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風のイェイ

この辺はサンタアナ・ウインドという強風が年に1~2回くらい吹きます。

本当に強い風で、最近ではそのせいで山火事になりました。山の近くの人たちは避難しました。先週それでレッスンをお休みした生徒がいました。2か月くらい前にも山火事があって、その時には3人の生徒さんが避難してお休みでした。

「風のイェイ」というのは、そんな強い風のことではなくて、ナバホの言葉で風に感じる魂のことですって。河合隼雄の「ナバホへの旅・たましいの風景」の中のぬくみ・ちほさんとの対談にでてくる言葉です。ナバホは生活のすべてが自然と繋がっているんですって。そして「風のイェイ」はどこにいてもその人を守ってくれるんですって。素敵じゃないですか。

私達はコロナのなかでも、確かにインターネットで世界と繋がっています。世界のニュースを瞬時で携帯で見ることができます。そしてズームでかなりの広範囲で顔を見て話すことができます。テクノロジーの進歩の中で、これだけテクノロジーで繋がっているのに、どうして対立ばかり起こるんでしょう?

コロナで移動ができなかったり、生活が不自由だったり、自分のしたいことができなかったり、フラストレーションが溜まりますよね。それは確かですが、でもそれって本当にコロナのせいばかりなのでしょうか?コロナが起こる以前に私たちの心の中に埋められない空洞が生まれていたんじゃないかなぁ?コロナの閉鎖状態の中で、誰もがその空洞をごまかすことができない、自分を騙せなくなってきて、イラついているのではないかなぁ?

コロナになる前に、私は自分のまわりの自然、山や川や森や大地や風と繫がっていたかなぁって考えます。正直なところ、目の前の日常に忙しくて、毎日漫然と生きていたような気がします。

このところ、すべてがスローになって、ふっと河合先生とぬくみさんの会話が思い出されました。自然との繋がりの中で生きていない人には、自然の魂は感じられないでしょうね。私のような人間は、「風のイェイ」に守ってもらうことはできないだろうけど、「風のイェイ」に繋がる存在に思いを馳せることはできるかもわかりません。なぜなら、日本人は正月の初詣で手を合わせるように、富士山のご来光に手を合わせることができる民族だから。

目を閉じて、ふーっと深呼吸すると、「風のイェイ」が私の周りを掠めていくかもしれないような気がします。有難いですね。


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