすくなるんじゃないの?」と思われる人もいるのですが、やはり生きづらくなるのです。
「自分はもっと認められていいはずなのに!」とか「誰も私のことを分かってくれない!」とイライラを募らせることになり、周りから見ればピリピリした人に見えたり傲慢に見えたりして、人が離れていきますからね。
「あいつは自分のことを分かっていないイタイ人だ」と見られることだってありますね。

あるいは、いつも擬態していても、認識が一致する面積が狭くなります。
「自分なんて他愛のない人間だから、良く見せておこう」と背伸びをしている人もいますが、四種などは自分でも気づかないうちに擬態していたりもします。

”認識が一致”の面積が狭い=生きづらい

ここで重要なのが、「自己認識=本当の自分」ではない、ということ。
チラッと前述しましたが、「自己認識と他者認識が一致している部分」こそが、本当の自分、なのです。

自己評価の低すぎる人の中には、褒められても「いや、自分はそんなにすごい人間じゃない」とか「この人はそうやって自分をいいように使おうとしているんだ」とか「きっと皮肉で言っているんだ」とか「そうやって褒めて、この人は印象を良くしようとしているんだろう」とか、弾いたり変なふうに受け取ったりもします。
まぁ実際は褒めてくる人に何らかの意図がある場合も少なからずありますが、九種や八種や四種や二種には自己評価の低さゆえに、その言葉の表面すら受け取れない人も多いですよね。

自己評価の高すぎる人の中にも、至らない部分を指摘されると、猛烈な勢いで反発する人もいます。
プライドが傷つけられたように感じたり、「私のことが羨ましいんだ」と思ったり、蹴落とされているように感じたり、必要以上に不愉快になったり、バカにされている気分になったり。
一種や七種、五種などは親切心からくる指摘に対してそう受け取ってしまう人もいますね。

「自分が自分だと思っている自分が自分のすべて、本当の自分」だとしてしまうと、人からの愛をちゃんと受け取れなくなってしまう…
喜びも少なくなり、成長の機会も見逃すことになり、早晩生きづらくなっていくわけです。

相手にしても、「もう二度と褒めるか!」という気分になる場合もありますし、「この人にはもう悪いところがあっても言ってあげない!」と決意する人もいます。
と、昔の自分に言ってあげたい(笑)

ともかく、自己認識とは異なることを言われた時には「言ってくれてありがとう!」というストロークを忘れないようにしたいですね。
とはいえ、全部を真面目に受け取って、間に受ける必要もないかもしれません。
「へ〜、この人にはそう見えているんだな。私にはそういうところもあるのかもしれないな」くらいで受け取っておくと、自分自身を見る目にも余裕が出てきて、受け取りやすくなってきますよ。

各体癖への他者認識

というわけで、ここからが本題。

以下は体癖各種への他者認識を羅列してみました。
何名かのタイヘキストに聞いたものを、少しカテゴライズして、分かりやすくするように努めました(上下型はこういう書き方が分かりやすいようですw)。

あなた自身が「そうそう!私はこうなの!」と思うものもあれば、「え〜私はそんなんじゃないよ〜」と思うものもあるでしょう。
が、人からの印象が事実でないのと同じように、自分自身への印象だって事実ではないのです。

事実には、それを言われたらYESしかないのです。
例えば、「あなたは今この文章を読んでいますね」と言われたら、YESとしか答えられないはず。
事実は誰から見ても揺るがないもので、10000人いたら10000人が同じ答えをするものなんですよね。

対して、印象=認識には、YESもNOもある。
あなたの書く字がキレイ、という人もいれば、まぁまぁキレイという人もいれば、もっと練習した方がいいんじゃないか、と思う人もいるわけです。
10000人いたら10000通りの答えがあるのが、印象=認識。

ただの認識。
されど、認識。
認識は人の感情を決め、人の思考を決め、人の行動を決めます。

以下に書かれていることに謙虚になるか?受け取らないか?は、あなた次第。
でも、受け取って損はないはずですよ(前後型に向けましたw)

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