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自己紹介の続きです

昨日1回目のワクチンを打ちに行ったんですが、
あまりの痛みのなさに先生ほんまに注射したのか
少し疑うくらい反応がなかったんですが、
朝起きてちゃんと肩が痛かったので一安心した
タカです。

自己紹介の続き
前回は高校までのお話でしたが、その続きです。

大学時代
大学は京都外国語大学に入学し、もちろんそこでも
プレーヤーとして体育会サッカー部に入りました。
ただサッカーをやるために入る大学ではないので、
部員も少なかったですが先輩との距離感が近く
居心地の良い部活でした。

大学に入って独り暮らしを始め、審判も協会の割当
を受けるようになり1回生の時に行われた3級昇級
コースで3級になりました。
そこから毎週のように割当をいただき、20歳で
2級昇級しました。

1級昇級への道のり
ただそこから1級昇級への道のりは長く、26歳で
1回目の1級昇級試験を受験させていただきました。
しかし実力不足と緊張での為、1次審査で試合を
大きく荒らしてしまい不合格となりました。

関西ではカテゴリー制度(後日説明しますね)が
導入されており、その翌年問題を起こしたことも
あり一番下のカテゴリー3まで降格しました。

その時は審判を辞めようかと思いましたが、周りの
方々がほんとに温かくサポートしていただいた
おかげで審判を続けることが出来ました。

その後2回目の試験を29歳の時に受験させていただき
何とか3次試験まで合格させていただくことが
出来ました。

1級審判員としての5年間
そこから5年間1級審判員として主にJFLと全国大会を
担当させていただき、日本全国様々なところへ行かせて
頂きました。その経験は今でも大きな財産です。

1級審判員を降格になってからは、審判を辞めることも
考えましたが、幸い怪我でもないですし少しでも
お役に立てればと思い関西・京都で細々と活動させて
もらってます。

こうやって振り返れば山と谷を登ったり降りたり
忙しい審判人生ですが、この経験を少しでも活かせれば
と思い、なかなか表に出てこない審判のことについて
発信していければと思います。

何か審判について聞いてみたいことがありましたら
コメントいただければお答えできる範囲でお伝えして
いきます。

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