映画「レディ・バード」感想:大人で子供。怒りと愛情。同時に抱えて

スーパーの入り口にスズメが巣を作っていました。大きめのスーパーだったので、5個くらい巣があって。で一番低い位置の巣は、もう触れるくらいの位置にあるんですね。で雛鳥が口をぱくぱく開けて巣に収まっている。その巣には3匹のひながいて、小さめの巣だったのでもうミチミチなんです。なんかお前らでかくね?笑みたいな。そろそろ飛び立つ時期じゃない?みたいな。
僕は今28歳なんですけど右葉曲折あって親とくらしていて、もう巣からお尻以外全部飛び出していると思います笑。さすがに30歳になる前には色々とおちついていると思うので、もう一度一人暮らしを再開する予定です。

はい。そんな今日だったのですが、レディバードみました。巣立ちのお話だったので、なんか今日は鳥の日だなあ。と。そんなこんなでレディバードの感想を書いていきます。いや、よかったよ。ほんとに。


レディバードを見ていると、大人とは?と考えさせられます。僕が最近考えているのは、みんな大人な部分と子供な部分、それぞれをいろんなバランスで持ち合わせて生きているということです。どんなに子供のように見える人も、実は自分が持ち合わせていない部分で成熟していてそこの部分は大人だったりする。それは仕事に対する考え方かもしれないし、家族に対する考え方かもしれない、あるいは生命についてかも。きっと数えきれないくらいいろんな基準があって、その中で成熟しているか、そうでないかは人によってパロメーターが違うのだろうと、そんなことを考えています。レディバードで出てくる人たちもそうで、どこかで大人に見える人もどこかは子供のままで、子供に見える人も実はどこか大人びた価値観を持っていたりする。そういう人間の多面性を描いている点がレディバードの面白い点ですね。

映画全体の作りとしては、映画の前半はとにかくレディバードの子供な面と、それと対極的に大人のシビアな面が描かれます。父が失業して生活があやういという場面でも、レディバードは彼氏にうつつを抜かしています。
それが後半は、レディバードの精神的な成長が描かれ、素直になれない母親はまるで子供のように映ります。ざっくりいうと、映画全体のつくりはこんな感じですね。

この映画で特に印象的な点、人間の多面性をシームレスに描いている点ですね。同時に複数の感情を抱えているのが人間で、それをうまく表現していてとてもリアリティがあるなあと思いました。

例えば、レディバードは劇中で2人の男性と付き合うのですが、まあ結局終わってしまうわけです。レディバードからすると、2人の男性がとった行為は裏切りであるので、まあ怒っているわけですね。嫌悪感を抱いている。でも、それと同時に別れた後も人間としての愛情が残っている。ゲイを打ち明けた元彼を優しく抱きしめたり、母親と喧嘩中に感謝祭にピッタリの衣装を見つけてテンションが上がったり。そういう怒りと愛情のような複数の感情を抱えている人間のコミュニケーションを描くのがとても上手です。

ゲイを打ち明けた1人目の元彼を優しく抱きしめるシーンはとても美しかったですね。このシーンは映画『ちひろさん』を思い出しました。元彼、異性、そんなの関係なく純粋な人間としての繋がりは美しいと思います。

シームレスといえば、レディバードの心の成長もシームレスに描かれているんですよね。実は、彼女が成長するための劇的な出来事ってないんですよね。普通、そういう劇中で何か成長が描かれるときって、大きな事件だったり、印象的な出来事があってわかりやすく描くのがポピュラーかなと思うのですが、レディバードの場合、ポツポツとちょっとした事件があって、それがじわじわと積み重なって気づいたら成長しているみたいな感じなんですよね。それも、とってもリアリティがあるなあと思いませんか?人間の成長ってそんなわかりやすくないでしょ。もちろん劇的な出来事があって起こる変化もあるけれど、日常のなかで起きる変化って実は些細なことの積み重ねだったりする。そういう部分を描いていて、すごく好印象です。

一応触れておくと、劇中におけるレディバードの成長って、自分の感情に素直になってありのままの自分を出せるようになったことです。まあもともと素直な部分はあるんですけど、それを母親や友達の前で見せてる部分と見せていない部分があった。最初の頃のレディバードって本当に芯がないし、カッコわるいですよね。選ぶ大学や住みたい家や関わる友達、目指す夢や目標もすべて見栄え重視のファッション感覚なんです。だから、理想を手にいれるためには相手に平気で迎合するし、平気で染まっていく。実はそんな自分にどこか違和感を感じながら。まあ最終的にはその違和感を大事にして、素直になるんですけどね。見せたら恥ずかしいな、嫌われるかな、カッコ悪いかなっていう部分を映画の最後の方では見せれるようになるんです。一番最初にそれがわかるのは、パーティに行くための衣装を母親と選んでいるときです。母親に対して「お母さんに好かれたいだけなの」と素直に気持ちを吐露したシーンは、彼女の成長がわかりやすくでたシーンですね。そのあとは、車の中で「親友に会いに行きたい」と言ったり、空港のシーンでは「私大学に行っちゃうんだよ?」と言ったりと、可愛らしいです。

それに対して、母親は素直になれません。素直に褒めたらいいシーンでも、頑なに褒めませんし、平気で可能性を閉ざすような発言をします。「あなたには無理」、そういう言葉を平気で使うんですね。母親は、酒浸りの母から育てられていて、一般的な愛情を向けられた経験がないのでしょう。明言はされていませんが、発言や態度からなんとなくわかります。普段、母親がレディバードに対して投げかける言葉は自分が投げかけられてきた言葉なのかもしれません。自分が愛情を向けられた経験がないから、実の娘に対してもどうしてよいのかわからず捻くれたようなことを言ってしまいます。そのせいで、レディバードは嫌われていると思い込んでいましたね。でもそんなはずがなく、お腹を痛めて産んだ子供です。愛情はとうぜんあります。だけど、それを素直に伝えられないんですね。

レディバードがニューヨークの大学に行くことを秘密裏に進めていて、それを知ったシーンがありました。母は無視を決め込みます。あれは子供のように拗ねているんです。本当は、子供のように「いかないでよお」と泣き叫びたいけれど、素直じゃないので、態度でしか示せません。大人ってなんだろうなって思いますよね。素直に感情を示すという点では、レディバードの方が大人のようにみえます。それはレディバードが積極的に人間と関わるタイプで、色々な経験を早い段階で積んでいるからだろうと思います。

父親は2人のことをよくわかっているんですね。2人の関係性を冷静に見ている。まあそれでも大学の件は事前に共有しておいたほうがよかった気もしますが。いずれわかることだろうに。まあ少なくとも、大学行きの切符は入手したわけで、レディバードの作戦は成功したわけではありますが。

サクラメントを離れるシーン。空港での別れ際でも母親は素直になれません。それくらい根深いってことですね。母からすれば、レディバードの行為は裏切りなわけです。いえ、実は違うんです。本当は寂しいだけ。一人娘です。父親とはおそらく再婚でしょうから、それまでは一人で育ててきていて、母の母は酒浸りでしたから唯一信じられる繋がりはレディバードだけだったのだと思います。
娘が行きたい進路を選択することが裏切りなわけがありません。本来は、それを素直に応援するのが親としての健全な立場なのでしょう。現に父親は一貫してレディバードの行動を応援しています。だけど母親は素直じゃないので寂しさを怒りという態度でしか示せないんです。でもいざ別れが現実になると、そこに残るのは寂しさだけ。後を追うように空港にもどりますが、レディバードは飛び立った後でした。

でも全てわかっている父。レディバードがサクラメントを愛しているいることをちゃんとわかっています。だから、父にはあまり不安がありません。
そして、すべてわかっている父。母親が捨てた手紙をこっそりレディバードの荷物に忍ばせておきます。ナイスプレーです父。父は、母親とレディバードの関係を取り持ちたいのでしょう。そりゃそうだよね。母の本音を知ったレディバードはずいぶんと安心したことでしょう。

最後にレディバードは、自分の本名を名乗って両親に育ててくれた感謝をつたえます。その電話で、母親も安心したでしょうね。ああ、いつか帰ってくるなって。
まあそりゃ不安だわね。こんな傍若無人な振る舞いを見せる娘だもん。ニューヨークになんかいったら、もう一生帰ってこないんじゃないかって考えちゃうのも当然だと思います。わかってたのは作文を読んだ先生と、父親くらいかな。レディバード本人もわかってなかった感情ですからね。

90分という短い尺のなかでジェットコースターみたいに人間のいろんな側面を見せてくれるとても良い映画だと思います。僕もなかなか素直になれないのでね、いつかレディバードみたいに素直になれたらいいなって思います。


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