言葉の強さも起きてる現象も全てが新鮮:映画『三島由紀夫VS東大全共闘』感想

ふと流れてきたショート動画をきっかけに、ドキュメンタリー映画を見ていました。三島由紀夫VS東大全共闘です。この映画は1969に実際行われた討論の様子と、その討論から50年経過したのち、当時の参加者にイタンビューを行った映像を元に編集された映画です。

なぜこの映画をみようかと思ったのかというと、三島由紀夫が小説家という立場でありながら討論という場に立っていて、いったい何を語るのだろうというのが気になったからです。どんな言葉遣いをするのだろうとか、芸術をやる人の主張というのを聞いてみたかったんですね。それは僕が芸術をやっていて、こうやって文字を書いて拙い主張をするから、関心があったんです。

まず結論からいうと、めちゃおもろいです。話している内容の8割は難しくて理解できないんですけど、当時の雰囲気とか、時代背景、そして発せられる言葉というのが現代とは全く違うもので、とても新鮮に映りました。だから、討論の内容をきいて、ふむふむとうなっていたというより、起きている現象をながめて、ほえ〜って感じで、まるで空にかかった虹でもみてるかのように眺めていたわけです。だっていってることよくわかんないんだもん。それは僕に前提知識が足りないからなんですけどね。もっと本を読みたいなと思いました。思想や哲学というのはとても面白いです。普段は疲れてしまって本を読めないことも多いのですが、やっぱり腰を据えて本を読む時間は必要だと思いましたね。特に哲学書。僕はショーペンハウワーの「読書について」とかすきで、でも哲学書は数える程度しか読んでこなかったので、もっとそこら辺に傾倒したいなって思いました。

とくにこの映画で面白いシーンは、三島由紀夫と、学生である芥正彦が討論しているシーン。芥正彦は演劇をやっているっていうのも、興味深く見れたし、なにより同じレベル感で話している気がして単純にすごいなって思いました。僕には理解できない話を2人でラリーしている。そこに観衆はいたけれど、でも完全に2人の世界でしたね。途中ヤジが飛ばされたりするんですが、あ、こいつの話聞く価値ないわって判断した瞬間に三島由紀夫と2人でタバコを吸い始めるシーンも、すごくマイペースで好き。

討論を聞いていると、その場で思考しているというよりは、ある特定のキーワードごとにすでに考え抜かれた思想をいろんな形で話している感じがします。その場である特定のテーマについて考えているっていう感じではないですね。そしてその連鎖が途絶えないというのは、本当に圧倒的な思考量だなと思うんです。自然についてだとか、他者についてだとか。そういう本質的、根源的な部分から、表層に起きている現象を見ている。だから主張にブレがないし、他者からの批判に対しても堂々と返せるわけです。

主張にブレがないといえば、三島由紀夫は最終的に腹を切って自害したわけですけど、それも事前に言語化していて。自ら死ぬことを事前に主張していて、そして実際に自害にまで至るって、その良し悪しはおいておいて、誠実だなと思うんですよ。嘘がない。死、という生物が一番恐ることに関わる発言で嘘がないというのなら、他の発言にも嘘がないだろうと考えられますよね。

ただ、生物が一番恐れることは死だ、と書きましたが、三島由紀夫においては、過ごした時代背景や思想、実際に自害したことを考えると、いちばんの恐怖は死じゃなかったんだろうなって思います。むしろ何もなく平凡な場面で死ぬこと恐れていた可能性だってありますが、それは僕にはわかりませんし、わかる人はいないはずです。とくに僕は、三島由紀夫さんの文学作品も全く読んだことがないから彼につては、今回の映画でめちゃくちゃイケメンだなっていうことくらいしか知りません。だけど、戦争を経験していて国家と共に死ぬことを受け入れていたんですよね。天皇万歳、日本万歳な人らしいですから。本来、戦争で死ぬはずだったと考える人が自分が死ぬことに恐怖しているとはかんがえづらいかな。とはいえ、死ぬことと、歯磨きが同じレベル感で扱われるわけがないですから、やはりそうとうな決断だったとは思います。

映画の中でも触れられていましたが、言葉の有効性については僕も考えます。僕の場合、個人の世界を変えるということに重きがありますが、突き詰めると個人の変革は社会の変革でもあるんでしょうね。だから言論を大事にするし、その力を信じいている。言葉の力について、そしてそれを世界に主張することに対して考えさせれるようなよい映画だと思いました。そして僕ももうすこし抽象度の高いものを理解したり、思考したりして、表層に惑わされないように知性を磨きたいと思ったしだいです。

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