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中体連大阪制覇と地区予選敗退を経験した3年間

前回は小学生編見ていただきありがとうございます!
今回は中学生編です! 

中学校は、ガンバ門真Jr.Yでサッカーをするか、地元の枚方市立第四中学校(以下、枚方四中)でするか迷っていた。
しかし、僕は枚方四中でサッカーすることを決めた。
理由はいくつかあるが、サッカーだけではなく人間的な部分での成長を見込めたからだと当時は思っていたからだと思う。(理由は本当にたくさんあり結構迷いました。)

枚方四中は部活動に力を入れており、顧問の先生にも恵まれていた。
当時の顧問の先生の山田先生は、大阪の中体連でも屈指の熱血指導で小学校の時から話を聞いていた。だからこそここでやりたいという気持ちが強かったと思う。
むやみに怒鳴る系の先生ではなく、怒るポイントと褒めるポイントがはっきりしている先生だった。選手を伸ばすのが非常に上手な先生だった。
手を抜けば怒られ、努力をしっかり見ていたり、体を張るプレーなどにはしっかり褒めるという先生だったので人間的にもプレー面でも成長できる環境が整っていた。

仲間にも恵まれていた。
先輩には上手い選手が多く、手を抜けば怒ってくれる先輩や多彩なテクニックを持った選手もいた。同期は非常に競争率が高く生き残るのに必死だった。後輩は、のちに大阪3位になる実力を持っているチームだった。

1年生の時は試合に中々出ることができず、悔しい思いをした。1年生の大会では試合に出るも毎試合かのように怒られ、なかなか活躍できなかった。枚方交野大会では、決勝まで行くも招提中に完敗。そこから招提中がライバルとなった。

2年生になりだんだん試合に出れるようになった。スタメンで出れる試合も増えた。一個上の先輩は本当にうまくて速くてついていくのに必死だった。そして秋の大阪の大会が始まった。運良くずっと試合に出させてもらい、なんやかんやあって大阪の決勝まで勝ち進みました。そこまでフルで出ていたが、決勝でまさかの不調(緊張で完全にプレーが固まっていた笑)+前半の間で肉離れを起こすという悲惨なことに。。。チームは見事終了間際に劇的逆転勝利で大阪1位を勝ち取りました。しかし枚方交野大会では、また決勝で招提中と当たり完敗。2年連続準優勝となった。

そして3年生に。最高学年になり迎えた枚方交野大会。また決勝で招提中。またかよ。笑
リベンジに燃えていたが前半にコーナーキックを自分の目の前でヘディングされ、失点。後半猛攻を仕掛けたが結果0-1で敗戦。3度目の準優勝に終わった。
試合に出ることが多かったので責任感が生まれ成長できた1年間だった。それと同時にうまくいかないことも多く難しい1年間でもあった。
自分たちの代は大事なところで勝ちきれなかったり、負けることが多く、府大会にも出れなかった。公開と悔しさが残る代になった。

以上のような3年間を送った中学時代でした。
この3年間で泥臭くサッカーし走り負けない力などを身につけることができ、枚方四中に入ってよかったなと振り返ってひしひしと感じました。(卒業文集みたいな締め方しちゃった。笑)

次回、高校編!お待ちを!!!

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