威厳のない副主将
さあ思い出シリーズ第3弾。
高校生の時の話!
大阪府立枚方高校に入学しました。
高校1年生の時はほとんど試合に絡めず、Bチームで地道に練習してきました。
僕の高校は朝練がないので入学してから朝練で自主練をし続けていました。
顧問の先生がしっかり見てくださり、10月に初めて公式戦に出させていただきました。当時はDFとして練習していたのですが、サイドハーフで出させてもらいました。そこで初出場初ゴールを決めました。その活躍が認められ、最後の公式戦のメンバーに入れてもらえました。1試合の重み、与えられたチャンスを生かすも殺すも自分次第だと感じました。
高校2年生の時は、右サイドバックで試合に出たり出なかったりしていて、もっと試合に出て活躍したい!って思って練習に励んでいました。ある試合の日に小川先生(当時総監督的立ち位置の先生)に「原田、サイドハーフでやって見たらええやん」と言われ途中出場。見事その試合でも得点を記録しました。その試合から右ハイドハーフでスタメンで出してもらえるようになりました。
選手権予選が始まり、怒涛の下克上。1回戦は逆転勝利。2回戦は一度試合終了の笛が鳴るも審判の時間ミス。ロスタイム終了間際に主将の同点ゴールで劇的な試合。見事PKで勝利し3回戦へ。3回戦は格上だったが、試合にいつも見に来て下さってる方に「今日点決めろよ!」と言われ、「必ず決めます!」と言いました。そして、試合開始。前半にゴール前での混戦を押し込み見事ゴール!有言実行できました。その後追いつかれるがPKで勝利し4回戦へ。4回戦も順当に勝ち、5回戦は強豪近畿大学附属高校。前半に先制され後半へ。後半に猛攻を仕掛け4回ほど決定機があったが決めきれず試合終了。着替えながら号泣しいたのを覚えてる。高校3年間で一番忘れられない、そして頭から消えることのない試合となった。
新チームになり、副主将に選んでいただきました。サッカーに対する姿勢や一個上で試合に出ていた経験などを評価してもらいました。でも、テストでは赤点ばっか。私生活では全く頼れない副主将へとなってしまった。ちゃんと勉強していれば良かったと後悔している。そういう意味では威厳のない副主将になってしまったのかもしれない。
サッカー面では、だんだん点を取れるようになってきた。左サイドハーフに転向しサイドバックとボランチが固定されその3人でのコンビネーションができてきたのと、逆サイドからの攻撃に中でしっかり合わせれるようになった。夏の合宿を経て最後の練習試合。相手は仰星B。2点先制されるも前半終了間際に右サイドからのクロスをヘディング(ほぼ顔面)で合わせ前半終了。後半に入りうまく裏に抜け、アシスト、同点。終了間際にコーナーの折り返しをチームメイトが決め逆転。選手権予選に最高の状態で入れた。
そして1回戦。試合を支配しシュートまで行くがゴールを奪えない。だんだん焦りが出てきた。そして待望の先制点!と思ったがなぜかラインを出ていたと判断されコーナーへ。結局店を奪えずPKへ。そしてまさかの初戦敗退をした。これで引退。なんとも切なく虚しい終わり方をした。
この高校3年間で上の代の試合に出させてもらったり、副主将をしたりといろんなことを体験した3年間でした。
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