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意義を足す

なにかをやるとき、その意義が大きいほど、行動したときあるいは行動した後の満足感や充実感は高いです。数字で考えると、4の意義より6の意義のほうがいい。意義っていうのは、ぼんやりとでいいので、数字で考えると扱いやすくていいんじゃないかなと思います。

でね、意義ってたぶん足し算できるんですよ。僕結構、ここは人間らしい特性が出る部分かなって思うんです。

たとえば、今こうやって書いている文章。僕はこの行動に結構意義を感じているんですね。数字でいうなら8とかかな。なんでこんなに高いのかというと、この文章を書くという行為に複数の意義を感じているからです。それは、思考を詰めることあるいは思考すること。記録すること。そして、文章を残すことが作品を作る行為であるということです。大きくいうとこの3つ。僕はこの「文章を書く」という行為に3つの意義を感じている。そしてそれはそれぞれ3とか、5とかだったりするんですけど、足し算した結果、8になっているって感じです。もちろんざっくりした計算ですよ。きっちりする意味はないんで。あくまでイメージです。

つまりね、バラバラの行動を一つにまとめたほうが意義はでかくなるんです。で、意義がでかいほど、その行動の満足度高いですよ。逆をいうと、意義が低いことって、当たり前ですけどそこまでやる必要性を感じていないので行動が止まる可能性が高いです。せっかく何かをやろうとしたのに、止まってしまうのはもったいないと思いませんか?もちろん、やる意味を感じないことを無理してやる必要はないと思うんですけど、でもやろうとしたってことは何か意義を感じてたと思うんですよ。それが、時間の経過で下がったりする。それでやめちゃう。もったいないなあと思います。まあぼくも何度も筋トレ始めてはやめているので人のこと言えないんですけどね。僕も今一度意義を捉え直して大きくする必要がありそうですね。

僕が続けていることの一つに散歩があります。ほぼ毎日しますね。これの意義は、まず運動です。そして、気分のリフレッシュ。いつも夕方にします。そして、音楽を聴く時間。この3つがあります。だから7か8くらいの意義を感じてます。もしかしたらもうちょっと高いかも。こんな感じで、その行動をの意義をぱっと出せる。複数だせるものって、強いんですよ。なかなかやめないですよそういう行動は。

でね。意義に関して、ちょっと面白い話をすると、人間てどうしてもやらないといけないことに対しては、無理やり意義を見出す傾向にあるなと思ってます。
わかりやすいのが、買い物。別に、自分はいく理由ないけど、付き添いで買い物にいくときとかあるでしょ?で、それが遠い場所だったりすると、時間もかかるしめんどくさいっておもうときもあるはずです。でもいかなきゃいけない。そんなときに、自分もその買い物で何か買う必要があるものを頑張って見出そうとするんです。本当は、たぶんそんなことする必要はないんですよね。だけど、そうやってむりやり買う物を浮かべるのは、意義を見出そうとしているんです。なぜなら、そうしないと、無駄を感じるから。偽りの意義を見出して自分を騙すことで、自分を納得させようとしているんですね。まあもちろん、本当に必要なものを買い忘れていたときもあると思うんですけど、大抵は別に今じゃなくていいもの、たいしてほしくない物を買うことになると思いますよ。

こう考えると、やっぱり意義って不確かで、自分の解釈次第な部分は大きいなと思います。だから、もしやめてしまいそうな行動があるときは、意義を足すっていう考え方をしたらいいと思います。僕が散歩の時に音楽を聴いているような感じです。ついでに〇〇も解決できるっていう感覚ですね。それがあると、結構ワクワクしながら行動できると思います。あるいは、意義を捉え直す。見直す。やっぱりずっと続けていると、なんのためにやってるんだっけ?ってなることもあるんじゃないかと思うんですよ。そんなときに、初心に帰るというか、いまいちど、意義を考えなおすっていうのも大事だと思います。もしそれでやる必要性を感じないのなら、やめたらいいんですよね。やりたいなら、意義が大きくなるように足したり、精査したりして、数字をなるべく大きくするように考えたらいいと思います。

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