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モーターのない車作りみたいな日々【24.07.02】

今日描いた絵

チーム友達

文章を毎日書くようになってからいい流れが起きているきがします。それは、川をせきとめていた石の隙間から小さな水がこぼれて、徐々に石を運んで徐々に穴が大きくなり川の流れが強くなるような感じ。その流れにのせて絵を描いてみてる。するともう少し視野が広くなってきて、他の創作活動も別の視点で捉えようとしている自分がいます。創作活動というか、生き方全体?を見直しているような感覚。すべてをゆるすというかね。なんだか優しい気持ちになれるのはなぜだろうね。


毎日何かを誤解してはその誤解を解くみたいなことをしています。誤解っていうのはつまり行動する前に考えた僕の妄想なわけです。別の言い方をすると仮説。仮説があるからこそ検証できるわけですから、仮説は大事。そして得た実感を元に現実世界にフィードバックしていくわけです。でも毎日毎日検証するのは疲れてしまう。こういう日記なんかはもう慣れてきて、書くタイミングというのも定まってきているので、あんまり疲れない。他の活動も後もう少しな気がする。というのをもうずっと言っている気もするけど本当にあともう少しな気がする。毎日毎日新しいアイデアをためしてみている。違和感というのをとても大事にしている。側から見ると落ち着きがなく遠回りに見えるけど、僕の中ではこれが最速だと思う。きっと僕はマシーンを作っているんだ。アランチューリングみたいな感じ。暗号を解くために人力ではなくマシーンを作っている。一度作ればあとはそのマシンに任せるだけだから楽。そういうのを信じているから毎日配線を組み替えてはエラーを起こしそのエラーの原因を自分なりの仮説をたてて組み替えている。その組み替えはもう2年も前からやってきていて、あと少しなきがしてる。形にできるものも増えてきた。まだわからないけれどね。油断は禁物だ。無理も禁物。常に冷静に自分を観察しよう。それがとても大事。たぶん側から見たら急にスイッチが入ったように見えるけれど、実はそういうスイッチとかそういう話じゃない。どっちかというと、ピタゴラスイッチみたいに、何度も組み替えた道がようやくつながり始めた感じ。そこにエネルギーを使っている感覚はないし、エネルギーを使ったら疲れる。動力はないのだ。自然に流れる方向へ流す。そんな感じ。モーターのない車をゴールまで導くための下り道をデザインしているような感じ。無理をしたらいつかモーターは壊れるし、電池も切れる。数年前まではそうやってやってきたけれどそれじゃ不都合が多いので車を乗り換えることにしたんだ。

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