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だます体癖・だまされる体癖【前編】

※最後に素敵(?)な特典があります!
体癖をリアルで体感したい方、体癖の見抜き方を例を見ながら深めたい方、関西圏にお住まいの方は、”できるだけ早く”、最後だけでもお読みいただくことを推奨いたします!


学生の頃にレンタルビデオ屋さんでバイトをしていましてね。
整体の修行時代も含め6年ほど働かせてもらっていて、その間にチェーン店でしたので店長が何度か変わったのですよ。

最初の店長もかなり六種っぽくっておもしろエピソードが満載だったりもするし、3番目の店長も他のnoteで何度か書いている十種らしき面倒見よすぎストーリーもたくさんあったりするのですが、それは置いといて…

2番目の店長が「世の中ってこんな人もいるんだ」と、まだ社会に出ておらず今以上に世間知らずな私に思わせるような、かなり酷い人だったのです。
っていうか、その時よりも成長した今の私が振り返ってもだいぶヤバいの人でしてね。

パッと見は、三種。
目がクリッとしていて、笑顔が多くて、明るくハツラツとしていて…
最初に会った時、「お、こんな良い人が店長になってくれるのか!よかった〜」と、六種らしき最初の店長のいきなりブチキレるなどの振る舞いに飽き飽きしていた私は、思ったのですが…

あえて皮肉的な表現をすると…
人をだますことにはものすごい才能を持っている人だったのです。

店長…仮に「Fさん」としましょう…は、人と話しをするのが得意でかなりの話術を持っている人でした。
お客様もFさんを慕っていて「このビデオ、面白いですよ!」みたいな感じでおしゃべりしながらレンタルしていただくような感じで、私がレジで仕事をしていると、「今日Fさんいないの?」と皆様聞いてこられる。
皆様、Fさんとおしゃべりしに来ていたのですね。

その点に関してはFさんの美点だと言えるのですが、アルバイトに対して、だいぶヤバかった。
その美点が、「人をだます」ということに使われてしまっていたのですね。

そのレンタルビデオ屋さんには4人のアルバイトがいて、常時お店には基本的に2人で入っていました。
平日の深夜の時間などはかなりヒマですから、一緒に仕事をしている人同士でおしゃべりをするわけです。
みんな学生やフリーターでしたから、あのビデオが面白いとか、学校はどうだとか、進路はどうするとか、そういった話をして時間を過ごすのですね。

で、Fさんとシフトに入るとみんなめちゃめちゃ褒められるのです。

「君がバイトでいてくれてよかったよ〜マジでいつも助かってるよ〜」と、その時入っているアルバイトに言う。
「最高のバイトだ!」くらいに言う。
巧みな話術で、ものすごく真実味がある。

そこまでならただのいい店長なのですが…
「それに比べて〇〇君は…」と続ける。

他のアルバイトの悪口、というか…
あることないことを吹き込む。
巧みな話術で。

「〇〇君がいると女性のお客様がすぐ帰る」とか「△△君は仕事が雑で部長から目をつけられている」という悪口ならまだ可愛い方で、「あいつはクスリをやってる」とか「閉店後の店内に彼女を呼んで…」とか、どうやって知ったのか分からない情報を吹き込んでくるのです。

特に多かったのが「〇〇君がお前の悪口を言ってるよ」ということ。

これ、やられるとかなり凹むんですよね。
あんなに楽しく話をしていたのに腹の底ではそんなふうに思っていたのか…と、疑心暗鬼になる。

それを、バイトのみんなにやっていた。
みんなを、だましていた。

ですので、割と仲の良かったバイト同士が「こいつ、本当はオレを嫌っているんじゃないか?ヤバい奴なんじゃないか?」と警戒したまま、仕事をするハメに…
表面では楽しく話をしていても、心の中ではイライラが止まらない。

ある時は他のアルバイトに「ソシャフィア!Fさんにオレの悪口言ったろ!?」と詰め寄られたことも…
それがキッカケでFさんの所業が発覚し、私たちバイト連中はそれぞれの誤解を解いたわけなのですが。

人は、褒めてくれる人に信頼を置く生き物ですね。
自分のことをよく分かってくれていると勘違いしてしまう。
その人の言う言葉を信じ、それが真実であるかのように受け取ってしまうのです。

要は、だまされる。
信頼するがゆえに。

Fさんがなぜそんなことをしたのか、分かりません。
三種だったら面白がってそうするのでしょうし、五種だったら長く勤めているアルバイトをやめさせて時給を下げるためでしょうし、四種や八種や九種だったら誰かへの復讐のためにそうするでしょう。

どんな感受性を満たすためにバイト連中をだましたのかは体癖を調べられない限りは分かりませんが、一つだけ言えることは、「Fさんは著しくストロークが欠けていた」ということ。

ストロークとは心理学的には「自他を肯定的に認める態度・言動・在り方」のことで、要は”愛”。
ストロークの欠けた人は、無意識に自分を守るために、あるいは自分や人を攻撃するために、言葉を使い体を動かすのです。

無意識に、人をだます…
「こうしてやろう」何かしらの意図があれば、罪悪感も感じようもあるというものですが、自分でもなぜそんなことをするのか?に気づかなければ、自分が悪いことをやったなんて思うことすらできない。

無意識であるということは、体癖が関与しているということ。
善悪、好き嫌い、損得などの感受性を満たすために、人は人をだます。

そして、だまされる側にも体癖がある。

だまされやすい体癖もあれば、だまされづらい体癖もあれば、最初は警戒心たっぷりでだまされないのに一旦信じると信じすぎてしまって大きくだまされる体癖もあるわけです。
だまされてもあまり強くは相手を憎まない体癖もあれば、だまされたらものすごく深く憎む体癖もあれば、だまされたら「自分のせいだ」と罪悪感を抱える体癖もある。
本当はだまされていないのに「だまされた!」と過剰に敏感になる体癖もあれば、だまされたことにいつまでも気づかない体癖もある。

自分がどういった”だまされパターン”を持っているかを知っていれば、だまされて人を憎むことも少なくなるでしょう。

というわけで今回の『タイヘキストマガジン』は、”体癖各種のだます/だまされる”について。

かなりヘヴィで、かなりダークで、かなりニッチなテーマになります。
これを「読みたい!」と思う人は、かなりの体癖マニアックでしょう(笑)

書いていたらやたらと筆が乗ってしまって、一種の項目が終わる時点で7000字くらい行ってしまい、「こりゃもう前後編しかないな」ということで、果たしてニーズがあるかどうか?読んでくださる方が読みたい内容なのか?という疑問があるのですが、思い切って今回と次回とで【前編】【後編】に分けて書きました。
八種九種としては、こういう内容が非常に書きやすいのです(笑)

それ以上に、私としてはこのテーマを書かなければならなかった。
その理由については文中で明らかにしていますが、それは私の都合であって、お読みくださるあなたの都合ではないわけです。
それに関しては「申し訳ないな」という気持ちはあるのですが、そのおかげで生々しく、熱い血の通った記事になったのではないかと、手前味噌な自画自賛をしております。

重く、暗く、長いです。
全編ディスっているような感じです。

その逆を行った方がキャッチーで分かりやすく、ニーズも高いのでしょうが…
闇を知らなければ光を感じないように、あえて体癖各種のダークサイドを見ることで、さらに体癖を深め、どのように生きていきたいか?の方向づけを確たるものにしていただきたいな、と自分勝手に思うのです。

だます人は、ストロークが大きく欠けている

すでに前述していますが、すごく大切なことなのでもう一度書きます。

人をだます人は、ストロークが大きく欠けています。
どんな体癖であったとしても。

※「ストロークって何?」と思ったあなたは、以下のnoteの無料部分だけでもお読みいただけると、さらに楽しく読めます!

というよりも、意外かもしれませんが…
自分自身への心をストロークで埋めるために人をだます、と言った方が適切なのかもしれません。

ストロークには2つあり、一つは相手へのストローク、もう一つは自分へのストローク。
まずは自分へのストロークから満たすことが大切で、それがなければ人からどんなにストロークをいただいても、心の中を愛で満たすことはできない。
原液のカルピスを入れなければ、どんなに水を注いでもカルピスにはならないのと同じように。

人をだます人は、自分にストロークを与えようとして、人をだましてしまうのです。
愛への渇望が、人を思わぬ行動に駆り立てる。
望ましくあろうとして、望ましくないことを人はしてしまう。

例えば、だますことで…
自分に利益を与える。
人を貶めて溜飲を下げる。
自分の地位や名誉を守る。
自分に注目を集めさせる。
自分の本当の問題から目を背ける。

そういったことを意図するわけですが…
それは、真のストロークではないのです。

なぜなら、たとえそれらを得て良い気持ちになったとしても、心は幸せで満たされないから。
満たされないから、やってもやっても渇望するような状態に陥ってしまい、また人をだます。
一度味をしめると、悪循環が起こるわけです。
何度も人をだます人は、無意識でそのパターンを繰り返している。

意識的であれば、ある程度覚悟をもってだますこともできるわけです。
そうしなければならない状況もありますよね。
会社の上に言われて売りたくもないものをさも素晴らしいものであるかのように売らざるを得なかったり。

罪悪感で心が痛む。
自分の中のストロークが減ってしまう行為だと分かっていたとしても、相手を傷つける行為だと分かっていたとしても、「今の自分にはそうするしかない」ということは、ある。
生きていくために、誰かを守るために。

つまり、人をだますということに対しては、怒るべきというよりは、悲しむべきなのですよね。
その人にとってそうしなければならない理由が、意識でも無意識でも心や状況に宿り、望ましくないことをしてしまう人間のサガ。

「かなしい」は「悲しい」や「哀しい」だけでなく「愛しい」とも書くようです。
今回の記事で最初に言っておきたいのは、天上人の視点から体癖各種を批難したり怒りを煽ったりする目的ではなく、大地を行く一人の人間として「悲しい」を「愛しい」にするために、それぞれの体癖をもった人の所業について書いていきたい、ということなのです。

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